何が起こったのかわからないが、一瞬のうちに最高で完璧な空間へぶっ飛んだという経験はないだろうか?
何がそれを引き起こすのか? それは、発せられている波動・周波数である。 大学卒業後、就職した会社のクリスマスパーティで、バンド演奏が企画された。私はキーボードを担当し、ドラム、ギター、ベースも名乗り出る社員がいて、すぐに決まった。メンバーは、ギター以外は全員が新入社員だった。 歌うことが好きな同僚の女性が前座的に1曲歌うことになったが、メインとなるボーカルができる、またはやりたいという人は社内にはおらず、どこかから探してくる必要があった。 私は大学時代に音楽クラブに所属し、結成した女子バンドでアメリカやイギリスのポップミュージックを演奏していた。バンドのボーカルは、R&Bやソウルミュージックなどがぴったりな、かなりの声量で歌う先輩の小谷野純子さんで、仲間からは「コヤジュン」と呼ばれていた。 私は、コヤジュンさんを社外からの特別ゲストとして迎えるのはどうかと提案すると、他のメンバーは全員賛成してくれた。早速コヤジュンさんに連絡してみると、「社会人になってから歌う機会がなくなり、懐かしいので是非歌いたい」と快く引き受けてくれた。 曲を決めて各メンバーが家で練習し、最後の週末に一度だけ集まって音合わせをすることになった。 音合わせは社員メンバーで2時間ほどやってから、最後にコヤジュンさんに来てもらうというスケジュールだった。 まずは、それぞれが自分のペースで音出しを始めたが、久々ということもあるのか、初めてのメンバーだからか、皆おそるおそる音を出していて心許ない。 ギターは、たまたま私と同じ音楽クラブの先輩だったが、クラブの仲間からは「あいつは下手だ」と言われていた人だった。私には、どう下手なのかはわからなかったが。 ベースはまもなく調子を取り戻し、体全体でリズムを刻み出した。おそらく学生時代にバンドにいたのだろう。 ドラムは体格も良くて、派手にパフォーマンスをしたがっているようにも見えるが、途中で何度もリズムが大きく乱れたり、止まってしまったりする。全体を支えるドラムのテンポが乱れると、演奏には致命的な打撃になるので、大丈夫かなあと心配になってきた。 音合わせをしてみるとバラバラなままで、間違いも目立ち、ギターは途中で申し訳なさそうに肩をすぼめて後ろ向きになって弾き始め、ドラムも自分が間違うたびに悲惨な表情になっていった。 みんな内心イライラしていて、室内がどんどん険悪な雰囲気になっていくのがわかった。私も決して上手いわけではないが、こんなに合わせづらいメンバーは初めてだった。 何度か練習して、最初よりはマシになった頃、前座で歌う同僚が松任谷由実の「恋人がサンタクロース」を歌った。私は、これはカラオケみたいだなあと思ってしまった。よく歌えてはいるが、正直、どうしてもカラオケとしか感じられなかった。 私は責任を感じた。「わざわざ呼んだのに、こんなド素人の演奏ではコヤジュンさんに申しわけない。こんなのでは歌えないだろうなあ。不愉快な思いをして途中で帰ってしまうのではないだろうか・・・」 などと考えていたところへ、コヤジュンさんがドアを開けて「どうもー、はじめましてぇー」と元気よく入ってきた。 その瞬間、部屋の空気が変わった。開けた扉から、彼女の満面の笑みと元気な声とともに、陽の光が差し込んだ。 大きなステージで歌うことに慣れている彼女は、初対面の人たちでも気後れすることなく、和やかで親しみのある態度で接し、それでは練習を始めましょう、となった。 少したどたどしい感じで前奏が始まり、「コヤジュンさん大丈夫かな?入れるかな?」と思ったところで、彼女の第一声が発せられたその瞬間、 私を含めたメンバーと室内全体が一瞬ビクッとして、ギアが変わったのをはっきりと感じた。 それはバカン!と爆発したようだった。 コヤジュンさんの声量が半端ないだけでなく、素人では到底出ない響きが、それまであった室内の空気を吹き飛ばしてしまった。 そのインパクトはあまりにも強いためショックでもあり、私は鳥肌が立った。演奏が控えめで躊躇さえしていたメンバーも、私と同じように感じているのが伝わってきた。全員の血相が変わったからだった。 第一声で、全員が部屋ごとぶっ飛んだ。 ぶっ飛んで、突き抜けて、全員がプロ並みになってしまった。 おそるおそるは完全にどこかへ消えてしまい、演奏は突如気持ちよく楽しくなっただけでなく、楽器と自分がひとつになり、メンバーとひとつになり、演奏そのものになっていたからだった。 コヤジュンさんの声と私たちの演奏がひとつになると、私は肉体をそこに置いたまま、感覚全体がワーっと波立って広がっていくと同時に、完全に静止しているような異空間へと滑り込み、マインドが抜け落ちて、勝手に手だけが動いていた。 他のメンバーも、一緒にその異空間にいた。全員が一種の興奮と高揚状態にあり、演奏はイキイキとしていた。それまでの練習には一度もなかったテクニックやアドリブが、力むのではなく当然のように軽く楽しく入っていく。 全てがスムーズに流れて心地よく、質は高まり続け、演奏はクライマックス、恍惚状態へと入っていった。 それは、ドラムに最も顕著に現れた。 演奏がエンディングに向かっていく時、最後はドラムだけが派手になっていくので、私はじっと見ていたのだが、エンディングの連打、かき回し、締めは完璧だった。 手足をフルに動かしてドラムもシンバルも全部を叩きこなし、彼の顔面は紅潮していた。完全に「ゾーンの中にいた」と言えるだろう。どんどん高みへと昇っていき、プロ級というべく息を呑むようなパフォーマンスだった。 終わった瞬間、全員が放心状態でかなり長い間沈黙のままだった。 もう、それ以上のものはなかった。 完璧だった。 信じられない。これはなんだったのか? 心が震えた 驚嘆した 感動した 完璧すぎる それはなんと美しいのだろう! こんなことが起こりうるのか? 誰も何も言わなかった。言えなかった。 練習はそれで終わった。 もう、それ以上何も必要なかった。 最後に誰かが言った。 「コヤジュンさんって何者なのですか?あれは、あんなすごいのは、経験したことがなくて、もうすごいとしか言えない」 そう、すごいことが起こった。一瞬で全体が引き上がった。 コヤジュンさんが引き上げた。彼女の持つエネルギー、声の周波数で次元が一瞬で変化した。私たちは一瞬にして、一緒にその次元へとシフトした。 実は、私は昨年だったか、あるメッセージ(インスピレーション)を一定期間受け取り続け、この出来事を思い出すに至ったのだった。 それはこういうメッセージだった。 水は高い所から低い所へ流れる。エネルギーについても同じである。 他人や周囲に変化をもたらすために、外に対して意図的に何かをしなければならないということはなく、自分がどのようなエネルギーの状態か(波動が発せられているか)で、自ずと周りにも影響が及ぶ。 だからこそ、中心に留まりブレない高次の状態、つまりハートの泉から平安・喜び・感謝が溢れ出ているような状態であれば、溢れたものが流れて広がり、自ずと周りにも変化が起こる。 地球も世界も大変化の中にあり、混沌とした状態であるからこそ、それがとても重要となる。 「私一人では微力で何もできない、自分には何の力もない」と思うことはとんでもない誤解であり、一人の純粋な心から発せられるエネルギーは、とてつもない力を持っていることをほとんどの人がわかっていない。 そのことが私の心の中で何度も響いていた時に、たまたま読んでいた本(それはチャネリング本だったが)に、こんな言葉を見つけた。 「一人の高いエネルギーが1,000のネガティブなものを打ち消す」 ネガティブとは、おそれ、不安、競争、不足、欠乏、足りないという心理がベースになった構成を表しており、純粋なハートには、全てはひとつで、意識が拡大し続ける確固たるベースがあるのだ。 確かに、演奏しているみんなが楽器だけでなくその空間とひとつになり、演奏のレベルも体験の感覚自体も拡大していった。 プロにはプロのエネルギーがあり、影響力も大きいが、コヤジュンさんはプロではない。いや、何をもってプロとするかなど、本当は測れないものである。プロとか素人とか、そういう定義はどうでも良い。 コヤジュンさんが何か特別なことをしたというよりも、彼女は歌うことが好きでそれが喜びであり、そこから一心に歌うことそのものから発せられたものが、それまでそこにあったものを一瞬にして変化させ、周囲に内在していたものを最大限まで引き上げたということなのだろう。 大切なことは、それはコヤジュンさんだからできたということではなく、誰にでもできる、本来誰もが持っている能力であるということだ。 そして、コヤジュンさんの波動に触れるまでは、私だけでなく、おそらくメンバーそれぞれが、どうせ自分はこの程度だと思っていただろう。自分自身が、普段知っている自分を超えて、あんな完璧な演奏ができることに驚いただろう。 そのような偉大な能力もまた、本来誰にでも備わっているということだ。 イキイキのびのびと、喜びの中で一心に好きなことをやっている時間とそれをする人が増えれば増えるほど、本人の意識と並行して集合意識のレベルでも高いエネルギーが循環するようになる。
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私の体験談やエピソード、日々の中で感じたことなどを画像を交え、多次元的な感覚で縦横無尽に語ります。 アーカイブ
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