「定点があると、自分の変化を客観的に見ることができる。タッチドローイングを定点にすると、内側の変化がよくわかると実感した」とは、2021年に北海道でのタッチドローイングリトリートに参加した一人が、ワークの中で言った言葉である。 彼女はそれより6年前の北海道リトリートにも参加していたが、経過した数年の間に自分がどれほど変化したかがドローイング中に理解できたと、興奮した様子だった。 ファシリテートをする側は常に触れているため、そのような視点はなく、彼女の反応が印象に残った。が、一定期間ファシリテートをした後に、私にも理解するチャンスが巡ってきた。 これまでのことをゼロにしていく大規模なリセットが数年続き、その間に私はタッチドローイングからも一旦離れるというプロセスを踏んだのだが、その空白期間のおかげで、「なるほど、あの時北海道の彼女が言っていたのはこのことだったのか」と実感する体験をした。 先日、デボラからの誘いで、オンラインで定期的に行うタッチドローイング実践グループワークに久しぶりに参加した。グループの構成は毎回変わるが、先日はアメリカ、オーストラリア、中国からの参加があり、少人数だがカラフルなメンバーとなった。 リアルに集うことが最もパワフルであると私は今でも思うが、オンラインでは時差という制限こそあれ距離を問わないため、世界規模で繋がることができるのは強みである。 今回、その繋がりを私ははっきりと感じることができた。画面越しに参加者それぞれから一斉にネット上に「インテンション(意図)」のエネルギーを乗せた時、閉じた私の目の前に、一本の横向きの筋のようなものが現れると、そこにエネルギーの糸が螺旋状に絡まっていき、回転しながら太い綱のようなものを作り出した。 それは、参加者一人一人のエネルギーが集まって織りなす「かたち」であり、垂直ではなく水平であった。 「ああ、繋がりが国を超えて横に伸びていく。人と人とのネットワークは縦ではなく横、というのを以前瞑想中に感じたことがあったが、こんな風に絡まり合いながら強化されていくのだなあ」と実際に映像を見て、そう思った。 それは、これからドローイングを始める前に全員で作り上げた場を象徴するようなものであり、決して大きいものではなかったが、太くて頑丈そうだった。 そのように、目に見えないエネルギーの繋がりが太い綱のようになって強さを増すのを垣間見ることで、一定レベルの意識が共鳴した別のものと繋がり、そこからさらにまた別のものという風に複雑に繋がり合って網状になって広がっていく光景がイメージできた。 私たちは常に、良くも悪くも集合意識というエネルギーで織りなされた場、張り巡らされた網の中にいる。 これをエネルギーグリッドと呼ぶのであれば、変化とともに訪れる新しい世界にふさわしい新しいグリッドは、変化の波の中で押し出された私たち一人一人の内側から目覚める新しい意識がベースとなって創造される。 それは常に、あなた、私、のような個人から始まり、スピードを上げながら磁石のように引き合い、強化されていく。 と、ハートは語り始めると止まらなくなるので、この辺で止めておこう😅 ドローイングを始める前に、このようなメンバーの意図の繋がりを映像として見ることは、今までにない体験だったので私は内心驚いたが、これは私の中で起こった感覚的な変化の産物の一部に過ぎない。 その後のドローイングも、今回新しい体験となった。 ドローイングという「同じこと」をしているのに、今までとは違った視点にいる、というのは、同じことをしているからこそわかり、しかも、いつもではなく、間に空白の時間というスペースがあるからこそわかりやすいという意味で、あの時北海道の彼女はタッチドローイングワークは定点になる、と言ったのだろう。 タッチドローイングは心の中を潜っていく魂の表現ワークでもあり、魂の動きが描かれる一枚一枚に反映される。 自分自身の体験からも私のワークの参加者からのフィードバックからも、多くの場合、心の層を通る過程で否定的な感情が浮上したり、感情的・心理的な行き詰まりがあったりして重さを伴うのが、ごく当たり前のことである。 1セッションの流れの中で描かれた絵の一枚一枚は、このような心の層を潜っていく一続きのプロセスになることが多く、多くの場合、物語を成している。 というのが、これまでの話で、今回の私の個人的な体験は別物であった。 ドローイング中にデボラが鳴らすドラムの音や歌声は、これまでは重みを持ったシャーマン的な色が濃く感じられたが、彼女が変わったのか私が変わったのか、それとも両方が変わったのか、私は今回それを感じることもなく、最初から一貫して軽く、スケートでスーッと滑るように流れていく。 そして、描きながら、実況中継のように、ハートからこんな風に言葉が流れ出た。 「最初に描いた球体から源と繋がった人間としての存在(私)が現れ、それを中心に2つの方向へと意識が無限に拡大していく」 「宇宙空間に羽根のようなものが描かれると、その間から扉が姿を現した。このような扉は人生の流れの中でタイミングよく現れ、目の前で開かれる(が、本当はいつも開いていて、私の意識が引き寄せるだけのこと)。私と最も関係の深い惑星(地球ではない)が常に私を見守り導いており、それが司る領域と私は、絶対的な愛のもと、私が意識するか否かに関わらず、約束のようなもので繋がっている」 「空間に現れた波のような巨大な手。その手から創造される大木のようなエネルギーは、光の柱となり、天と地の双方を行き来し、その創造が絶えることはない」 このような言葉が、次々とハートから流れ出る。 「うんうん、なるほど」と、それを頭ではなく体で感じ取りながら描いている私がいるのだが、体中にエネルギーがみなぎってきて熱くなる。肉体を持った私が拡大していく体感をリアルに感じると、深奥から喜びが滲み出る。それがなんとも心地よく、この拡大した意識の方が本当の自分に近い、と感じるのである。 ハートが広がるにつれ意識も拡大し、意識が拡大するにつれハートがさらに広がる。 私は、創造の中で拡大し続けるハートを描いた。すると、そのハートの中から目が現れたが、それは1枚目に描いた人物(私)であった。肉体を持った私ではなく、ハートの中にいる私。その顔に意識を向けて描いたのが、最後のこの絵である。 通常ならば、描き終わった後に全ての絵を振り返るのであるが、今回はそのような気分にはならなかったので、そのまま放置した。 セッションが終わって数時間が経った頃、絵に戻って一枚ずつざっと目を通していくと、突然内側でピン!と音なき音が鳴り、最初の絵を一番下にして、その上に順に1枚ずつ置いてみたい、という衝動があった。 一枚一枚絵を見ながらゆっくりとそれをやり始めると、クリアーな感覚とともにハートが語り始めた。 「描かれたものの一つ一つは、宇宙エネルギーの側面の一つであり、特定の質であり、ものの見方の一つであり、それらは別々に存在しているのではなく、私の中で統合されて同時に存在している」 これらを描きながら、私が強く感じたのは、どの部分もそれ自体が自分であるという感覚であった。 今までなら、外にあるものとして認識してきたものが、外ではなく自分そのものの構成物であるという意識である。 例えば、巨大な波のような手は自分の手ではなく、手そのものが私であり、波は生命と創造のエネルギーで、その波エネルギーそのものが私。巨木は外にあってこちらから見ている物としての木ではなく、木そのものが私であり、光の柱もそれを支える手も、そのもの全てがそのまま私。 私は肉体を持った形をしてはいるが、絵として描かれたこれらは全て私を構成しているエネルギーの一部であり、目を閉じると、それらを体でイキイキと感じることができ、それは「本当」だと感じるのである。 そうやって絵を感じながら一枚ずつ上に重ねていったのだが、最後に描いた顔を置くと、顔の下に(奥から)これまでの絵が影のように浮き出た。 その顔を眺めながら思った。 「私の中にないものを描くことはできない」 そう思うと、強い感情が湧き起こった。 描いた全てのものが私の内にある・・・宇宙的なものでさえも。そして、あらゆるものが全て「今このとき」に存在している。 私は気づいた。そう、この顔は「多次元的な私」という存在を表しているんだ、と。 さらに、顔の奥で影のように見えている全ては、奥にあろうと影であろうと関係なく、それらは表面と同等だった。これら全てに優劣はなく等しく存在していると感じ取ると、私の奥深くから喜びのようなものが湧き起こった。 ドローイングセッションは40分ほどであったが、今回描かれた絵に最初から最後という順こそあれ、私の体験は、その時間の最初から最後までという過程を表すものでもなく、感情の層を潜っていったり、中心へと向かって玉ねぎの皮を剥いでいったりするようなものでもなかった。 先や後などの順序はなく、上から下、前から後ろ、外から中というような距離もなく、全てが等しく存在しているという意味で、三次元の時空間という概念を超えたものであった。 これはクリアーな新しい視点であり、私にとって新しい体験であった。理論でも知識でもなく、自分が直に体験を通して得たものなので、上滑りではない。 私はこの最後の顔に、「In the Now(今このとき)」というタイトルを付けた。 今回のドローイングは最初から軽い感じであったと言ったが、最後に近づくと、さらに心は軽くなっていた。
その軽さの中で、言葉が流れ込んできた。 「はい、何も考えずただそのまま一歩前に足を出すだけだよ。それは呼吸するように、自然にそうするようになっているだけなんだから、拍子抜けするくらい簡単なこと。前に向かって進むのが足にとって最も自然」 それに対して、私の内側は「もうすでに動いてるよ」と返事をした。 それを聞いていた私のマインドが「えっ?」と驚いて反応しているので、マインドだけが取り残されているなと、思わず苦笑してしまった。 その日はたまたま、用事を兼ねて昼食を摂りに夫がいったん帰宅することになっていたのだが、セッションが終わった直後に戻ってくるなり、夫はキッチンで踊り始めた。 「一体何が起こっているの?」と夫に尋ねると、 「なんだかわからないけれど、気持ちが良くて楽しくなって、踊りたくなったんだ」と言った。 ドローイング中に感じていた軽いエネルギーが、きっと部屋中に広がっていたのだろう。それを夫本人は、全く知らないままキャッチしていたのか。 楽しそうに踊る夫を見ていると、私も一緒に踊りたくなり体を揺すって「なんか私たちってアホ夫婦だよね」と言うと、夫も「わっはっは」と笑い、そんな風に笑い合って二人で踊った。 私たちは皆、見えないエネルギーで繋がっている。どんなエネルギーに触れたいか、どんなエネルギーを放ちたいか、創造したいか? 久しぶりにやったタッチドローイングは新しい体験と新しい視点をもたらし、確実に変化をしている自分を見ることができた。 繋がりの中で進化しながら創造し続ける私たちは、肉体を持つ霊的な多次元的な存在であり、薄っぺらどころではなく、どこまでも豊かな存在であることを知ると、この先何が起ころうと大丈夫であり、自分を含め人類や世界がどんな風に変化していくのか、ワクワクするのである。
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「ママ? ママ?」 女の子は、私に言った。 母親は彼女の隣に立っていたが、その子は私を見つめていた。 「ママ?ママなの?」 私の目を覗き込みながら、確かめるように言った。 私が買い物帰りに、宿舎の中庭にある畑に寄った時のことである。そこにその子が母親と一緒にいたので挨拶をしたところ、いきなりそう聞かれたのだった。 私は沈黙のままだった。その後すぐに別の会話に切り替えたので、それはそこで終わってしまったが、後から私の内側から奇妙な感覚が現れた。 通常では知り得なく立証不能な何かが開示される瞬間を、私はこれまで何度か経験しているが、その時、五感を超えた別の領域から独特の感覚がやって来る。 何かの一部が奥の方から顔を覗かせ、頭の中が渦巻き、そこからスルスルと紐解かれて、遠い記憶や近い記憶のかけらがあちらこちらから一気に吸い寄せられ、パズルのピースががっちり合うような、ゾッと鳥肌が立つような瞬間。 「あっ!ひょっとしてこの子の目に映っていたのは!」 そう思うまでに至る道のりがあった。 隣の棟に今年引っ越してきた5歳のAちゃん。中庭で遊ぶのが好きで、私が畑で作業をしていると、必ず来るようになった。Aちゃんは畑の野菜を欲しがり、今では私も気前よくあげるようになったが、実はAちゃんとは否定的な出会いをしている。 最初に出会った時、Aちゃんは父親と一緒にいた。まだ、キュウリがなり始めの初夏のこと。Aちゃんは隣人のTさんと私がいる畑へやって来て、小さいキュウリを何本か石の上に置いて言った。 「白いキュウリ2本と緑のキュウリ1本採った!」 それはチェンおじいちゃんの畑のキュウリだった。おじいちゃんが天塩にかけて育てており、まだまだこれから大きくなる途中のものだったが、Aちゃんが畑から採ってきたのは明らかだった。 隣人のTさんも私も驚いた。近所に小さい子供はたくさん住んでいるが、そのようなことをした子供に今まで出会ったことがなかったので、ショックだっただけでなく、私たちはこのまま放置してはいけないと思った。 「他人のものを許可なく勝手にとってはいけない、という社会ルールを知らないのか、まだきちんとしつけられていないのかもしれない。ここで注意しなければ、この子は採り続けるだろうし、今度は私たちの畑も荒らすだろう」と思った。 私たちもチェンおじいちゃんからもらった種から同じキュウリを育てており、Aちゃんは、私たちのキュウリにも強い関心があった。 Tさんがそばにいた父親に声をかけて注意すると、父親は顔をしかめて言った。「あそこ、耕作放棄地じゃないんですか?」 どう見ても耕作放棄地には見えない。おじちゃんの畑は整然としているのだ。 「お子さんによく言い聞かせてください」というTさんに、父親はそっぽを向いて吐き捨てるように言った。 「わかりました」 不快な空気が漂い、嫌な思いだけが残った。 翌日、中庭でAちゃんの声がしていたので、私は部屋の窓から外を見ると、Aちゃんは母親と一緒だった。 気になったのでしばらく見ていたのだが、Aちゃんは、チェンおじいちゃんの畑の中に入り、キュウリに手を伸ばしたところを母親に注意され、畑から出た。しかし、すぐまた中に入った。 母親が慌てて抱き上げて外に出すと、Aちゃんはものすごい声で泣き叫び、母親が地面に降ろしても泣き続けていた。 その声は、どうしたらあの小さい女の子の体からこの声が出るのだろうと思うほど、びっくりするほどの大声だっただけでなく、子供の高い声とは程遠く、体から絞り出された声は地面から発せられたような太い音で、その異質な音が私の耳に残った。 Aちゃんは泣き終わると、地面に座り込んだまま、じっとキュウリを見ていた。炎天下、帽子もかぶらず、まるで体が固まってしまったかのように長い間全く動かず、キュウリだけを食い入るように見つめているAちゃんの姿に、私は異様なものを感じた。 子供は絶えず動くものだが、Aちゃんは草の上に置かれたお地蔵さんみたいになってしまっていた。 その翌日、私が畑で作業をしていると、またAちゃんが母親と一緒にやってきた。私のそばまで来ると、キュウリがなっている奥まった場所を指差し、採りたそうにしていたが母親に叱られて、しぶしぶ手を引っ込めた。 「欲しかったらおばさんに言ってね、あげるから。でもまだキュウリは小さくてこれからもっと大きくなるから、今はまだ採る時期じゃないねえ」と私が言ったが、Aちゃんからは何の反応もなかった。 Aちゃんは、今度は隣のTさんの畑に移動した。畝が畑の端にあり、地面近くに何本かキュウリがぶら下がっているのだが、そばにしゃがんでじっとそれを見つめていた。その場から動かず、執拗なほどに見つめている姿は、やはり異様に感じられた。 母親はそばにいて、「採っちゃダメよ。見るだけね」と何度も言っていた。 私は畑を離れ、裏にある水道へ水を汲みに行った。水を張った一輪車を押して、中庭の通路をヨタヨタ歩いていると、母親が血相を変えてこちらに向かって走ってきたので、何事かと思った。 「すみません、すみません、すみません!」 「??」 「キュウリを採ってしまいました!」 見ると、もぎとられたキュウリが1本、石の上に置かれていた。それは、Aちゃんがじっと見つめていたキュウリだった。 どうしても我慢できなくて、母親の目を盗んで手を伸ばしたのだろう。 「ごめんなさい!ごめんなさい!」 母親は顔を真っ赤にしていた。そこまで謝らなくていいのにと思うほど、何度も私に謝った。 私は「いいえ、大丈夫ですよ」とは言えず、黙っているわけにもいかなかったし、やはり自分の考えを伝えるべきだと思った。 「こういうことが続くと、こちらとしても困ります」 そう言った時の私の表情が、強かったかもしれない。 母親は、ショックを受けたかのように目を見開いた。その表情は強烈で、私は彼女の反応に驚いた。 母親がAちゃんを抱き上げて激しく叱ると、Aちゃんはものすごい声で泣いた。爆発したような泣き声をすぐそばで聞くと、その凄まじさは半端ない。 その瞬間、気づいた。 あっ、ひょっとして世間でいう「発達障害」の子供? 思いつくことが次々と浮かんできた。 そういえば、Aちゃんとは会話のキャチボールがない。何か質問しても答えは返ってこず、Aちゃんは関係のない自分の頭の中にあることだけを一方的に言葉にする。同じことを何度も繰り返して言うことも多く、認知症の私の母親と話しているみたいだと思うこともあった。 Aちゃんは幼稚園には行っておらず、平日でも父親が付き添っていることが多かった。他の子供達には興味がなく、中庭で一人遊びをし、常に親が後ろから見守っていた。 私は、とんでもない思い違いをしていた。「このくらいの子供なら、これくらいのことを理解していて、こう行動するのが当たり前」だと。 当たり前だという考え方が、自分の中に固定されていた。どこでどう、そうなってしまったのか。 注意されてそっぽを向いた父親は、本当は言いたいことがあったのではないか。目を見開いたが何も言わなかった母親からは、恐怖の感情が感じ取られた。 私は反省した。彼らは、日常でこのような状況に何度も出会っているかもしれない。 この決めつけを捨て、私はAちゃんに対する私の視線や視点をリセットした。リセットは、コツを覚えれば案外簡単である。その考えへ行かないよう「通行止め」にして、ハートに意識を向け続けると、考えは力を失う。 発達障害のひとつに自閉スペクトラム症というものがあるが、「スペクトラム」とは、「境界線や範囲が明確ではない状態が連続しているさまを示すこと」と定義されている。ということは、幅が広い。 範囲は程度であるが、何をもって「ここからが正常でここからは正常ではない」などと言うのか?もともと、正常って何?普通って何? 私の中から、違和感がムクムクと湧いてきた。 私たちは皆ユニークな面を持っているので、それだったら全員が何らかのスペクトラムで、それがどれだけ表に出ているか出ていないかだけのこと、程度の問題に過ぎない、それも個性、と考えた方が心に余裕ができる。 実際、そんな風に考える人が一定数を超えたら、優しくて広がりのある社会になるなあ、と思った。 こうして私がAちゃんへの視点をリセットすると、驚くようなことが起こった。 私の頭の中には、何の脈絡もなく突然何かが浮かび、そこから引っ張られるように次々と記憶やイメージが浮かぶということがあるのだが、リセットしてから数日後、それが起こった。 突然「6」という数字が浮かんで、自分は幼い頃、数字の中では6が一番好きだったことを思い出した。すると次に、東日本大震災発生の翌日に描いた絵が頭に浮かんだ。 あの日、私は居ても立ってもいられず、シアトルの自宅で突き動かされるように絵を描いたのだった。日本に向けたヒーリングの絵を描かなければならない、という強い気持ちがあった。 日本に向けるのだから日本列島が出てきそうなものだが、描けたのは、地球の内部とそれを取り巻く宇宙のエネルギーの絵だった。 感覚だけで描いていったので頭では説明不能だが、地球の中にオタマジャクシのような、数字の6のような形が6つ描かれた。 その絵を思い返しながら数字の6を感じてみると、宇宙的なもの、星のエネルギーを強く感じた。 「ああ、私は子供の頃、自分は6が一番好きだとはっきり認識していたなあ。宇宙図鑑が大好きで、ボロボロになるまで見ていたなあ」と思い出したのだった。 そんな風に6が浮かんだ後、私は野菜を採りに畑へ行った。頭の中には、まだ6の余韻があった。 キュウリを数本収穫し、畑の裏の水道で手を洗っていると、突然向こうからAちゃんが走ってきた。興奮した様子だった。 「わたし、数字の6が好き!」 (私)「!」 「わたし、6が好きなの!6が好き!」 挨拶もせず、そう叫びながら、私の方へ走り寄ってきた。真っ黒に日焼けして、裸足で走ってきた。父親が、ゆっくりと後から歩いてきていた。 私はニッコリして「そうなんだぁ、私も6の数字好きよ」と穏やかに答えた。 Aちゃんは仁王立ちになって、じっとこちらを見ていた。不思議な会話。だけど完璧。二人の間に初めて何かが行き交ったのを感じた。 「Aちゃん、キュウリ好きだよね。たくさん採れたんだけど、欲しい?」と言うと、「うん、欲しい、欲しい」と答えたので、ちょっと曲がった太いキュウリを手渡した。 Aちゃんは嬉しそうに受け取り、小さな手で大事そうに持って、そのままキュウリを鼻に持っていき、目を閉じて思い切り香りを吸い込むと、今度は、目を閉じたまま少し顔を傾けて、弓のように曲がったキュウリを愛おしそうにじっと頬に当て、優しく微笑んだのだった。 「あっ!」 その瞬間、私の内側が震え、音が鳴ると、Aちゃんの体全体から目に見えない粒子のようなものが炸裂して広がった。 「この子・・・」 私は知っていた、この子のことを。 大地から知恵を受け、たくましく生きる、母なる大地の子だったかつての姿が、今のAちゃんと重なった。Aちゃんの真っ黒に日焼けしたがっしりした足は、しっかりと接地しており、いにしえの懐かしいエネルギーが大地から発せられ、Aちゃんを包んでいた。 ああこの感じ、この波動が懐かしい! 静止した空間の中で、私のハートが緩んで広がっていく。 私の目の前にいるAちゃんは5歳の子供ではなく、子供とか人間とかの範囲を超えた力強く大きな存在であった。手の中のキュウリが愛に包まれており、キュウリはこの上なくそれを喜び、Aちゃんが輝いて見えた。 それは、純粋に美しかった! 父親は、少し離れた場所からただじっと全てを見守っていた。 その後も、Aちゃんは頻繁に私の畑へやって来ては、野菜やハーブの名前を言い当てた。まだ苗の大きさであっても、葉の特徴を捉えていてそれが何の野菜であるかを言えるし、ルッコラやローズマリー、バジル、セロリも見ただけですぐに言い当て、香りを楽しんでいた。 Aちゃんは植物に強い関心があり、どこからこの知識が出てくるのだろうと思うほど、よく知っていたが、実際、植物のことになると、スイッチが入ったようにとても積極的になり、雰囲気が変わる。 「ああ、これは彼女の領域だ、彼女の世界だ」 そう思った。 Aちゃんは私を見ると嬉しそうに走ってくるようになり、ほぼ毎日会うようになった。私は父親とも会話をするようになり、父親の表情も次第に柔らかく自然体になっていった。 変化を起こすために、私は何か行動をしたわけでも頭で考えたわけでもなかった。私が意識的にリセットしただけのことだった。 「リセットしたことで次元が開いた」と私のハートは言う。 それは転換点となる。物事が肯定的に目に映り始める。すると、ドミノ倒しのように、肯定的なことの連続になっていく。 それだけでなく、以前あったことはもう起きず、というよりも、それは存在しなかったかのように、新しい現実だけが目の前で起こった。 Aちゃんは私に大きな声できちんと挨拶するようになり、野菜を勝手に採ることはしないだけでなく、採りたいという素振りも見せない。欲しい時は、欲しいとはっきり言うようになった。 欲しいと言った時は、私は快くあげた。バジルの葉を1枚ちぎると、Aちゃんはすぐ鼻に持っていく。子供なら、すぐに飽きたり他ごとに気が移り、地面に捨ててしまったりするものだが、彼女はずっと大事そうに握っていて、家に持ち帰るのだった。 Aちゃんは、いつも裸足で中庭を駆け回っていた。あっちの植物、こっちの植物をチェックする様子は、まるで花から花へと飛び回る蝶のようだ。 「Aちゃんは裸足が好きだね。土がひんやりして気持ちいいね。草も柔らかくて気持ちいいね」 「うん、わたし裸足が好きなの。裸足気持ちいい!裸足好き!」 「Aちゃんは、畑が大好きね。野菜やお花が大好きだね。虫さんとも仲がいいね」 「うん、大好き!」 私は、振り返って後ろに立って見守っていた父親に言った。 「Aちゃんは妖精ちゃんみたいですね」 父親の顔がほころんだ。 「そうなんですよ、この子は特に植物が好きみたいですね」 その声は優しかった。 妖精だなんて、そんな言葉をかけられたら変に思う人も多いだろうが、父親のハートがその瞬間少し開いたのがわかったので、私は自分のハートからの言葉をストレートに言ってみてよかったと思った。 父親は、表情がほころぶ直前までは、娘を護る門番のように構えていた。娘の振る舞いを懸念し、他人からいつどんなことを言われるかと緊張しており、頭の中で色々考えていたようだった。 少なくとも、私に対しては、もう緊張しなくていいとわかってもらえれば嬉しい。 私の畑のキュウリが終わってから1ヶ月ほど経ったある日、Aちゃんと父親が畑にやって来て、「いつももらってばかりなので、どうぞ。今度はこちらから」と言ってキュウリを1本くれた。自分の家の前に、小さな野菜畑を作ったようだった。 「まあ、ありがたい!もううちでは終わってしまったので、ありがたいです」 それからAちゃんとも父親とも会わなくなった。 Aちゃんは秋から幼稚園へ通い始めたと、しばらくして隣人のTさんから聞いた。 この父娘との出会いはキュウリ事件で始まり、私はキュウリをあげて不思議な体験をし、キュウリをもらって終わった。それは、何かひとつの物語が幕を閉じたようであった。 と思いきや、最後にドドーンと大きいのがやってきた。 それはハロウィーンの日だった。 私が買い物帰りに、自分の畑に寄った時のことである。中庭にAちゃんが母親と一緒にいたので挨拶をしたところ、Aちゃんは真面目な顔で私をじっと見つめていた。 「ママ? ママ?」 母親は彼女の隣に立っていたが、Aちゃんは私から目を離さず、探るようにそう言った。 一歩近寄ってきて 「ママ? ママなの?」 と、私の目を覗き込みながら、確かめるように言ったのだった。 その時は黙ったままだったが、私はどこか遠いところでドアを叩かれているような感触があった。 今、私は心の中でそっと言う。 「わかってるよ。はるか彼方のあの星のときから知ってるよ」 日常が気づきと癒しと共にシフトし、豊かさを増していく。 今生きているこの世界は薄っぺらではなく、多くの層に包まれて、息づくように躍動しながら常に次へ、次へと展開していくのである。 そうやって加速して拡大していく日常での体験自体が、今までと異なる次元へと移行する中で、宇宙の流れと共に、現実はますます多次元的な色を帯びていく。 「この光は情報であり知性である」 それはどんな情報なのだろう?とは思ったが、頭でわかるものではない。無理に何かをするのは違う。スペースを与えておけば、必要なものはやってくる。 結局、それでよかった。その後、滞在中に具体的な形となって現れ、クリアーなメッセージとなった。 それは、世界各地で起こっている混沌とした状況を超える意識を指し示していた。 結論から言おう。 共通の善(深い部分で私たちが求めるもの)に向かって、互いに尊重し合い、手を取り合い、一緒に取り組む(創造する)喜びを共に分かち合う意識。 それは最初からあり、本来難しいことではないのに、世界で起こっていることを見ていればその逆で、負のエネルギーが際立ってきていることも明らかである。 メッセージは、この大地で起こった過去の出来事から発せられており、私はアメリカに滞在中に3つのものを見せられた。 <1. 燃える川> 今回、義母と義姉家族が2年前に転居したオハイオ州アクロン市に滞在した。私は、オハイオ州を訪ねるのは生まれて初めてなのだが、日本を出る前に、既に予感がしていた。 以前タッチドローイングで描いた、ある特定のサポートする存在の顔が頭に何度も浮かび、その存在のエネルギーが私の内側で強まっていた。そして、その顔と共に、目の前に広がる平原や木々のイメージが浮かんでいた。 この存在は過去の私であり、特に今回、私を導いていることを感じ取った。 実際、義姉の家に到着すると、その土地はイメージに浮かんだ風景と似ていた。周辺の自然のエネルギーが懐かしく、私の奥深くが喜んでいるのがわかった。 3泊4日で移動時間を除くと、正味2日の滞在。後で振り返るとその2日の間に、よくもまあきっちり組み込まれたものだと感心してしまうほど、必要なものが与えられた。 それは、こんな形でやって来た。 「カヤホガバレー観光列車の旅」を義母が予約し、私が到着した翌日にスケジュールが組まれていた。それは2時間ほどの乗車で、車窓からの風景を楽しむというものだった。 雄大な自然を楽しめるのかと思っていた私の期待は大きく外れ、列車は西部とは異なるなだらかな平地を流れるカヤホガ川に沿って走り、五大湖のエリー湖近くの終点で折り返す、というものだった。 線路にあった倒木を除去する作業で出発が2時間遅れて(これがとてもアメリカ的!)駅に入ってきた列車は古く、時速20キロほどの速度で進む。観光列車というと、窓が大きなワイドビューを想像しがちだが、古いからか窓が曇っていて、景色がはっきり見えない。 乗車の前日に夫が「明日、カヤホガ川に沿って走るトレインツアーに行く」と言った時、川の名前は英語ではなく、先住民が名付けたものだと思った私の直感は当たった。カヤホガとは、先住民の言葉で「曲がりくねった」という意味だという。 出発してから数十分後、川岸でカヌーを背負った先住民の男性の銅像が目に飛び込んできた。車内のツアーガイドによると、エリー湖へ注ぐその川は、かつてカヌーでの往来が盛んで、自然が豊かだったそうだ。 しかし、その場所はその後豹変した。下流部は流れが穏やかなこともあり、船舶の航行が可能であるため運河が設けられ、沿川には工業が発達し、多くの工場が設立された。 アクロン市は、「世界のゴムの都」と呼ばれており、グッドイヤー、ファイアストン、ゼネラルタイヤに代表されるタイヤ製造業が盛んとなった。 工場からの汚染物の排出に対する規制が全くない時代。日本でいうと水俣を思い出させるが、汚染はそれよりもはるかに酷いものだった。 工場から排出された廃油などが何かのきっかけで発火して、1800年後半から100年の間に火災が13回発生した。川が燃えるのである。 1969年に起きた火災はタイム誌で取り上げられ、同誌では「カヤホガ川は米国で最も水質が汚染されている」と紹介するとともに、「ここで溺れることはない、融けてなくなってしまう」という地元住民の冗談も紹介したという。 この話をするツアーガイドが、さらにこう言った。 「水質は想像を絶するもので、ここで初めて環境保全という考えが生まれたのです。民主党と共和党が手を取り合って、環境保護庁を設立した。対立し合うのではなく、環境を守ろうという共通の目的で、力を合わせたのです」 この時、私のハートの奥でピン!という音がした。その話を聞いていた人たちも、「民主党と共和党が手を取り合って」というところで、目を見開いて反応していた。 非難し、対立し合っている場合ではない。二党制、与党と野党など、二つに分かれて互いに非難し対立するだけの中から、人類共通の善なるものが創造されるわけがない。 なんと馬鹿げたことだろう。なんと未熟なのだろう。 人間は、極限までいかないと変わらないのだろうか? そのような分断、対立、争いのエネルギーと混乱の波が世界各地を覆い、激化している。しかし、そこで忘れてはいけないことがある。 自分もこの地球の住人の一人であり、それを引き起こしているあらゆる要素から、自分を引き離すことはできない。なぜならば、気づかないだけで、それらは集合意識として今の自分を構成している一部となっているからだ。 私たちの中に深く染み込んでおり、日常の中で無意識にそれをやっている、ということに気づくことから始まる。家族の中で、職場で、地域で。それは外にない、ひとりひとりの中にある。 カヤホガ川に自然が戻ったのは、まだ最近のことだ。70年近く姿を消していた白頭鷲を最初に発見したのは、2006年とのこと。そこから、生き物たちが確実に戻りつつある。 私にとって、この列車の旅は単なる列車の旅ではなかった。経済優先と自然破壊という形で見せられた過去の一例は、メッセージだった。 よりよく生きたい、と思っているのに、近視眼的なものの考え方や振る舞いがもたらす破壊から抜け出せないで来たのは、意識が変わらないため。 しかし今、新しい方向性、新しい意識が変化の波となって、私たちを内側から押し出す力が強まっている。 <2. 栄華の世界> 翌日待っていたのは、広大な敷地と栄華を極めた大豪邸のツアーだった。英語では「エステート」という言葉が使われ、国の歴史的建造物に指定されている。 そこはアクロン市の観光スポットにもなっており、義姉が遠方からの来客のためにと、年間パスポートを持っていたので、夫と私も利用させてもらった。 グッドイヤータイヤ社の共同創業者フランク・A・セイバリング氏の屋敷である。敷地は東京ドーム130個に相当し、1910年代に建てられたチューダー式の屋敷の面積は、5,990 平方メートル。日本のお城のようなものなのか?ちょっと想像できないスケール。 音楽堂、室内プール、40席確保できるダイニングルームは、スケールも豪華さも際立っていた。有名歌手や音楽家、ダンサーなどが全国から招かれ、パフォーマンスを披露したという音楽堂には、壁にパイプオルガンが埋め込まれ、大理石で作られたプールは家族全員が楽しめるように、場所によって深さが異なっていた。 富と繁栄・栄華の世界と、死にゆくカヤホガ川。それは、あまりにも対照的だった。 虚しかった。 「地球に降りかかることは、地球のすべての子どもたちに降りかかる。大地は人間のものではなく、人間は大地のものなのだ」 シアトル酋長の言葉が響く。 オハイオ訪問の目的は義母に会うことだったが、それ以外にもあることは、日本を出発する前から薄々感じていたが、これだったか、と思った。アクロン市で見せられたものは、私にとっては意味あるメッセージだった。 だが、それで終わりではなかった。 <3. 酋長の墓にて> オハイオから友人宅に戻り、日本に帰る2日前のこと。 ダイニングルームで友人とお茶を飲みながら話をしていると、突然、友人が「明日チーフ・シアトルの墓へ行こう!」と言い出した。 「なんか突然浮かんだのよ〜。順子さん、今行くときみたい。一緒に行こう!」 20年住んだ間に一度も訪れなかった機会が、その時突然やってきた。 チーフ・シアトル(1786年-1866年)は、その地域に居住していたスクワミッシュ族とドゥワミッシュ族の長であり、シアトルという市名は、チーフ・シアルス(シアトル)の名にちなんで付けられた。 墓は、シアトルの街から湾を隔てた島にあり、友人が車を運転し、フェリーで渡ることにした。 フェリーで出発するときにダウンタウンには霧がかかり始めていたが、エリオット湾を進むにつれて霧が濃くなり、視界が遮られた。 海の上に広がる霧を見つめていると、そこから異次元の空間が現れ、先住民の魂がそこに集まってきているのを私は感じ取った。 やがて、霧が晴れ始め、反射した光が薄い虹色の弧となって目の前に現れた。友人と私は、黙ってそれを見つめていた。 「私たちは祝福されている、招かれている」と思った。 島に到着すると、これ以上ないというほどの青空が広がっていた。この地域は雨や曇りが多く、9月の終盤となると空は灰色の雲に覆われ寒いのだが、この日は朝から夏のような気温になっていた。 墓に到着して車から降りた瞬間、涙が出た。ほんの一瞬、奥深くから押し出されるような感情があったが、すぐに消えた。それは悲しみではなく、私のハートだけが知っている酋長への敬意のようなものだった。 墓の中央には白い十字架があり、それを挟むように二本のトーテムポールが立っていた。 それは異様な光景だろう。先住民の中には、腹を立てる人が多いかもしれない。「コロンブスが来た時に、全ての悲劇が始まった」という言葉を何度か耳にしたことがあるが、彼らの怒りと恨みは根深い。
以前の私がここを訪れていたら、私も不快に思ったことだろう。 しかし今、チーフ・シアトルのスピリットに意識を向けると、私が感じ取ったのものは、そういったレベルを超えていた。 トーテムポールと十字架がそこに並び、真っ青な空を仰いでいるように、そこには過去の出来事にまつわる否定的な感情はなく、こだわりがなく、全てを包み込んでいた。 (日本に帰国してから知ったことだが、チーフ・シアトルはのちにフランスの宣教師によってキリスト教に改宗し、ローマ・カトリック教会で洗礼を受けた)。 異なる信条、あらゆる異なるものがそのまま存在し、互いを尊重し合い、ひとつに溶け合う。私はそれを空間に感じた。それは、やがて来る未来へと続いていた。 空を見つめた。上へ上がれば上がるほど、視界が広がる。視界が広がれば、小さな違いにフォーカスはされず、違いが吸い込まれてひとつになっていくような感覚になる。 ひとつになった時、眼下には地平線が果てしなく広がる。 私たちは、その地平線上に生きている。 「生きとし生けるものがひとつの家族であり、空気にも海にも木々にも丘にも、足が触れるその大地にも、あらゆるものに祖先の魂が宿り、眼差しが満ちている。私たちは決して孤独にはならない」 チーフ・シアトルの墓から伝わってきた。 それぞれ違っている。違っているのが当たり前。しかし、違っていても、結局みんな同じ。それは人間だけではない。生きとし生けるものに上も下もなく、みんな等しく、全てが繋がっている。 その感覚は、決して外から得られるものではない。内側からのみ感じられ、それを理解した時、その繋がりの中に溢れる豊かさを見出だす。そこには恐れはなく、愛が満ちている。 その豊かさは経済の繁栄とは違うもの、金銭では得られないもの、減るものではなく拡大するもの。そこには恐れはなく、愛が満ちていることを知るだろう。 その豊かさから生み出されるものには、喜びに満ちた可能性が潜んでおり、その未来を選択する意志がその未来を創造する。 救世主は自分の中に存在する。 <終わり> 後編「新しい視点 ― 超えたその向こうに」は、こちら シアトルに戻ると、必ず訪れる場所がある。 そこは、住宅地の中に古くから残されている自然公園。 その歴史は1887年にまで遡るそうで、当時巨木が林立する森であった。かつてそこには泉があり、小川を鮭が遡上し、近くには先住民も住んでいたとのことである(ということを、この文章を書く前に知った)。 その後原生林は切り倒され、全体が整備されてしまったが、今でも自然が残り、独特なエネルギーに満ちた場所である。 自然力が強い場所というのは、ヴェールが薄くなっているので、異次元に滑り込みやすく、意表を突かれる瞬間に出会うことも珍しくない。 過去に、私はここで日中にアメリカフクロウに出会い、数々の不思議な体験もした。 その公園には、私のお気に入りのスポットがある。それは、二本の大木が並んで立っている場所で、日本に引っ越してからは、私は毎回シアトルに来るたびに、その木に挨拶に訪れるようになった。 木の下にたたずんでいると、通りすがりの人から声をかけられることもある。大抵は挨拶だけだが、そうでない場合もある。 以前、ある時トレイルをこちらに向かって静かに歩いてきた中年女性が、私を見るなり立ち止まって「こんにちは」と挨拶してから、「あなたのような人が増えたら、世界は平和になるでしょうに」と言った。 いきなりだったので、私は度肝を抜かれて言葉を返せなかったが、それよりも、その女性のまっすぐな目が怖いと感じるほどだった。こちらに向かってじっと立っている彼女と森が溶け合って、空間が神秘的な色を濃くしていた。 それを感じ取ると、少しゾクッとした。「この人は一体何者なのだろうか?何が見えているのだろうか」と思ったことを覚えている。彼女が発した言葉は、私の心に強く刻まれた。 その同じ場所で、またある時は、こんなことがあった。 ヘッドセットをして歌いながら踊るようにジョギングしている中年男性が、向こうからやって来た。前屈みになってぐにゃぐにゃ体をくねらせ、足をジグザグに動かして、大声で歌いながら走っているのである。 どう見ても「変な人」だった。ドラッグでハイになっているのだろうか?と思わずにはいられないほど、自分の世界に浸っていた。少し離れた距離なので、こちらに身の危険は及ばないだろうが、私は目を合わさないようにして、その男性が早く通り過ぎてくれるのを願った。 ところがどっこい、もちろん彼は立ち止まった。そして大木を指差して、5メートルほど向こうから、わざわざ私に大声をかけてきた。 「その木にはフクロウが棲んでる。この間、5日くらい前に来た時、あの上の方にいるのを見たよ」 挨拶も何もなく、いきなりそう言った。 私は鳥肌が立った。 というのも、それはあまりにもドンピシャだったからだ。その時まで、私はそこに立って、過去のある体験を思い出していた。 これは、こんな出来事だった。 12年前に日本に引っ越すことになった時、私はこの二本の木の間に立ち、心の中で祈りと誓いを唱えた。この展開は私の人生の重要な節目であり、魂の計画であることがわかっていたからである。 長年住んだこの場所を去るのであるが、それは終わりではなく、むしろ始めであることを私のハートは知っていた。そこには、悲しみも寂しさも「さようなら」もなかった。 木の間に立つと、私の内側から自然に言葉が流れ出た。 「ここから出発します。日本に行ってきます。そこで何が待っているのかわからないけれど、それは私にとっての冒険、成長するための旅であることを知っています。その冒険の旅へと、私はここから出発します!」 心の中で言い終わった瞬間、頭上でフクロウが「ホホホホーッ!」と大声で鳴いた。それは、まるでその言葉を讃えるかのようだった。 声は近い距離だった。フクロウの鳴き声を、白昼に、しかもすぐそばで直に聞くのは、生まれて初めてだった。 姿は見えなかったが、鳴いた時に頭上の葉がカサカサと音を立てたので、その木の中にいたのは確かである。すると、その声に呼応するかのように、そこから数メートル離れた木の中で、もう一羽のフクロウが「ホホッホーッ!」と鳴いたのだった。 それまで全くの静寂だったのに、突然そのタイミングで二羽が鳴くというのは、偶然とはどうしても思えない。フクロウは私の祈りを聴いていた、私の心の中はガラス張りだと、強く感じた。 私は自分自身の意図を宇宙に投げかけ、祈りは受け止められた。 その合図のようなパワフルな鳴き声は、祝福だった。 私は鳥肌が立ち、感動して涙した。 そして今、その変な男性が近づいてくる前に、私はそのことを思い出し、「あのフクロウはこの木に棲んでいるのかな?今日はいるのかな?」と、ちょうど考えていたところだったのだ。 「その木にはフクロウが棲んでる。この間、あの上の方にいるのを見たよ」との突然の声かけは、あまりにも完璧なタイミングであり、その男性の言葉は、まるでフクロウからの返事のようであった。 これらのエピソードがまつわる木は、空高く伸びたレッドシダー(米杉)であるが、今回またしても、そこでパワフルな体験が待っていた。 その木のそばに歩み寄ると、私はあるものに目が釘付けになった。 木の幹から、新しい芽のようなものが出ているのである。 12年以上定期的にこの木を訪れてきたが、今まで見たことのないものだった。 それは、地面から数十センチほどの位置にあり、唯一そこからだけ出ている。それが何であるのか、木に詳しい人なら説明できると思うが、私にとって、それはさほど重要ではない。 どのようなタイミングで何が目に映るか、その時にハートは何を感じ取るか、ということが大切で、通常スピリットや魂は、そのような方法で語りかけてくる。 厚い皮を破って姿を現した新しい芽は、幹を胴体とすると、この木の手のように見えた。私の目には、小さいが力強い熊の手のようにも見えた。 頭で解釈をする必要はない。むしろ、それをすると歪んでしまったり、極端に制限されたり、素直に受け取れなかったりする。 新しい芽の存在、そのエネルギーを感じてみる。 そして、全体を司るこの大木の存在とそのエネルギーを感じてみる。 内なる力はとてつもなく強く、そこから目には見えない巨大なエネルギーの波が拡大していくのを感じ取った。 木々も私たちも同じである。ただ形が違うだけ。私たちひとりひとりも本来同じものを持っている。 宇宙の波は、それを自覚して、本当の自分を取り戻していく方向へと私たちを押し出している。 大木から姿を現した新しい芽は「新しい目」であり、同時に「新しい手」でもあると、私のハートは感じ取った。 意識が変化すると目に映る世界も一変する。新しい目と新しい手で創造していく段階に入ったことを、このような形で見ることで、よりクリアーに意識化できるようにと、私は見せてもらったように感じた。 喜びが湧き起こり、ごく自然に体が動いていた。供え物をして歌(音)を口ずさみ、その芽の存在を讃えた。 すると、それまでうす曇りだった空間を押し出すように太陽が現れ、光がみるみるうちに強まっていった。その光の波は眩しく、私は目を閉じて全身に浴びた。 二本の大木の間から差す光を写真に捉えると、このような姿となった。 それを見た途端、頭に浮かんだものがあった。 それは、数年前に友人が私のために作ってくれたサンキャッチャーだった。 友人宅に戻ると、先日オーブンで火傷した部分がヒリヒリと痛み出したので、それを友人に話すと、彼女は「これいいよ〜、すぐに効くから」と、CBDオイルを出してきてくれた。 それを見て、思わず唸った。 なんと、ラベルのデザインはあの光のようではないか! 友人に森で撮った写真とペンダントを見せると、彼女は両腕をさすりながら
「わあ〜鳥肌立ったぁ。これ、全部同じじゃん!」と言った。 このCBDオイルは、ある女性が作った特別なものらしく、名前が「シリウス」となっていた。 「う〜ん、また来たかぁ」 様々な角度から何度も不意を突いてくる「シリウス」という存在。 そこを探求する興味は今はないが、私は森で新しい光を受け取ったと感じている。 その光から私が受け取ったものは、その後、滞在中に具体的な形となって現れ、今とても重要なクリアーなメッセージとなった。 それは、あまりにもわかりやすい形でやってきた。 「そうか、このために私は今回アメリカに来たのか・・・」 <次回に続く> <「財産管理」という代物>
「面倒くさいなぁ・・・」と思った瞬間、私は向きを変える。するとそれは去っていく。いつしか面倒と思うことはしないようになった。 ズボラになったわけではない。面倒 = やりたくない = やりたいと思う気持ちがない、ということで、私の気持ちと一致していないので選ばない、というだけのこと。 以前は全部自分でやろうとし、無理をしてでも頑張ってやってきた。面倒くさいと思うことさえ自分に許さず、自分自身にかなりのストレスを与えてしまっていた。随分長い間、このパターンをやってきたのだったが、最近は考えるより先に、この「面倒くさい」が来てしまう。 それだけ自分に正直になったということだ(笑)。 「面倒くさい」が強い味方となると、そこからハートはさらに教えてくれる。 「どちらに意識を向けるかが大事だよ。『自分の気持ちと一致していないので選ばない』にフォーカスするのではなく、『自分の気持ちと一致したことを選ぶ』に最初からフォーカスするんだよ。これも練習。日々実践しているうちに慣れてきて、自分の内側の感覚と一致した時間が徐々に増え、どんどん安定してくるよ。すると起こること、体験することにも変化が現れるよ」と。 それをやり始めると、実際面倒くさいと思うことが減ってくるので面白い。そう思う状況にならないのか?それとも、以前は面倒と思ったことを今は面倒と思わなくなったのか? 多分その両方が起こっているのだろうが、エネルギーが下がることが減ってきて、何かがきっかけで下がってもまたすぐに元に戻れる。感覚がどんどん開いてきて、面白い体験が増えるのは確かである。 そんな私に、突然面白くないものがやってきた。 「財産管理」という代物。 <面倒くさいものがやってきた?> 子供もいないし家も持っていない。ものを所有することに縁がなかった私に、この年になって回ってきた親の財産の管理。 財産と言っても、世間から見れば大した額ではないだろうが、私は自ら進んで関わろうとは思わなかった。お金のことに法律が絡んで、価値、損得、権利、規制、規則、責任など、堅苦しいものが勢揃いする。 それらを考えただけで気が重くなる。難しそうで面倒くさく、私は触れるのを避けてきたわけだが、今回父と母の入所と併せて、それがやってきた。 先日の投稿ブログで、幾つもの信じられない展開があり、父と母が有料老人ホームへ超スピード入所した話を綴った。その中で言及したが、私は介護施設について知識もなく、何もわからない状態だったにも関わらず、結果的には必要な情報がもたらされ、全部サポートされて、与えられるべきものが与えられた。 今回、財産管理についても、自分で調べたり勉強したりしなくても、ある日、そろそろタイミングかな?という気配が訪れ、それに従って行動すると情報が与えられる展開となった。 これも波のようにやってきたが、父と母の入所とは違った種類の体験をもたらした。 財産管理に対して私が感じていた重みは最初からどこかへ吹っ飛んでしまい、「こんな大事なことなのに、本当にこんなことで良いのか?」と戸惑ってしまうほどの軽さと不思議な繋がりに驚く結果となったのだ。 ケアマネージャーさんが案内人として情報の入り口で迎えてくれたので、私はその入り口をくぐったわけだが、そこに新しい人々がエキサイティングな形で登場し、宇宙の計らいのようなものを感じることとなった。 さて、何がどのようにエキサイティングなのか。 そのお話をしよう。 <このご縁、面白すぎる!> ケアマネージャーさんが、相続に精通している保険会社の人に最近たまたま会ったということで、私にその人を紹介してくれることになった。まずは話を聞いて、話の流れで必要になった場合は、司法書士などの専門家に相談すれば良いのではないか、というケアマネージャーさんのアドバイスに私は従うことにした。 その保険会社の人がどういう人か、私は全くわからない。ただわかりやすく説明してくれ、裏話なども知っている人、ということだけを聞いていた。 私の頭の中には、世慣れた、というよりも、ちょっと世間擦れした話好きな小太りの中年男性のイメージがあった。スーツ姿で年は50代くらい。私はまな板の上の鯉状態となり、きっとグイグイ押され、訳もわからないまま何かに加入させられるのかも、と思った。 ところが、私の目の前に現れたのは、ほぼ普段着姿の30代女性(以下Yさん)だった。笑顔が爽やかで、ビジネスの匂いがしない。というよりも、彼女の素人っぽすぎる雰囲気は、保険会社の営業員に対する私のイメージとかけ離れていた。 Yさんと会った瞬間にスッと引き合うものを感じただけでなく、向かい合った時にハートが開いて自分から発せられるエネルギーが広がったので、私は「おやっ?」と思った。 ケアマネージャーさんも同席してくれ、ミーティングは打ち解けた雰囲気で始まったのだが、始まるや否や、私の口から不意に出たのは夫のことだった。 「私の夫はもともと法律家なのですが、アメリカ人なので日本のことはわからなくて・・・」 「私は財産管理についてわからないので教えて欲しいです」と言えば良いのに、なんで夫のことが出て来たのだろう?と内心と思った。 すると「そうなんですか。実は私、仙台の大学で法律を勉強しました。何だかご主人と共通点がありそうに思います」とYさん。 「ええっ?仙台!?」 ここでいきなり仙台が出るとは! 「私、仙台に住んでいるんですよ。どちらの大学を卒業されたのですか?」 なんと、夫が勤めている大学だった。 「えっ、私たち、そのキャンパスの前にある宿舎に住んでいます」 「ええーっ、そうなんですか?!」とYさんは驚きながら、アハハハっと笑う。 「Yさん、ご出身は三重県のどちらですか?三重から東北の大学へ入るというのは、珍しいですね」 私はてっきり三重の人だと思っていた。 「いえ、山形です。山形から仙台まで電車通学していました」 「ええーっ、山形ですかぁ。山形のどちらですか?」 「山形市です」 「そうなんですかぁ、私は山形が大好きで、時々行くんですよ。緑町の歯医者にも通ってます」 「実家の近所です・・・」とYさんは苦笑。 「ええーっ?わあ、不思議なご縁!!」 本題へ入る前に、ケアマネージャーさんそっちのけで、二人で盛り上がってしまった。ケアマネージャーさんは、あっけに取られている様子だった。そりゃあそうだろう。 「来たぞ、来たぞぉ〜!ケアマネージャーさん、やるなあ、またまた不思議なご縁を運んできた」と私はワクワクした高揚感に満たされた。 このように、ハートは楽しんでいた。一方、マインドは、相続についての説明といえども結局は営業が目的なのだから、相手がどこでどう出てくるのか見守ろう、と慎重さを保っていた。 <こんなに軽くて良いの?> ライフプランナーという肩書きのYさんは、実際とても誠実だった。相続シミュレーションの書類を作成し、選択肢を再確認するために、後日私と姉がいる実家へ来てくれた。 「先日、夫と伊勢神宮へ行って来たんです」と言って、Yさんが手土産を差し出したので、私は驚いた。100%ビジネスなのに、個人的なお土産っぽい。 姉もYさんへのお土産を用意しており、お土産交換になってしまった。 お茶菓子に私が仙台から持ってきたずんだ餅を出すと、「ずんだ、大好きです〜」と言いながらYさんは嬉しそうに頬張った。相続というシリアスな話であるのに、姉も私と同様、当事者感が薄く、結局3人の女友達がおしゃべりするような雰囲気のまま話し合いは終わった。 こんな軽くて良いのだろうか? 良いのである。 親の預金も最後にはいくら残るかわからないし、この先夫の仕事も住む場所も、現時点ではどうなるか考えてもわからないので仕方ない。 「この家があるからホームレスにはならないでしょう、くらいのスタンスでいれば良いんじゃない?この家に焦点を合わせるのではなく、自分が何をしたいか、どのように生きたいかを優先させること」と私のハートは言う。 ハートに意識を合わせていると、心配や不安になったり、ごちゃごちゃ考えたりはしなくなる。余計なことを考えてエネルギーを浪費するということがないので、楽でいられる。 <司法書士に依頼する> 結局、Yさんが司法書士を紹介してくれ、土地・家屋の生前贈与の手続きを進めることとなった。 ここからは司法書士にバトンタッチされ、私はYさんの役割はこれで終わったと思ったが、Yさんはその後も取次ぎ役としてこまごまと世話をしてくれた。 私は司法書士は当然県内の人だと思っていたが、紹介されたのはYさんが所属する大阪地域の方だった。請求書を見ると、三重までの出張料が記載されており、これは想定外のことだった。 結構な金額なので、以前の私なら悩むところだったが、素直に自分の期待とは違っていることを伝えると、Yさんがこう言った。 「もちろん、県内の先生もご紹介できます。ただ、この大阪の先生は結構有名で、引く手あまたで全国を飛び回っていらっしゃる方です。司法書士の経験が浅く、後でトラブルになるケースも多い中、この先生ならご安心いただけるということで、自信を持ってお勧めできます」 司法書士の選択肢は私にあった。 Yさんは口がうまい営業レディーと取るのか、誠実な人だと取るのか、という解釈の選択肢も私にあった。 私は、うちのこんな小さな案件でも丁寧に扱ってくれているYさんの姿勢を素直に嬉しいと思った。 そう思った瞬間、彼女が言った。 「それと、出張は回避できます。私がオンラインでの面談をお世話しますよ」 ということで、出張費がなくなり、Yさんの余分な仕事が増えた。だが、Yさんからの手数料の請求は最初から一切ない。 面談の場所もすぐに決まった。ケアマネージャーさんは、父と母が通っているディサービスの施設長でもあり、ミーティングルームを快く提供してくれた。 ディサービスの途中で父を呼び出すだけで良く、休ませる必要がないので、双方にとって都合良かっただけでなく、私はそこで母にも会えるので有り難かった。 <素早く切り替える> 面接の前日、私は老人ホームの部屋で父に言った。 「お父さん、家のことで明日司法書士と会うからね。家のこと覚えてる?」 父の目が泳いでいた。 「家?ここが家と違うか?どこのことや?さあ、わからん」 「お父さん、自分の家を建てて、長い間そこに住んでいたんだよ」 「・・・・」父は首を傾げていた。 「俺は施設には行かない、家に残る」と常々言っていた父は、今施設を家だと思っていて、自分の家のことは記憶にない。 家に残りたいという言葉を聞いて、私は、父は最期まで家にいたいのだから、そこから引き離すことは残酷だ、という考えを持ち続けていたが、それにこだわっていたら、置いてきぼりになるところだった。 1から10までの連続するアナログから、1か0、オンかオフしかないデジタルへと変化するように、父と母の脳からは過ぎたことは次々と消去されていく。 そのため、以前がどうであれ私はそれをゼロにして、たとえ今この瞬間が10分前と真逆であったとしても、それへと素早く切り替えることを余儀なくされた。 ここ数年の間にその度合いも徐々に高まり、私がイライラせず安定した精神状態を保つためには、自分が状況や相手に対して持っていた考えを捨てて、一瞬で切り替えるのが最良だと体得した。 その切り替えの訓練のおかげなのか、私の日常にも変化が現れた。全体的に軽くなっていき、日々がより滑らかに流れていく。 切り替えに重い感情が入る隙はなく、軽いほど切り替え易くなる。そして、切り替えた瞬間に前へと押し出されるので、軽い状態を保ったまま体験の質が加速的に変化していく。 父と母は認知症という形で、私を困らせているのではなく、逆に、私が古いパターンを抜けて、次のステップへと進む助けをしてくれていると私は思う。認知症を私の味方にできる視点が、またひとつ増えた。 <意表を突く出会い> さて、司法書士との面談の日となった。 ディサービスを抜け出してきた父は穏やかな様子で、Yさんときちんと挨拶した。落ち着いて堂々としているので、状況を完全に把握しているように見えるが、実際はどうなのか疑問である。 YさんがパソコンでZoomを立ち上げ、司法書士と父と私のオンライン三者面談の準備が完了した。 この日司法書士と初めて会うわけだが、Yさんから「引く手あまたで全国を飛び回っている有名な方」だと聞いていたので、どんな偉い人かと思って私は緊張していた。 その「有名な方」は、私の頭の中でこんなイメージがあった。 完璧な身なり、肩幅が広くどっしりとしていて、髪はグレーできちんと分けている、威厳のある雰囲気、いかにも頭が切れそうな60代くらいの男性。 Yさんの「今、先生がお入りになりました」の一声で、私はそのイメージを再び頭に描いたのだが、パソコン画面に現れた司法書士に意表を突かれた。 完璧な身なり → ノーネクタイで、セミカジュアル 肩幅が広くどっしり → 小柄 髪はグレー → 黒々 威厳 → ない 頭が切れそう → そうなのだろうが、そう思わせないというか、邪魔が入る 60代 → 30代 と、私の想像とはかけ離れた方が現れたわけだが、それよりも何よりも、画面に現れた瞬間、その方はどうしてもお笑い芸人にしか見えなかった。そう、お笑い芸人。 俳優の大東俊介さんと吉村大阪府知事を足して2で割ったようなお顔で、ニコニコ微笑んでいる雰囲気は、ご本人は普通であるのに、まるでお笑い芸人なのである。 その雰囲気に大阪弁のイントネーションで説明されると、真面目なはずなのに、私はお笑いの世界へと引っ張られてしまい、どこかでオチがつくのを密かに期待してしまっているのを、ご本人は気づいているだろうか? 事務所名とロゴマークをZoom画面の背景にしてデスクに座っている司法書士が、ステージの休憩時間に控え室からインタビューする芸人に見えてしまうと、丁寧に慎重にお話しされているのに、言葉が大阪弁の音とともに、私の中で自動的に楽しく軽い感じに変換されてしまう。そうやって、軽いまま進行していくのである。 しかし、ヒヤッとする場面もあった。 父は司法書士から名前と住所、生年月日を尋ねられた時、住所のところで「住所、住所、どこやったかなあ、へへへっ」と照れ笑いをしながらキョロキョロ周りを見回した。 「あっ、まずい」と私が思った瞬間、父の口からスラスラ出てきたのは、自分の生家の住所で、得意そうにしっかりと番地まで言った。 その場の空気が一瞬凍りついた。 私は仰天し、父が自分が贈与する家の住所を言えなければ、手続きは完全にアウトになるのではないか、と焦った。 しかし、そこはプロ。司法書士は何事もなかったかのように、住所を穏やかに誘導してくれた。 それにしても、父は私を自分の妹だと思っていたり、93歳にして生家の正確な住所が出てきたりと、私は驚くことばかり。しかし、驚くたびに、父への人間としての愛おしさが増すのだから不思議である。 Zoomが終了した後に、私は思わず言った。 「司法書士さん、お笑い芸人に似ていません?」 Yさんが声高らかに笑い、途中で部屋に入ってきて進行を見守っていたケアマネージャーさんも笑いながら言った。 「そうそう、『吉本です』って言っても通用してしまいそうな感じでしたよね」 やっぱり私だけではなかった。 <さらに驚くことが!> 相続という重みを感じることなく、こんなに軽く楽しく進んでいって良いものか、と私のマインドは立ち止まるのだが、「重いものにも難しいものにもする必要は最初からない」とハートは言う。 今回の親の入所にしても財産管理にしても、私は意外な展開に驚くばかりなのだが、最後にもうひとつ驚くことがあった。 提出する登記済権利証は、父が家を建てた51年前に作成されたものであるが、テーブルの上に置かれたその権利証の表紙を見たケアマネージャーさんが、「あっ、うちのおじさん!」と叫んだ。 表紙には当時手続きをした司法書士の名前が記載されており、なんとそれがケアマネージャーさんの叔父さんだったのである。 目の前の空間が渦巻き、私は鳥肌が立った。 <そらのトンネル> ゴールデンウィーク過ぎに実家に行ったところから、まるで別次元に入ったかのように、親と家のことで思ってもみなかったことが矢継ぎ早に起こり、あれよあれよという間に、私ははるか遠い場所まで運ばれてしまった感がある。 この3ヶ月の間に起こった出来事は、どれも中身はシリアスなことなのに重みはなかった。新しい人々との出会いと不思議なご縁はエキサイティングで、私のハートは弾んでいた。 起こったことのひとつひとつは全てあらかじめ計画され、お膳立てされていたとしか言いようがない。 展開したストーリーは、ものすごいスピードで前進していったにも関わらず、最後に突然51年前へ引き戻し、ケアマネージャーさんの叔父さんの存在が登場したというオチになった。 その時、私は「目の前の空間が渦巻いた」と言ったが、それはまるでここまでの流れという時間がクルンとひっくり返り、51年前という時間と繋がって円を成したような感じだった。 司法書士との面談が終わった後、私は車を運転しながら、前方の空にある不思議な雲に気づいた。それは「実家の生前贈与という大事なことなのに頭が動かず、あんな軽い感じで署名捺印をしたが、本当にあれで良かったのだろうか?」と、ちょうど私が考えていた時だった。 青空が広がり周りに雲はなかったので、その雲は目立っていた。 ほぼ横向きの筒状の形をしている。 「そらのトンネル?」 トンネルは、大きな口を開けていた。 そのトンネルの入り口付近には、1本の糸のような水平の雲があった。 「あれはこれからトンネルに入っていくのだろうか、それともトンネルを抜け出ようとしているのだろうか?」 雲を眺めていると、1本の糸が自分を表しているように見えてきた。 「そらは次元のトンネルを見せてくれている。私は入るのか、出るのか・・・」 頭は答えを出したがって混乱していたが、ハートはクリアーだった。 それはどちらでも良かったし、重要なことではなかった。 全体から見れば、ひとつの通過点に過ぎないほんの小さなこと。 変化に終わりはなく、意識は拡大し続ける。 |