後編「新しい視点 ― 超えたその向こうに」は、こちら シアトルに戻ると、必ず訪れる場所がある。 そこは、住宅地の中に古くから残されている自然公園。 その歴史は1887年にまで遡るそうで、当時巨木が林立する森であった。かつてそこには泉があり、小川を鮭が遡上し、近くには先住民も住んでいたとのことである(ということを、この文章を書く前に知った)。 その後原生林は切り倒され、全体が整備されてしまったが、今でも自然が残り、独特なエネルギーに満ちた場所である。 自然力が強い場所というのは、ヴェールが薄くなっているので、異次元に滑り込みやすく、意表を突かれる瞬間に出会うことも珍しくない。 過去に、私はここで日中にアメリカフクロウに出会い、数々の不思議な体験もした。 その公園には、私のお気に入りのスポットがある。それは、二本の大木が並んで立っている場所で、日本に引っ越してからは、私は毎回シアトルに来るたびに、その木に挨拶に訪れるようになった。 木の下にたたずんでいると、通りすがりの人から声をかけられることもある。大抵は挨拶だけだが、そうでない場合もある。 以前、ある時トレイルをこちらに向かって静かに歩いてきた中年女性が、私を見るなり立ち止まって「こんにちは」と挨拶してから、「あなたのような人が増えたら、世界は平和になるでしょうに」と言った。 いきなりだったので、私は度肝を抜かれて言葉を返せなかったが、それよりも、その女性のまっすぐな目が怖いと感じるほどだった。こちらに向かってじっと立っている彼女と森が溶け合って、空間が神秘的な色を濃くしていた。 それを感じ取ると、少しゾクッとした。「この人は一体何者なのだろうか?何が見えているのだろうか」と思ったことを覚えている。彼女が発した言葉は、私の心に強く刻まれた。 その同じ場所で、またある時は、こんなことがあった。 ヘッドセットをして歌いながら踊るようにジョギングしている中年男性が、向こうからやって来た。前屈みになってぐにゃぐにゃ体をくねらせ、足をジグザグに動かして、大声で歌いながら走っているのである。 どう見ても「変な人」だった。ドラッグでハイになっているのだろうか?と思わずにはいられないほど、自分の世界に浸っていた。少し離れた距離なので、こちらに身の危険は及ばないだろうが、私は目を合わさないようにして、その男性が早く通り過ぎてくれるのを願った。 ところがどっこい、もちろん彼は立ち止まった。そして大木を指差して、5メートルほど向こうから、わざわざ私に大声をかけてきた。 「その木にはフクロウが棲んでる。この間、5日くらい前に来た時、あの上の方にいるのを見たよ」 挨拶も何もなく、いきなりそう言った。 私は鳥肌が立った。 というのも、それはあまりにもドンピシャだったからだ。その時まで、私はそこに立って、過去のある体験を思い出していた。 これは、こんな出来事だった。 12年前に日本に引っ越すことになった時、私はこの二本の木の間に立ち、心の中で祈りと誓いを唱えた。この展開は私の人生の重要な節目であり、魂の計画であることがわかっていたからである。 長年住んだこの場所を去るのであるが、それは終わりではなく、むしろ始めであることを私のハートは知っていた。そこには、悲しみも寂しさも「さようなら」もなかった。 木の間に立つと、私の内側から自然に言葉が流れ出た。 「ここから出発します。日本に行ってきます。そこで何が待っているのかわからないけれど、それは私にとっての冒険、成長するための旅であることを知っています。その冒険の旅へと、私はここから出発します!」 心の中で言い終わった瞬間、頭上でフクロウが「ホホホホーッ!」と大声で鳴いた。それは、まるでその言葉を讃えるかのようだった。 声は近い距離だった。フクロウの鳴き声を、白昼に、しかもすぐそばで直に聞くのは、生まれて初めてだった。 姿は見えなかったが、鳴いた時に頭上の葉がカサカサと音を立てたので、その木の中にいたのは確かである。すると、その声に呼応するかのように、そこから数メートル離れた木の中で、もう一羽のフクロウが「ホホッホーッ!」と鳴いたのだった。 それまで全くの静寂だったのに、突然そのタイミングで二羽が鳴くというのは、偶然とはどうしても思えない。フクロウは私の祈りを聴いていた、私の心の中はガラス張りだと、強く感じた。 私は自分自身の意図を宇宙に投げかけ、祈りは受け止められた。 その合図のようなパワフルな鳴き声は、祝福だった。 私は鳥肌が立ち、感動して涙した。 そして今、その変な男性が近づいてくる前に、私はそのことを思い出し、「あのフクロウはこの木に棲んでいるのかな?今日はいるのかな?」と、ちょうど考えていたところだったのだ。 「その木にはフクロウが棲んでる。この間、あの上の方にいるのを見たよ」との突然の声かけは、あまりにも完璧なタイミングであり、その男性の言葉は、まるでフクロウからの返事のようであった。 これらのエピソードがまつわる木は、空高く伸びたレッドシダー(米杉)であるが、今回またしても、そこでパワフルな体験が待っていた。 その木のそばに歩み寄ると、私はあるものに目が釘付けになった。 木の幹から、新しい芽のようなものが出ているのである。 12年以上定期的にこの木を訪れてきたが、今まで見たことのないものだった。 それは、地面から数十センチほどの位置にあり、唯一そこからだけ出ている。それが何であるのか、木に詳しい人なら説明できると思うが、私にとって、それはさほど重要ではない。 どのようなタイミングで何が目に映るか、その時にハートは何を感じ取るか、ということが大切で、通常スピリットや魂は、そのような方法で語りかけてくる。 厚い皮を破って姿を現した新しい芽は、幹を胴体とすると、この木の手のように見えた。私の目には、小さいが力強い熊の手のようにも見えた。 頭で解釈をする必要はない。むしろ、それをすると歪んでしまったり、極端に制限されたり、素直に受け取れなかったりする。 新しい芽の存在、そのエネルギーを感じてみる。 そして、全体を司るこの大木の存在とそのエネルギーを感じてみる。 内なる力はとてつもなく強く、そこから目には見えない巨大なエネルギーの波が拡大していくのを感じ取った。 木々も私たちも同じである。ただ形が違うだけ。私たちひとりひとりも本来同じものを持っている。 宇宙の波は、それを自覚して、本当の自分を取り戻していく方向へと私たちを押し出している。 大木から姿を現した新しい芽は「新しい目」であり、同時に「新しい手」でもあると、私のハートは感じ取った。 意識が変化すると目に映る世界も一変する。新しい目と新しい手で創造していく段階に入ったことを、このような形で見ることで、よりクリアーに意識化できるようにと、私は見せてもらったように感じた。 喜びが湧き起こり、ごく自然に体が動いていた。供え物をして歌(音)を口ずさみ、その芽の存在を讃えた。 すると、それまでうす曇りだった空間を押し出すように太陽が現れ、光がみるみるうちに強まっていった。その光の波は眩しく、私は目を閉じて全身に浴びた。 二本の大木の間から差す光を写真に捉えると、このような姿となった。 それを見た途端、頭に浮かんだものがあった。 それは、数年前に友人が私のために作ってくれたサンキャッチャーだった。 友人宅に戻ると、先日オーブンで火傷した部分がヒリヒリと痛み出したので、それを友人に話すと、彼女は「これいいよ〜、すぐに効くから」と、CBDオイルを出してきてくれた。 それを見て、思わず唸った。 なんと、ラベルのデザインはあの光のようではないか! 友人に森で撮った写真とペンダントを見せると、彼女は両腕をさすりながら
「わあ〜鳥肌立ったぁ。これ、全部同じじゃん!」と言った。 このCBDオイルは、ある女性が作った特別なものらしく、名前が「シリウス」となっていた。 「う〜ん、また来たかぁ」 様々な角度から何度も不意を突いてくる「シリウス」という存在。 そこを探求する興味は今はないが、私は森で新しい光を受け取ったと感じている。 その光から私が受け取ったものは、その後、滞在中に具体的な形となって現れ、今とても重要なクリアーなメッセージとなった。 それは、あまりにもわかりやすい形でやってきた。 「そうか、このために私は今回アメリカに来たのか・・・」 <次回に続く>
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私の体験談やエピソード、日々の中で感じたことなどを画像を交え、多次元的な感覚で縦横無尽に語ります。 アーカイブ
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