「この光は情報であり知性である」 それはどんな情報なのだろう?とは思ったが、頭でわかるものではない。無理に何かをするのは違う。スペースを与えておけば、必要なものはやってくる。 結局、それでよかった。その後、滞在中に具体的な形となって現れ、クリアーなメッセージとなった。 それは、世界各地で起こっている混沌とした状況を超える意識を指し示していた。 結論から言おう。 共通の善(深い部分で私たちが求めるもの)に向かって、互いに尊重し合い、手を取り合い、一緒に取り組む(創造する)喜びを共に分かち合う意識。 それは最初からあり、本来難しいことではないのに、世界で起こっていることを見ていればその逆で、負のエネルギーが際立ってきていることも明らかである。 メッセージは、この大地で起こった過去の出来事から発せられており、私はアメリカに滞在中に3つのものを見せられた。 <1. 燃える川> 今回、義母と義姉家族が2年前に転居したオハイオ州アクロン市に滞在した。私は、オハイオ州を訪ねるのは生まれて初めてなのだが、日本を出る前に、既に予感がしていた。 以前タッチドローイングで描いた、ある特定のサポートする存在の顔が頭に何度も浮かび、その存在のエネルギーが私の内側で強まっていた。そして、その顔と共に、目の前に広がる平原や木々のイメージが浮かんでいた。 この存在は過去の私であり、特に今回、私を導いていることを感じ取った。 実際、義姉の家に到着すると、その土地はイメージに浮かんだ風景と似ていた。周辺の自然のエネルギーが懐かしく、私の奥深くが喜んでいるのがわかった。 3泊4日で移動時間を除くと、正味2日の滞在。後で振り返るとその2日の間に、よくもまあきっちり組み込まれたものだと感心してしまうほど、必要なものが与えられた。 それは、こんな形でやって来た。 「カヤホガバレー観光列車の旅」を義母が予約し、私が到着した翌日にスケジュールが組まれていた。それは2時間ほどの乗車で、車窓からの風景を楽しむというものだった。 雄大な自然を楽しめるのかと思っていた私の期待は大きく外れ、列車は西部とは異なるなだらかな平地を流れるカヤホガ川に沿って走り、五大湖のエリー湖近くの終点で折り返す、というものだった。 線路にあった倒木を除去する作業で出発が2時間遅れて(これがとてもアメリカ的!)駅に入ってきた列車は古く、時速20キロほどの速度で進む。観光列車というと、窓が大きなワイドビューを想像しがちだが、古いからか窓が曇っていて、景色がはっきり見えない。 乗車の前日に夫が「明日、カヤホガ川に沿って走るトレインツアーに行く」と言った時、川の名前は英語ではなく、先住民が名付けたものだと思った私の直感は当たった。カヤホガとは、先住民の言葉で「曲がりくねった」という意味だという。 出発してから数十分後、川岸でカヌーを背負った先住民の男性の銅像が目に飛び込んできた。車内のツアーガイドによると、エリー湖へ注ぐその川は、かつてカヌーでの往来が盛んで、自然が豊かだったそうだ。 しかし、その場所はその後豹変した。下流部は流れが穏やかなこともあり、船舶の航行が可能であるため運河が設けられ、沿川には工業が発達し、多くの工場が設立された。 アクロン市は、「世界のゴムの都」と呼ばれており、グッドイヤー、ファイアストン、ゼネラルタイヤに代表されるタイヤ製造業が盛んとなった。 工場からの汚染物の排出に対する規制が全くない時代。日本でいうと水俣を思い出させるが、汚染はそれよりもはるかに酷いものだった。 工場から排出された廃油などが何かのきっかけで発火して、1800年後半から100年の間に火災が13回発生した。川が燃えるのである。 1969年に起きた火災はタイム誌で取り上げられ、同誌では「カヤホガ川は米国で最も水質が汚染されている」と紹介するとともに、「ここで溺れることはない、融けてなくなってしまう」という地元住民の冗談も紹介したという。 この話をするツアーガイドが、さらにこう言った。 「水質は想像を絶するもので、ここで初めて環境保全という考えが生まれたのです。民主党と共和党が手を取り合って、環境保護庁を設立した。対立し合うのではなく、環境を守ろうという共通の目的で、力を合わせたのです」 この時、私のハートの奥でピン!という音がした。その話を聞いていた人たちも、「民主党と共和党が手を取り合って」というところで、目を見開いて反応していた。 非難し、対立し合っている場合ではない。二党制、与党と野党など、二つに分かれて互いに非難し対立するだけの中から、人類共通の善なるものが創造されるわけがない。 なんと馬鹿げたことだろう。なんと未熟なのだろう。 人間は、極限までいかないと変わらないのだろうか? そのような分断、対立、争いのエネルギーと混乱の波が世界各地を覆い、激化している。しかし、そこで忘れてはいけないことがある。 自分もこの地球の住人の一人であり、それを引き起こしているあらゆる要素から、自分を引き離すことはできない。なぜならば、気づかないだけで、それらは集合意識として今の自分を構成している一部となっているからだ。 私たちの中に深く染み込んでおり、日常の中で無意識にそれをやっている、ということに気づくことから始まる。家族の中で、職場で、地域で。それは外にない、ひとりひとりの中にある。 カヤホガ川に自然が戻ったのは、まだ最近のことだ。70年近く姿を消していた白頭鷲を最初に発見したのは、2006年とのこと。そこから、生き物たちが確実に戻りつつある。 私にとって、この列車の旅は単なる列車の旅ではなかった。経済優先と自然破壊という形で見せられた過去の一例は、メッセージだった。 よりよく生きたい、と思っているのに、近視眼的なものの考え方や振る舞いがもたらす破壊から抜け出せないで来たのは、意識が変わらないため。 しかし今、新しい方向性、新しい意識が変化の波となって、私たちを内側から押し出す力が強まっている。 <2. 栄華の世界> 翌日待っていたのは、広大な敷地と栄華を極めた大豪邸のツアーだった。英語では「エステート」という言葉が使われ、国の歴史的建造物に指定されている。 そこはアクロン市の観光スポットにもなっており、義姉が遠方からの来客のためにと、年間パスポートを持っていたので、夫と私も利用させてもらった。 グッドイヤータイヤ社の共同創業者フランク・A・セイバリング氏の屋敷である。敷地は東京ドーム130個に相当し、1910年代に建てられたチューダー式の屋敷の面積は、5,990 平方メートル。日本のお城のようなものなのか?ちょっと想像できないスケール。 音楽堂、室内プール、40席確保できるダイニングルームは、スケールも豪華さも際立っていた。有名歌手や音楽家、ダンサーなどが全国から招かれ、パフォーマンスを披露したという音楽堂には、壁にパイプオルガンが埋め込まれ、大理石で作られたプールは家族全員が楽しめるように、場所によって深さが異なっていた。 富と繁栄・栄華の世界と、死にゆくカヤホガ川。それは、あまりにも対照的だった。 虚しかった。 「地球に降りかかることは、地球のすべての子どもたちに降りかかる。大地は人間のものではなく、人間は大地のものなのだ」 シアトル酋長の言葉が響く。 オハイオ訪問の目的は義母に会うことだったが、それ以外にもあることは、日本を出発する前から薄々感じていたが、これだったか、と思った。アクロン市で見せられたものは、私にとっては意味あるメッセージだった。 だが、それで終わりではなかった。 <3. 酋長の墓にて> オハイオから友人宅に戻り、日本に帰る2日前のこと。 ダイニングルームで友人とお茶を飲みながら話をしていると、突然、友人が「明日チーフ・シアトルの墓へ行こう!」と言い出した。 「なんか突然浮かんだのよ〜。順子さん、今行くときみたい。一緒に行こう!」 20年住んだ間に一度も訪れなかった機会が、その時突然やってきた。 チーフ・シアトル(1786年-1866年)は、その地域に居住していたスクワミッシュ族とドゥワミッシュ族の長であり、シアトルという市名は、チーフ・シアルス(シアトル)の名にちなんで付けられた。 墓は、シアトルの街から湾を隔てた島にあり、友人が車を運転し、フェリーで渡ることにした。 フェリーで出発するときにダウンタウンには霧がかかり始めていたが、エリオット湾を進むにつれて霧が濃くなり、視界が遮られた。 海の上に広がる霧を見つめていると、そこから異次元の空間が現れ、先住民の魂がそこに集まってきているのを私は感じ取った。 やがて、霧が晴れ始め、反射した光が薄い虹色の弧となって目の前に現れた。友人と私は、黙ってそれを見つめていた。 「私たちは祝福されている、招かれている」と思った。 島に到着すると、これ以上ないというほどの青空が広がっていた。この地域は雨や曇りが多く、9月の終盤となると空は灰色の雲に覆われ寒いのだが、この日は朝から夏のような気温になっていた。 墓に到着して車から降りた瞬間、涙が出た。ほんの一瞬、奥深くから押し出されるような感情があったが、すぐに消えた。それは悲しみではなく、私のハートだけが知っている酋長への敬意のようなものだった。 墓の中央には白い十字架があり、それを挟むように二本のトーテムポールが立っていた。 それは異様な光景だろう。先住民の中には、腹を立てる人が多いかもしれない。「コロンブスが来た時に、全ての悲劇が始まった」という言葉を何度か耳にしたことがあるが、彼らの怒りと恨みは根深い。
以前の私がここを訪れていたら、私も不快に思ったことだろう。 しかし今、チーフ・シアトルのスピリットに意識を向けると、私が感じ取ったのものは、そういったレベルを超えていた。 トーテムポールと十字架がそこに並び、真っ青な空を仰いでいるように、そこには過去の出来事にまつわる否定的な感情はなく、こだわりがなく、全てを包み込んでいた。 (日本に帰国してから知ったことだが、チーフ・シアトルはのちにフランスの宣教師によってキリスト教に改宗し、ローマ・カトリック教会で洗礼を受けた)。 異なる信条、あらゆる異なるものがそのまま存在し、互いを尊重し合い、ひとつに溶け合う。私はそれを空間に感じた。それは、やがて来る未来へと続いていた。 空を見つめた。上へ上がれば上がるほど、視界が広がる。視界が広がれば、小さな違いにフォーカスはされず、違いが吸い込まれてひとつになっていくような感覚になる。 ひとつになった時、眼下には地平線が果てしなく広がる。 私たちは、その地平線上に生きている。 「生きとし生けるものがひとつの家族であり、空気にも海にも木々にも丘にも、足が触れるその大地にも、あらゆるものに祖先の魂が宿り、眼差しが満ちている。私たちは決して孤独にはならない」 チーフ・シアトルの墓から伝わってきた。 それぞれ違っている。違っているのが当たり前。しかし、違っていても、結局みんな同じ。それは人間だけではない。生きとし生けるものに上も下もなく、みんな等しく、全てが繋がっている。 その感覚は、決して外から得られるものではない。内側からのみ感じられ、それを理解した時、その繋がりの中に溢れる豊かさを見出だす。そこには恐れはなく、愛が満ちている。 その豊かさは経済の繁栄とは違うもの、金銭では得られないもの、減るものではなく拡大するもの。そこには恐れはなく、愛が満ちていることを知るだろう。 その豊かさから生み出されるものには、喜びに満ちた可能性が潜んでおり、その未来を選択する意志がその未来を創造する。 救世主は自分の中に存在する。 <終わり>
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