「ママ? ママ?」 女の子は、私に言った。 母親は彼女の隣に立っていたが、その子は私を見つめていた。 「ママ?ママなの?」 私の目を覗き込みながら、確かめるように言った。 私が買い物帰りに、宿舎の中庭にある畑に寄った時のことである。そこにその子が母親と一緒にいたので挨拶をしたところ、いきなりそう聞かれたのだった。 私は沈黙のままだった。その後すぐに別の会話に切り替えたので、それはそこで終わってしまったが、後から私の内側から奇妙な感覚が現れた。 通常では知り得なく立証不能な何かが開示される瞬間を、私はこれまで何度か経験しているが、その時、五感を超えた別の領域から独特の感覚がやって来る。 何かの一部が奥の方から顔を覗かせ、頭の中が渦巻き、そこからスルスルと紐解かれて、遠い記憶や近い記憶のかけらがあちらこちらから一気に吸い寄せられ、パズルのピースががっちり合うような、ゾッと鳥肌が立つような瞬間。 「あっ!ひょっとしてこの子の目に映っていたのは!」 そう思うまでに至る道のりがあった。 隣の棟に今年引っ越してきた5歳のAちゃん。中庭で遊ぶのが好きで、私が畑で作業をしていると、必ず来るようになった。Aちゃんは畑の野菜を欲しがり、今では私も気前よくあげるようになったが、実はAちゃんとは否定的な出会いをしている。 最初に出会った時、Aちゃんは父親と一緒にいた。まだ、キュウリがなり始めの初夏のこと。Aちゃんは隣人のTさんと私がいる畑へやって来て、小さいキュウリを何本か石の上に置いて言った。 「白いキュウリ2本と緑のキュウリ1本採った!」 それはチェンおじいちゃんの畑のキュウリだった。おじいちゃんが天塩にかけて育てており、まだまだこれから大きくなる途中のものだったが、Aちゃんが畑から採ってきたのは明らかだった。 隣人のTさんも私も驚いた。近所に小さい子供はたくさん住んでいるが、そのようなことをした子供に今まで出会ったことがなかったので、ショックだっただけでなく、私たちはこのまま放置してはいけないと思った。 「他人のものを許可なく勝手にとってはいけない、という社会ルールを知らないのか、まだきちんとしつけられていないのかもしれない。ここで注意しなければ、この子は採り続けるだろうし、今度は私たちの畑も荒らすだろう」と思った。 私たちもチェンおじいちゃんからもらった種から同じキュウリを育てており、Aちゃんは、私たちのキュウリにも強い関心があった。 Tさんがそばにいた父親に声をかけて注意すると、父親は顔をしかめて言った。「あそこ、耕作放棄地じゃないんですか?」 どう見ても耕作放棄地には見えない。おじちゃんの畑は整然としているのだ。 「お子さんによく言い聞かせてください」というTさんに、父親はそっぽを向いて吐き捨てるように言った。 「わかりました」 不快な空気が漂い、嫌な思いだけが残った。 翌日、中庭でAちゃんの声がしていたので、私は部屋の窓から外を見ると、Aちゃんは母親と一緒だった。 気になったのでしばらく見ていたのだが、Aちゃんは、チェンおじいちゃんの畑の中に入り、キュウリに手を伸ばしたところを母親に注意され、畑から出た。しかし、すぐまた中に入った。 母親が慌てて抱き上げて外に出すと、Aちゃんはものすごい声で泣き叫び、母親が地面に降ろしても泣き続けていた。 その声は、どうしたらあの小さい女の子の体からこの声が出るのだろうと思うほど、びっくりするほどの大声だっただけでなく、子供の高い声とは程遠く、体から絞り出された声は地面から発せられたような太い音で、その異質な音が私の耳に残った。 Aちゃんは泣き終わると、地面に座り込んだまま、じっとキュウリを見ていた。炎天下、帽子もかぶらず、まるで体が固まってしまったかのように長い間全く動かず、キュウリだけを食い入るように見つめているAちゃんの姿に、私は異様なものを感じた。 子供は絶えず動くものだが、Aちゃんは草の上に置かれたお地蔵さんみたいになってしまっていた。 その翌日、私が畑で作業をしていると、またAちゃんが母親と一緒にやってきた。私のそばまで来ると、キュウリがなっている奥まった場所を指差し、採りたそうにしていたが母親に叱られて、しぶしぶ手を引っ込めた。 「欲しかったらおばさんに言ってね、あげるから。でもまだキュウリは小さくてこれからもっと大きくなるから、今はまだ採る時期じゃないねえ」と私が言ったが、Aちゃんからは何の反応もなかった。 Aちゃんは、今度は隣のTさんの畑に移動した。畝が畑の端にあり、地面近くに何本かキュウリがぶら下がっているのだが、そばにしゃがんでじっとそれを見つめていた。その場から動かず、執拗なほどに見つめている姿は、やはり異様に感じられた。 母親はそばにいて、「採っちゃダメよ。見るだけね」と何度も言っていた。 私は畑を離れ、裏にある水道へ水を汲みに行った。水を張った一輪車を押して、中庭の通路をヨタヨタ歩いていると、母親が血相を変えてこちらに向かって走ってきたので、何事かと思った。 「すみません、すみません、すみません!」 「??」 「キュウリを採ってしまいました!」 見ると、もぎとられたキュウリが1本、石の上に置かれていた。それは、Aちゃんがじっと見つめていたキュウリだった。 どうしても我慢できなくて、母親の目を盗んで手を伸ばしたのだろう。 「ごめんなさい!ごめんなさい!」 母親は顔を真っ赤にしていた。そこまで謝らなくていいのにと思うほど、何度も私に謝った。 私は「いいえ、大丈夫ですよ」とは言えず、黙っているわけにもいかなかったし、やはり自分の考えを伝えるべきだと思った。 「こういうことが続くと、こちらとしても困ります」 そう言った時の私の表情が、強かったかもしれない。 母親は、ショックを受けたかのように目を見開いた。その表情は強烈で、私は彼女の反応に驚いた。 母親がAちゃんを抱き上げて激しく叱ると、Aちゃんはものすごい声で泣いた。爆発したような泣き声をすぐそばで聞くと、その凄まじさは半端ない。 その瞬間、気づいた。 あっ、ひょっとして世間でいう「発達障害」の子供? 思いつくことが次々と浮かんできた。 そういえば、Aちゃんとは会話のキャチボールがない。何か質問しても答えは返ってこず、Aちゃんは関係のない自分の頭の中にあることだけを一方的に言葉にする。同じことを何度も繰り返して言うことも多く、認知症の私の母親と話しているみたいだと思うこともあった。 Aちゃんは幼稚園には行っておらず、平日でも父親が付き添っていることが多かった。他の子供達には興味がなく、中庭で一人遊びをし、常に親が後ろから見守っていた。 私は、とんでもない思い違いをしていた。「このくらいの子供なら、これくらいのことを理解していて、こう行動するのが当たり前」だと。 当たり前だという考え方が、自分の中に固定されていた。どこでどう、そうなってしまったのか。 注意されてそっぽを向いた父親は、本当は言いたいことがあったのではないか。目を見開いたが何も言わなかった母親からは、恐怖の感情が感じ取られた。 私は反省した。彼らは、日常でこのような状況に何度も出会っているかもしれない。 この決めつけを捨て、私はAちゃんに対する私の視線や視点をリセットした。リセットは、コツを覚えれば案外簡単である。その考えへ行かないよう「通行止め」にして、ハートに意識を向け続けると、考えは力を失う。 発達障害のひとつに自閉スペクトラム症というものがあるが、「スペクトラム」とは、「境界線や範囲が明確ではない状態が連続しているさまを示すこと」と定義されている。ということは、幅が広い。 範囲は程度であるが、何をもって「ここからが正常でここからは正常ではない」などと言うのか?もともと、正常って何?普通って何? 私の中から、違和感がムクムクと湧いてきた。 私たちは皆ユニークな面を持っているので、それだったら全員が何らかのスペクトラムで、それがどれだけ表に出ているか出ていないかだけのこと、程度の問題に過ぎない、それも個性、と考えた方が心に余裕ができる。 実際、そんな風に考える人が一定数を超えたら、優しくて広がりのある社会になるなあ、と思った。 こうして私がAちゃんへの視点をリセットすると、驚くようなことが起こった。 私の頭の中には、何の脈絡もなく突然何かが浮かび、そこから引っ張られるように次々と記憶やイメージが浮かぶということがあるのだが、リセットしてから数日後、それが起こった。 突然「6」という数字が浮かんで、自分は幼い頃、数字の中では6が一番好きだったことを思い出した。すると次に、東日本大震災発生の翌日に描いた絵が頭に浮かんだ。 あの日、私は居ても立ってもいられず、シアトルの自宅で突き動かされるように絵を描いたのだった。日本に向けたヒーリングの絵を描かなければならない、という強い気持ちがあった。 日本に向けるのだから日本列島が出てきそうなものだが、描けたのは、地球の内部とそれを取り巻く宇宙のエネルギーの絵だった。 感覚だけで描いていったので頭では説明不能だが、地球の中にオタマジャクシのような、数字の6のような形が6つ描かれた。 その絵を思い返しながら数字の6を感じてみると、宇宙的なもの、星のエネルギーを強く感じた。 「ああ、私は子供の頃、自分は6が一番好きだとはっきり認識していたなあ。宇宙図鑑が大好きで、ボロボロになるまで見ていたなあ」と思い出したのだった。 そんな風に6が浮かんだ後、私は野菜を採りに畑へ行った。頭の中には、まだ6の余韻があった。 キュウリを数本収穫し、畑の裏の水道で手を洗っていると、突然向こうからAちゃんが走ってきた。興奮した様子だった。 「わたし、数字の6が好き!」 (私)「!」 「わたし、6が好きなの!6が好き!」 挨拶もせず、そう叫びながら、私の方へ走り寄ってきた。真っ黒に日焼けして、裸足で走ってきた。父親が、ゆっくりと後から歩いてきていた。 私はニッコリして「そうなんだぁ、私も6の数字好きよ」と穏やかに答えた。 Aちゃんは仁王立ちになって、じっとこちらを見ていた。不思議な会話。だけど完璧。二人の間に初めて何かが行き交ったのを感じた。 「Aちゃん、キュウリ好きだよね。たくさん採れたんだけど、欲しい?」と言うと、「うん、欲しい、欲しい」と答えたので、ちょっと曲がった太いキュウリを手渡した。 Aちゃんは嬉しそうに受け取り、小さな手で大事そうに持って、そのままキュウリを鼻に持っていき、目を閉じて思い切り香りを吸い込むと、今度は、目を閉じたまま少し顔を傾けて、弓のように曲がったキュウリを愛おしそうにじっと頬に当て、優しく微笑んだのだった。 「あっ!」 その瞬間、私の内側が震え、音が鳴ると、Aちゃんの体全体から目に見えない粒子のようなものが炸裂して広がった。 「この子・・・」 私は知っていた、この子のことを。 大地から知恵を受け、たくましく生きる、母なる大地の子だったかつての姿が、今のAちゃんと重なった。Aちゃんの真っ黒に日焼けしたがっしりした足は、しっかりと接地しており、いにしえの懐かしいエネルギーが大地から発せられ、Aちゃんを包んでいた。 ああこの感じ、この波動が懐かしい! 静止した空間の中で、私のハートが緩んで広がっていく。 私の目の前にいるAちゃんは5歳の子供ではなく、子供とか人間とかの範囲を超えた力強く大きな存在であった。手の中のキュウリが愛に包まれており、キュウリはこの上なくそれを喜び、Aちゃんが輝いて見えた。 それは、純粋に美しかった! 父親は、少し離れた場所からただじっと全てを見守っていた。 その後も、Aちゃんは頻繁に私の畑へやって来ては、野菜やハーブの名前を言い当てた。まだ苗の大きさであっても、葉の特徴を捉えていてそれが何の野菜であるかを言えるし、ルッコラやローズマリー、バジル、セロリも見ただけですぐに言い当て、香りを楽しんでいた。 Aちゃんは植物に強い関心があり、どこからこの知識が出てくるのだろうと思うほど、よく知っていたが、実際、植物のことになると、スイッチが入ったようにとても積極的になり、雰囲気が変わる。 「ああ、これは彼女の領域だ、彼女の世界だ」 そう思った。 Aちゃんは私を見ると嬉しそうに走ってくるようになり、ほぼ毎日会うようになった。私は父親とも会話をするようになり、父親の表情も次第に柔らかく自然体になっていった。 変化を起こすために、私は何か行動をしたわけでも頭で考えたわけでもなかった。私が意識的にリセットしただけのことだった。 「リセットしたことで次元が開いた」と私のハートは言う。 それは転換点となる。物事が肯定的に目に映り始める。すると、ドミノ倒しのように、肯定的なことの連続になっていく。 それだけでなく、以前あったことはもう起きず、というよりも、それは存在しなかったかのように、新しい現実だけが目の前で起こった。 Aちゃんは私に大きな声できちんと挨拶するようになり、野菜を勝手に採ることはしないだけでなく、採りたいという素振りも見せない。欲しい時は、欲しいとはっきり言うようになった。 欲しいと言った時は、私は快くあげた。バジルの葉を1枚ちぎると、Aちゃんはすぐ鼻に持っていく。子供なら、すぐに飽きたり他ごとに気が移り、地面に捨ててしまったりするものだが、彼女はずっと大事そうに握っていて、家に持ち帰るのだった。 Aちゃんは、いつも裸足で中庭を駆け回っていた。あっちの植物、こっちの植物をチェックする様子は、まるで花から花へと飛び回る蝶のようだ。 「Aちゃんは裸足が好きだね。土がひんやりして気持ちいいね。草も柔らかくて気持ちいいね」 「うん、わたし裸足が好きなの。裸足気持ちいい!裸足好き!」 「Aちゃんは、畑が大好きね。野菜やお花が大好きだね。虫さんとも仲がいいね」 「うん、大好き!」 私は、振り返って後ろに立って見守っていた父親に言った。 「Aちゃんは妖精ちゃんみたいですね」 父親の顔がほころんだ。 「そうなんですよ、この子は特に植物が好きみたいですね」 その声は優しかった。 妖精だなんて、そんな言葉をかけられたら変に思う人も多いだろうが、父親のハートがその瞬間少し開いたのがわかったので、私は自分のハートからの言葉をストレートに言ってみてよかったと思った。 父親は、表情がほころぶ直前までは、娘を護る門番のように構えていた。娘の振る舞いを懸念し、他人からいつどんなことを言われるかと緊張しており、頭の中で色々考えていたようだった。 少なくとも、私に対しては、もう緊張しなくていいとわかってもらえれば嬉しい。 私の畑のキュウリが終わってから1ヶ月ほど経ったある日、Aちゃんと父親が畑にやって来て、「いつももらってばかりなので、どうぞ。今度はこちらから」と言ってキュウリを1本くれた。自分の家の前に、小さな野菜畑を作ったようだった。 「まあ、ありがたい!もううちでは終わってしまったので、ありがたいです」 それからAちゃんとも父親とも会わなくなった。 Aちゃんは秋から幼稚園へ通い始めたと、しばらくして隣人のTさんから聞いた。 この父娘との出会いはキュウリ事件で始まり、私はキュウリをあげて不思議な体験をし、キュウリをもらって終わった。それは、何かひとつの物語が幕を閉じたようであった。 と思いきや、最後にドドーンと大きいのがやってきた。 それはハロウィーンの日だった。 私が買い物帰りに、自分の畑に寄った時のことである。中庭にAちゃんが母親と一緒にいたので挨拶をしたところ、Aちゃんは真面目な顔で私をじっと見つめていた。 「ママ? ママ?」 母親は彼女の隣に立っていたが、Aちゃんは私から目を離さず、探るようにそう言った。 一歩近寄ってきて 「ママ? ママなの?」 と、私の目を覗き込みながら、確かめるように言ったのだった。 その時は黙ったままだったが、私はどこか遠いところでドアを叩かれているような感触があった。 今、私は心の中でそっと言う。 「わかってるよ。はるか彼方のあの星のときから知ってるよ」 日常が気づきと癒しと共にシフトし、豊かさを増していく。 今生きているこの世界は薄っぺらではなく、多くの層に包まれて、息づくように躍動しながら常に次へ、次へと展開していくのである。 そうやって加速して拡大していく日常での体験自体が、今までと異なる次元へと移行する中で、宇宙の流れと共に、現実はますます多次元的な色を帯びていく。
2 コメント
Alice Potts
12/5/2024 09:15:30 am
Your experience has all the ear markings if a spiritual connection with someone who recognized you from a different life perhaps even from a different planet. Thank you, Junko, for sharing your this beautiful experience.
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Junko Kurata
12/14/2024 10:03:22 am
Thank you for reading my story. I never expected that anyone except Japanese would be able to read it. How amazing the AI technology is!
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