「俺は死んでいたかもしれない。今日、ラヴィ・シャンカールにアヴ(シアトルのとあるストリートの名前)で命を救われたんだ」と、帰宅した夫がキッチンにいる私に言った。
「えっ?ラヴィ・シャンカールがアヴにいたの?!」私は内心びっくりした。 ラヴィ・シャンカールは、インドのシタール奏者でレジェンドともいうべき人。 この会話を日本版にするならば、楽器ではないが年齢・知名度で相当するところで、 「俺は死んでいたかもしれない。今日、青葉通り(仙台のストリート)で矢沢永吉に命を救われたんだ」 「えっ?えーちゃんが青葉通りにいたの?!」 となるだろう。 命を救われた? 一体どういうこと? こういうことだった。 シアトルに住んでいた頃のこと。 夫が通りを歩いていたら、店の窓に貼ってあるラヴィ・シャンカールのポスターが目に飛び込んできた。学生のときに行ったニューヨーク マジソン・スクエア・ガーデンでのシャンカール・コンサートが人生初だったそうで、夫は以来大ファンになったとのこと。 そのシャンカールのポスターを突然目にし、立ち止まった。シャンカールがシアトルに来るのか?コンサートがあるのか?と、近づいて詳細を読んでいた。とその時、少し前方で激しい衝突音がしたそうだ。 見ると、交差点の角にトラックが突っ込んで、そこにあったATM機がぐしゃぐしゃに潰れていた。 自分はその交差点に向かっていて、もし手前の店にポスターがなければ、赤信号で交差点に立っていただろうとのこと。 事故は、時間にして1分も満たない間に起きた。トラックはATM機に向かって突っ込んだ。自分はATM機の横に立っていたであろうから(歩行者が立つ位置は、ほぼそこになる)、そこにいたら、トラックとATM機の間に挟まれ、間違いなく即死していただろうと言った。 それが起こっていたならば、私は今仙台にはいないだろうし、これを書いてもいない。全く違った人生になっているだろう。 「あれは、なにか不思議な力が働いたとしか思えない」と夫が言った。 その店はそんなポスターを貼る類の店ではなかったし、ポスターがあったとしても、本人が気づかない場合だってある。 ラヴィ・シャンカールが救ったわけではないが、結果的には救ったかたちになる。 不思議な力が働いた。 夫はまだ死ぬタイミングではなかったのだ。 ** シアトルの友人が、こんな話をしてくれた。 その友人は、大学卒業後、アメリカでマッサージの資格を取ろうと渡米を計画していた。準備は順調に進んでいるように思えたが、出発の半年くらい前から、体調を崩したり、住んでいたアパートが長期間停電になったりなど、次々と出来事が起こり始めたという。 今思うと、それは「行くな」というサインだったと彼女は言った。それをなんとなく感じていたが、思考が排除し続けたそうだ。 そのような数々の障害を「乗り越え」、計画通り彼女は飛行機に乗ってシアトルへと出発したが、目的地の空港に到着して入国審査のカウンターに立つと、審査官から「書類不十分」と入国を拒否され、そのまま空港から成田行きの飛行機に乗せられて、日本へ戻ってきたという。 実は、アジアからの留学生は彼女が初めてのケースで、迎える学校側も手続きに慣れていなかったためか、書類に手落ちがあったそうだ。 彼女の入学は1年遅れた。 しかし、1年遅れたために、彼女は今のご主人と出会えて結婚した。 アメリカでの生活が困難になり、日本へ帰るべきだろうかと悩んでいた時に、たまたま行ったパーティでご主人に出会ったという。 「あの時問題なく入国して入学していたら、旦那とは出会っていないだろうし、こうして息子がいて、アメリカにも住んでいないだろう」と彼女は言った。 「それにしても強烈だなあ。それほどまでして、止めなければならなかっただなんて。予定より1年早いから、上で導いている方も焦ったのかな。まだだ〜って。あの手この手で行くな、行くなってサインを送り続けていたのに、Mちゃんが無視し続けるから、これはまずい、最後の手段、奥の手を使うしかないってんで、これでもわからんかぁっ、観念しろ〜って、入国審査でバーンとMちゃんの目の前でシャッターを下ろしたようなもんだよね」と、私は言った。 出来事として送られてきたサインも次第にエスカレートしていき、ついには飛行機で太平洋を往復しただけになってしまったなんて。よほどご主人と出会っていなければならない、という計画があったのだろう。 強制終了が入るとは、なんとも強烈でわかりやすく、それだけ外れても決められたコースに戻されるから、ある意味頼もしい。 目的達成志向で一生懸命頑張る性格であると、そっちじゃなくてこっちだよ、という声が聴こえない可能性があるし、本筋から逸れたところでがむしゃらになってしまったりすることがある。私もこれまでそんなことが多かった。 目的にも種類があり、思考を超えたレベルの目的の方こそが本当で、それが本流であり、それに乗ると深奥からの喜びを味わえる。 その思考を超えたレベルで、友人Mちゃんの入国拒否のような強烈なことが、夫と私にも実際に起きた。ただ、拒否とは反対の出来事であったが。 2011年の冬に、突然それはやってきた。 仕事を探してもいなかった私の夫に、本人の夢の仕事の話が舞い込んだ。日本に住むアメリカ人の友人が仕事の後任を探しており、夫に声をかけたのだった。 私の帰省に同行した夫が先にアメリカに戻る日、飛行機に乗る前に数時間の余裕があったので、友人をたまたま夕食に誘ったことが事の始まりだった。友人は2年も前から後任を探していたが、適任者が見つからないとのことだった。 夫はその分野の学位を取得しているわけでもなく専門は畑違いなのだが、たまたま趣味で続けていたことが、職務内容そのものであった。 その趣味的なことは、自分の仕事が疎かになるほど好きで、長年かなりの時間とエネルギーを費やしてきていた。これが収入になれば申し分ないが、それはただの夢、あり得ないだろう、と本人は思っていたのだった。 自分の仕事は順調だったので不満はなく、特に問題もなく平穏に日々が続いていた。そこへ友人の一声。それはまさに青天の霹靂だった。 実は夫は私にこのことを話す前に、すでに友人に引き受けるとの返事をしていたそうだ。 しかし、後日夫からこの話を聞いた私は動揺することもなく、「ああ、来たな。このタイミングかあ」と、ゆったりとした心の状態で受け入れた。 二人とも全く迷うことはなかった。 この新たな冒険は最初から決まっていたことだと、私のハートは知っていた。おそらく、夫もそのように感じ取っていたのだろう。 それを受け入れた結果、私たちに与えられたものは、今までとはあらゆる面で違った設定の人生であった。誰一人知らない土地に移り、まっさらな状態で始める生活。 そこには、本当に頭では何一つ計画できないほど、一つ一つが完璧に用意されており、住居が古いという以外は、あらゆる面で以前よりも条件的に良くなっていた。 このような新しい人生が待っていたとは! それが友人の一声で始まるとは! 夫はラビ・シャンカールに命を救われ、そしてまた、一人の友人によって人生が大きく動かされた。そう言うと、命も人生も外的なものに左右されるように聞こえるが、そうではない。 一方、私は妻として伴走しているように見えるが、私の人生も完璧に私のタイミングで動いているのである。夫と私の歯車がきっちり合いながら、それぞれに回っている。 それは巨大で複雑な仕組みに思えるが、蓋を開けてみればきっとシンプルなのだろうと私は思う。しかし、頭では到底知り得ない仕組みであり、そこには目に見えない壮大な流れがあり、それを司る力は神秘に満ちている。 2012年の秋に仙台へ移り、昨年秋には11年目に入った。この道も、また曲がり角に近づいている。 夫の定年が来たら、その後はどうなるのだろう? 私たちはどこに住んで、何をしているのだろう? 何がどうなるかなんてわからないが、全ては完璧なタイミングで起こっており、全て順調なことだけはわかっている。だから、恐れない、慌てない、心配しない。 物事は自然な流れで展開してゆくし、友人のMちゃんの例のように、高次の自分がメッセージを発しながらきちんと導いているから安心していて良い。 一体私の魂はどう計画してきたのだろうか?この先何が待っているのだろうか?とワクワクしながら、大小さまざまなサインやメッセージがちりばめられた日々を、自分のハートの感覚に従って過ごしていこう。 それが、私にとって最も自然で心地よい。
2 コメント
パピプペポ
2/3/2023 03:16:24 pm
まさに、すべてが自然に運ばれて、
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Junko Kurata
2/3/2023 08:30:03 pm
お読みくださりありがとうございます。
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私の体験談やエピソード、日々の中で感じたことなどを画像を交え、多次元的な感覚で縦横無尽に語ります。 アーカイブ
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