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Touch Drawing との出会い
 (創始者 Deborah Koff-Chapin)


「それは一見遊びのような体験でしたが、その下には、何かとてつもなくパワフルなものがありました。」
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デボラ


Deborah Koff-Chapin(デボラ・コフチェイピン)
タッチドローイング創始者
画家、ヴォーカリスト、著述家、教師

The Center for Touch Drawing 公式ページ(英語)

http://touchdrawing.com


Touch Drawing ビデオ(英語)
1974年、ニューヨークの美術学校の最終学年の最後の日、私は友人が版画のスタジオで、インクのついたガラス板を掃除するのを手伝っていました。ガラス板からインクをペーパータオルで拭き取ろうとした私は、ちょっとその前に、遊びのつもりでペーパータオルの上で指を動かしました。ペーパータオルを持ち上げると、私の指が触れたところにインクがついたのが見えました。私の指先が直接絵を描いたのです!
 
私はこの発見が嬉しくて大笑いし、床に散らばったペーパータオルを拾って描き続けました。天啓を受けたかのように、私の指先からは流れるようなラインがほとばしりました。それは私という存在が自然に紙の上に姿を現し、一瞬一瞬過ぎていく時間を記録していきました。数分も経たないうちに、私は両手を使って顔を描いていました。変化し続ける私の魂が、私の目の前に、子どものように素朴に、正直に、そして直接的に映し出されていたのです。


それは一見遊びのような体験でしたが、その下には、何かとてつもなくパワフルなものがありました。 まるで、時間を超えたところの、目には見えない、すべてを知っている存在から、贈り物を受け取っているかのようでした。タッチドローイングは私だけに与えられたのではなく、人類全体への贈り物なのだ、という気がしました。贈り物には責任がついてきます。私はどうにかして、この贈り物を世界と分かち合わなくてはなりませんでした。


何か大きな変革の力に突き動かされていることを感じながら、私はタッチドローイングにのめりこみました。タッチドローイングは私の命綱になったのです。つらいことがあるとドローイング・ボードに向かい、感情を解き放ちました。自分の気持ちを受け入れ、指を通してそれを紙の上に放してやると、私はますます深く自分自身の中に引き込まれていきました。まるで、私という存在をこの手で形作っているようでした。そしてそれは文字通り私の目の前で変容していったのです。一連のドローイングを終えると、そこにはこの変容の記録が残されていました。私の魂の動きが絵になったのです。そして私の気持ちは晴れ、私は完全性を取り戻すのです。(訳:
三木直子 http://officemiki.com)
それから十数年、何とかしてタッチドローイングを他の人たちと共有したいと願い続けたデボラは、1990年に The Center for Touch Drawing を設立。SoulCards を作ったのをきっかけに、1997年、タッチドローイングを教えたい人たちのためのワークショップを開き、世界中から28名が集まりました。それから徐々にタッチドローイングは広がっていき、今ではさまざまな国のさまざまなグループを対象に、さまざまな目的でワークショップが行われています。毎年夏には Whidbey Island で「タッチドローイング・ギャザリング」が 6日間にわたって行われ、世界各国から参加者が集います。

絵筆を使わず、指で直接絵を描くことによって、技術の有無にかかわらず、心の中のイメージを紙の上に写し取ることができます。手は魂の動きのままに自由に動き、その瞬間その瞬間の感覚を捉えます。


タッチドローイングは、これまで使ったことのなかった表現の扉を開き、心の中にあるものを外へと誘います。これは、創造性、精神性、霊性を統合するプロセスなのです。(「Office Miki」より抜粋」)


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Touch Drawing とデボラとの出会い、そして導き
(倉田順子)

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私は1992年に渡米し、翻訳の仕事に追われる日々を送って来ましたが、1998年35歳のある日突然、自分の内側から発せられた「こんなことをしていても意味がない」という心の声を聴きました。この瞬間が分岐点であったかのように、その後不思議な出来事が矢継ぎ早に起こり、私は目には見えない奔流に流され、ある一定の方向へと勢いよく押し出されていきました。

<人生の標石 − タッチドローイングとの出会い>
英語に「マイルストーン」という言葉(日本語では一里塚のようなもの)がありますが、タカのように上空から私がこれまで歩いて来た人生の道を見下ろしてみると、ところどころに標石が立っているのが見えます。その中にとりわけ大きい標石がふたつ重なるように立っている場所があります。そのうちのひとつが、タッチドローイングとの出会いなのです。

それは、全く偶然の形で始まりました。2009年のある日、近所を散歩していたら、突然足がある書店に向かい始めました。まるで何かそこから発せられている強力な磁力に引きつけられているかのような感覚でした。わけもわからないまま店のドアを開けると、入り口のカウンターに置いてある書店主催の「今月のイベント」冊子に目が留まりました。私は一部もらって家に帰りました。

部屋でぼんやりとページをめくっていると、「魂の顔を描いてみよう」という言葉の上に、描いた顔の絵を掲げてデボラが微笑んでいる写真が目に飛び込んできました。その瞬間、全身に衝撃が走り、体の中で何かが音を立てて弾けたような、ハートが前に向かって飛び出して行くような、強烈な感覚を覚えました。私はそのとき、興奮とともに心の中で「これやりたい、絶対にやる!」と叫んでいました。

絵といえば子供のときに描いたくらいのもので、絵が好きなわけでも関心があったわけでもなく、とにかく私の人生とは関係のないものでしたが、デボラの絵と「魂の顔」という言葉に触れた瞬間、体に電撃が走り懐かしいような感覚が深奥から湧き起こりました。

タッチドローイングとは何であるかを知る必要はありませんでした。詳細には興味はなかったのです。とにかくやってみたい、それだけでした。


ワークの初体験は深くパワフルなものでした。デボラの歌の旋律に共鳴した私の心は強く揺さぶられ、指はそれ自体に知性と意志があるかのように紙の上を動いていきます。そして、描かれる心象とともに、それを解説する物語が私の中から流れ出て来ます。私の目の前で、絵を通して今まで知らなかった自分の側面が明かされて行くのです。私はそのひとつひとつにうなずきながら、今までに体験したことのない深みのある世界へと引き込まれて行きました。

その後、私はデボラのワークショップ以外でも自分でドローイングを続け、表現することは生きることであり、喜びであり、自分の本質に出会うとき、そこには生命力と智慧と溢れる創造力があることを自らの体験によって知りました。

もうひとつの標石は、恩師岡部明美氏との出会いでした。タッチドローイングとの出会いと平行して、私はアメリカに加え日本で岡部氏から心理療法を学び、セラピーの手法や援助者としての在り方を身につけ、私自身の魂の願いや喜びを思い出していきました。それからごく自然な流れで私は「これから魂の道を歩く」と決心するに至りました。2010年のことでした。
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<バトンタッチと再出発>
2011年3月に、デボラは神戸と東京で初めてタッチドローイングのワークショップを開くことになりました。ところが、彼女が日本に入国した直後に、東日本大震災が起こりました。最初の開催地である神戸は直接影響を受けなかったため、3月12日と13日の二日間ワークショップは予定通り開催されましたが、集まった参加者の中には、この地震が引き金となって阪神淡路大震災のときのフラッシュバックに襲われた被災者もいて、会場ではかなりの動揺があったそうです。日本中が大混乱のただ中で行われた日本初のタッチドローイングは、奇しくも先の被災地である神戸で行われ、二つの大震災に向き合う人々の癒しと祈りのワークになったということです。

デボラはその翌年再来日し、仙台、多賀城、石巻を訪れて、ボランティアでタッチドローイングワークを行い、日本の地と人々に深い想いを残してアメリカに戻りました。

そのデボラからバトンを受け取るかのような出来事が起こりました。全くの晴天の霹靂でした。仕事を探してもいなかった私の夫に、本人の夢の仕事の話が舞い込んだのです。夫も私も全く迷うことはありませんでした。デボラが想いを残して発った半年後に、私たちは仙台にいました。「魂の道を歩く」という私の意思表示は天に届き、日本から再出発をすることになったのです。

<タッチドローイングのスピリットとともに>
デボラがタッチドローイングを見出したとき、それは人類への贈り物だと感じたように、私もタッチドローイングの持つ深さと広大さに触れるとき、それ自体が持つ意志と計画のようなものを感じるのです。

感じるままに指で直接描くことがどれほどパワフルであるかを知っているからこそ、また、それが洞察やより深い理解へと至るとき、生きる力とともに創造に満ちた新しい扉が開くことを自らの体験を通して知っているからこそ、私は根底を揺るがす新しい意識の波が次々と押し寄せる今、日本にタッチドローイングを根付かせ、そこに集まる人々とともに、調和とよろこびに満ちた新しい現実を積極的に創り上げて行きたいのです。


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