JUNKO KURATA
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それをあなたはどう思う?

2/7/2023

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「それをあなたはどう思う?」
少なくとも日本では、そう聞かれたことはほとんどない。ましてや議論や話し合いではなく、ちょっとした会話の場面では。
 
20年住んだシアトルを離れ、日本へ転居することになった時、私はシアトルの友人や知人に報告した。
 
日本人の友人からは
 
「ええっそうなの?こっちにまた戻ってくるの?」
「うわ〜日本かあ、いいなあ」
「えっ仙台?放射能は大丈夫?」
 
だいたいこういう反応が返ってきた。まあ逆の立場だったら、私も同じようなことを言っているだろう。
 
私はシアトルのコミュニティガーデンで1区画を借りて、11年間さまざまな野菜を作った。
 
広大な敷地が200を超える区画に仕切られ、そこを借りた市民が完全に農薬・化学肥料不使用という条件で、思い思いのものを作る場所であった。
 
メンバー全員が積極的に関わるコミュニティガーデンで、定期的にミーティングがあったり、共用部分の除草や整備を行う出合い、作業者への軽食の差し入れや収穫祭などがオーガナイズされたりで、活発なコミュニティだった。
 
ガーデニングのテクニックや情報を交換したり、取れすぎた野菜をあげたりもらったりで、いつも和気あいあいの楽しい場所は心地よく、畑を続けるに従って顔馴染みも増え、私も特定の人たちと仲良くなっていった。
 
しかし、日本への引っ越しで、その畑ともお別れになる。
 
ある日、畑で片付けをしていたら、いつもの畑仲間がいたので、私はこれが最後になるだろうと、挨拶をした。
 
「急な展開があり、実は夫の仕事の関係で日本へ引っ越すことになったんです。仙台に住むんです」と私は状況を説明した。
 
東日本大震災があって、1年ほどしか経っていない時だった。
 
当時日本では「Fly-Jin(フライ人)」という言葉が生まれたが、放射能を恐れて飛行機で日本から逃げた外国人は、そう呼ばれた。
 
アメリカでも日本の放射能に対して警戒感が強く、私も外からの立場で日本を見ていた。なぜ、そんな危険な場所へわざわざ行くのか?とんでもないことだと、きっと誰もが思っていただろう。
 
彼女は私が話す間、じっと注意深く聴いていた。
 
調子良く合わせて相槌を打ったり、感情主体で流れたりする会話に慣れていたら違和感を感じるほど、相手は無表情だった。しかし無関心というのではなくその逆で、感情のないニュートラルな状態で、しっかりこちらに意識を向けて聴いているのが伝わってきた。
 
私が話し終わるのを待って、彼女は一言言った。
 
「それをあなたはどう思うの?」
 
このタイミングで日本へ引っ越すということを、私自身はどう思っているか?ということだった。
 
一瞬ビクッとした。大抵、会話の途中で相手から相槌や何らかの感情の反応、コメントがあり、そのようなやり取りの中で会話は積み上がっていくものだが、それが一切なく、私が話し終わるのを待ってからの最初の一言が、その質問だったからだ。
 
その一言の中に、
「この会話は最初から最後まであなたが主役よ。だからあなたの結論なしに、この話は成立しないの」という無言のメッセージが込められているように感じられた。
 
「私は、これは冒険のようなもの、新しい人生の旅の始まりだと捉えてます」
 
すると相手はニッコリ頷いて、両手を広げ、
「じゃあ、あなたのその素晴らしい冒険に祝福を!」と言って、ハグをしてくれた。
 
ハグには形だけの表面的なものもあるが、彼女のはそうではなく、広げた胸からバーンと祝福のエネルギーが放出され、私はそれに包まれた。
 
不思議な感覚になった。
 
彼女は私よりも若いのだが、コミュニティの中でも存在感のある人だった。
 
彼女には独特の威厳があった。私の目をじっと見つめ注意深く話を聴いている彼女は、私よりも年上で成熟しているように感じられ、なぜかふとその姿に師のような存在も重なった。
 
彼女なりの考えや意見もあっただろうが、それは完全に横に置いて、私の話を聴くことに徹していた。
 
相手が傾聴している時、私は、相手に向かって自分の考えや言葉が吸い込まれていく感覚がある。逆に、相手が適当に相槌を打っていて頭の中では違うことを考えている場合は、私の言葉はバウンスして、あちこちへと飛び散っていくのがわかる。
 
本当に傾聴している人は少ない。が傾聴されている時、それを感じれば感じるほど、こちらが緊張する。怖いとさえ感じる。
 
なぜなら、ゴミのようなどうでも良いことやネガティブな感情、考え、余分な発言が自ずとはばかられ、心の中の真実しか話せないようになるからである。
 
話している私の目を彼女が見つめている時、私は緊張した。私の発する言葉が、目の前にいる彼女の中に吸い込まれて行っていたからだ。
 
そのような空気感の中では、言葉は外に向かって発せられているのに、意識は逆に内側へと向かい、ハッとしたりすることがある。
 
「それをあなたはどう思うの?」との質問に答えている最中に、私は気づいたことがあった。
 
それは、答えという形で表明することで、自分の考えや意志、方向性がクリアーになり、強まるということ。
 
言葉を発してそれを自分自身の耳で聞くことは、実にパワフルなことであり、その言葉のエネルギーが自分の中で強まるということ。
 
だらだら愚痴を言うのではなく、フォーカスされた状態で自分の声を自分が聞くということは、人から言葉を受け取る以上にインパクトがあり、パワフルである。
 
「私は、これは冒険のようなもの、新しい人生の旅の始まりだと捉えているんです」と答えた時、自分の口から出る言葉を聞きながら、ああ、冒険が始まるんだ、私はそれを選んだんだと再確認し、その時初めて覚悟のスイッチが入った。
 
それは、頭の中でそう思っていたのとは違って、よりリアルで強烈に私の意識に打ち込まれた。
 
それを導き出すような質問を最後に1つだけするなんて、そんな会話は日本では経験したことがなかった。それゆえ、インパクトが強かった。
 
多くは家族も学校も会社も自分の考えを表明する環境ではなく、特に日本は集団意識や同調意識が強く、一つに固まる傾向があるので、その環境で育った人は、自分の考えを表明することに慣れていない。
 
その中に居続けると、いつの間にか自分が何を考えているのかもわからなくなる。私はそれもあり、日本を出たのかもしれない。
 
畑の彼女は私にスイッチが入るそのチャンスを与えてくれただけでなく、ご褒美のような祝福の言葉とハグをプレゼントしてくれた。私は温かさと共に、目の前に広がりを感じた。
 
これまた日本では経験したことがなかったので、彼女とのこの会話は私にとって新鮮で衝撃的で、今でも強く心に残っている。
 
もう一人、やはり畑でだったが、私の話を黙って最後までじっと聴いた後に、「それ(日本に行くこと)はあなたにとって良いこと?悪いこと?」と尋ねた人がいた。
 
そして私が「良いことです。ワクワクしています」と言うと、彼女は「では、幸運を祈るわ!」と言って手を差し出し、握手してくれた。その手からは、気持ちのよい力強いエネルギーが伝わってきた。この時も、私は目の前に広がりを感じた。
 
私が「日本へ行く」と最初に行った時、相手からほんの一瞬かすかな反応があったが、すぐにそれが消えたのを私は察知した。もちろん、二人ともそれぞれ個人的な見解はあったと思う。が、彼女たちの態度は終始ニュートラルで、私を尊重したものだった。
 
相手を尊重して受け止め、エールを送るという姿勢に、成長した大人を感じた。
 
そういえば、夫が私にそれをしてくれたことを思い出した。
 
14年前に私は日本である養成講座を受講し、第1回だけに参加のつもりが最後まで続けたくなった。私は、滞在していた実家から夫に電話をして打ち明けた。
 
それは、帰る予定だったのに帰らず、そのまま8ヶ月間家を空けることになり、夫は一人になるということを意味していた。
 
夫にとっては全く寝耳に水!
 
私は話した。私だけが話し、夫はただ聴いていた。そう、畑であった会話の時のように。
 
説明をし終えたところで、受話器の向こうはしばらくしぃんとしたままだった。不気味に長く感じられた。
 
その沈黙の後、
 
「それは君が本当にやりたいことなの?」
と一言質問があった。
 
「そんな8ヶ月だなんて、とんでもない!ダメダメ、絶対許さない!」
てっきりそんな返事が返ってくるかと思っていただけに、私はその質問に驚いた。
 
「・・・はい、それは私が心から望むこと、絶対にやりたいこと」
 
私がそう答えると、穏やかで柔らかい声が返ってきた。
 
「じゃあ俺は君のその望みをサポートするよ。幸運を祈る!」
 
畑の時のような言葉だった。そこで会話が終わり、夫自身の意見や感情をぶつけられることは一切なかった。
 
感謝で胸がいっぱいになった。体全体がふんわりと温かいものに包み込まれた。その瞬間、私の中で夫は夫を超えた存在であった。そして、またしても、私の目の前に広がりがあった。
 
そんな包み込まれる感覚や広がりを与えてくれた夫も畑の彼女たちも、一体何者なのか。
 
相手を尊重して傾聴し、肯定し、讃え、励ます。
コミュニケーションの根底に、きらりと光るものがある。
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