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私の中にないものを描くことはできない

12/22/2024

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「定点があると、自分の変化を客観的に見ることができる。タッチドローイングを定点にすると、内側の変化がよくわかると実感した」とは、2021年に北海道でのタッチドローイングリトリートに参加した一人が、ワークの中で言った言葉である。
 
彼女はそれより6年前の北海道リトリートにも参加していたが、経過した数年の間に自分がどれほど変化したかがドローイング中に理解できたと、興奮した様子だった。
 
ファシリテートをする側は常に触れているため、そのような視点はなく、彼女の反応が印象に残った。が、一定期間ファシリテートをした後に、私にも理解するチャンスが巡ってきた。
 
これまでのことをゼロにしていく大規模なリセットが数年続き、その間に私はタッチドローイングからも一旦離れるというプロセスを踏んだのだが、その空白期間のおかげで、「なるほど、あの時北海道の彼女が言っていたのはこのことだったのか」と実感する体験をした。
 
先日、デボラからの誘いで、オンラインで定期的に行うタッチドローイング実践グループワークに久しぶりに参加した。グループの構成は毎回変わるが、先日はアメリカ、オーストラリア、中国からの参加があり、少人数だがカラフルなメンバーとなった。
 
リアルに集うことが最もパワフルであると私は今でも思うが、オンラインでは時差という制限こそあれ距離を問わないため、世界規模で繋がることができるのは強みである。
 
今回、その繋がりを私ははっきりと感じることができた。画面越しに参加者それぞれから一斉にネット上に「インテンション(意図)」のエネルギーを乗せた時、閉じた私の目の前に、一本の横向きの筋のようなものが現れると、そこにエネルギーの糸が螺旋状に絡まっていき、回転しながら太い綱のようなものを作り出した。
 
それは、参加者一人一人のエネルギーが集まって織りなす「かたち」であり、垂直ではなく水平であった。
 
「ああ、繋がりが国を超えて横に伸びていく。人と人とのネットワークは縦ではなく横、というのを以前瞑想中に感じたことがあったが、こんな風に絡まり合いながら強化されていくのだなあ」と実際に映像を見て、そう思った。
 
それは、これからドローイングを始める前に全員で作り上げた場を象徴するようなものであり、決して大きいものではなかったが、太くて頑丈そうだった。
 
そのように、目に見えないエネルギーの繋がりが太い綱のようになって強さを増すのを垣間見ることで、一定レベルの意識が共鳴した別のものと繋がり、そこからさらにまた別のものという風に複雑に繋がり合って網状になって広がっていく光景がイメージできた。
 
私たちは常に、良くも悪くも集合意識というエネルギーで織りなされた場、張り巡らされた網の中にいる。
 
これをエネルギーグリッドと呼ぶのであれば、変化とともに訪れる新しい世界にふさわしい新しいグリッドは、変化の波の中で押し出された私たち一人一人の内側から目覚める新しい意識がベースとなって創造される。
 
それは常に、あなた、私、のような個人から始まり、スピードを上げながら磁石のように引き合い、強化されていく。
 
と、ハートは語り始めると止まらなくなるので、この辺で止めておこう😅
 
ドローイングを始める前に、このようなメンバーの意図の繋がりを映像として見ることは、今までにない体験だったので私は内心驚いたが、これは私の中で起こった感覚的な変化の産物の一部に過ぎない。
 
その後のドローイングも、今回新しい体験となった。
 
ドローイングという「同じこと」をしているのに、今までとは違った視点にいる、というのは、同じことをしているからこそわかり、しかも、いつもではなく、間に空白の時間というスペースがあるからこそわかりやすいという意味で、あの時北海道の彼女はタッチドローイングワークは定点になる、と言ったのだろう。
 
タッチドローイングは心の中を潜っていく魂の表現ワークでもあり、魂の動きが描かれる一枚一枚に反映される。
 
自分自身の体験からも私のワークの参加者からのフィードバックからも、多くの場合、心の層を通る過程で否定的な感情が浮上したり、感情的・心理的な行き詰まりがあったりして重さを伴うのが、ごく当たり前のことである。
 
1セッションの流れの中で描かれた絵の一枚一枚は、このような心の層を潜っていく一続きのプロセスになることが多く、多くの場合、物語を成している。
 
というのが、これまでの話で、今回の私の個人的な体験は別物であった。
 
ドローイング中にデボラが鳴らすドラムの音や歌声は、これまでは重みを持ったシャーマン的な色が濃く感じられたが、彼女が変わったのか私が変わったのか、それとも両方が変わったのか、私は今回それを感じることもなく、最初から一貫して軽く、スケートでスーッと滑るように流れていく。
 
そして、描きながら、実況中継のように、ハートからこんな風に言葉が流れ出た。
 
「最初に描いた球体から源と繋がった人間としての存在(私)が現れ、それを中心に2つの方向へと意識が無限に拡大していく」
 
「宇宙空間に羽根のようなものが描かれると、その間から扉が姿を現した。このような扉は人生の流れの中でタイミングよく現れ、目の前で開かれる(が、本当はいつも開いていて、私の意識が引き寄せるだけのこと)。私と最も関係の深い惑星(地球ではない)が常に私を見守り導いており、それが司る領域と私は、絶対的な愛のもと、私が意識するか否かに関わらず、約束のようなもので繋がっている」
 
「空間に現れた波のような巨大な手。その手から創造される大木のようなエネルギーは、光の柱となり、天と地の双方を行き来し、その創造が絶えることはない」
 
このような言葉が、次々とハートから流れ出る。
 
「うんうん、なるほど」と、それを頭ではなく体で感じ取りながら描いている私がいるのだが、体中にエネルギーがみなぎってきて熱くなる。肉体を持った私が拡大していく体感をリアルに感じると、深奥から喜びが滲み出る。それがなんとも心地よく、この拡大した意識の方が本当の自分に近い、と感じるのである。
 
ハートが広がるにつれ意識も拡大し、意識が拡大するにつれハートがさらに広がる。
 
私は、創造の中で拡大し続けるハートを描いた。すると、そのハートの中から目が現れたが、それは1枚目に描いた人物(私)であった。肉体を持った私ではなく、ハートの中にいる私。その顔に意識を向けて描いたのが、最後のこの絵である。
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通常ならば、描き終わった後に全ての絵を振り返るのであるが、今回はそのような気分にはならなかったので、そのまま放置した。
 
セッションが終わって数時間が経った頃、絵に戻って一枚ずつざっと目を通していくと、突然内側でピン!と音なき音が鳴り、最初の絵を一番下にして、その上に順に1枚ずつ置いてみたい、という衝動があった。
 
一枚一枚絵を見ながらゆっくりとそれをやり始めると、クリアーな感覚とともにハートが語り始めた。
 
「描かれたものの一つ一つは、宇宙エネルギーの側面の一つであり、特定の質であり、ものの見方の一つであり、それらは別々に存在しているのではなく、私の中で統合されて同時に存在している」
 
これらを描きながら、私が強く感じたのは、どの部分もそれ自体が自分であるという感覚であった。
 
今までなら、外にあるものとして認識してきたものが、外ではなく自分そのものの構成物であるという意識である。
 
例えば、巨大な波のような手は自分の手ではなく、手そのものが私であり、波は生命と創造のエネルギーで、その波エネルギーそのものが私。巨木は外にあってこちらから見ている物としての木ではなく、木そのものが私であり、光の柱もそれを支える手も、そのもの全てがそのまま私。
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私は肉体を持った形をしてはいるが、絵として描かれたこれらは全て私を構成しているエネルギーの一部であり、目を閉じると、それらを体でイキイキと感じることができ、それは「本当」だと感じるのである。
 
そうやって絵を感じながら一枚ずつ上に重ねていったのだが、最後に描いた顔を置くと、顔の下に(奥から)これまでの絵が影のように浮き出た。
 
その顔を眺めながら思った。
「私の中にないものを描くことはできない」
そう思うと、強い感情が湧き起こった。
 
描いた全てのものが私の内にある・・・宇宙的なものでさえも。そして、あらゆるものが全て「今このとき」に存在している。
 
私は気づいた。そう、この顔は「多次元的な私」という存在を表しているんだ、と。
 
さらに、顔の奥で影のように見えている全ては、奥にあろうと影であろうと関係なく、それらは表面と同等だった。これら全てに優劣はなく等しく存在していると感じ取ると、私の奥深くから喜びのようなものが湧き起こった。
 
ドローイングセッションは40分ほどであったが、今回描かれた絵に最初から最後という順こそあれ、私の体験は、その時間の最初から最後までという過程を表すものでもなく、感情の層を潜っていったり、中心へと向かって玉ねぎの皮を剥いでいったりするようなものでもなかった。
 
先や後などの順序はなく、上から下、前から後ろ、外から中というような距離もなく、全てが等しく存在しているという意味で、三次元の時空間という概念を超えたものであった。
 
これはクリアーな新しい視点であり、私にとって新しい体験であった。理論でも知識でもなく、自分が直に体験を通して得たものなので、上滑りではない。
 
私はこの最後の顔に、「In the Now(今このとき)」というタイトルを付けた。
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今回のドローイングは最初から軽い感じであったと言ったが、最後に近づくと、さらに心は軽くなっていた。
 
その軽さの中で、言葉が流れ込んできた。
 
「はい、何も考えずただそのまま一歩前に足を出すだけだよ。それは呼吸するように、自然にそうするようになっているだけなんだから、拍子抜けするくらい簡単なこと。前に向かって進むのが足にとって最も自然」
それに対して、私の内側は「もうすでに動いてるよ」と返事をした。
 
それを聞いていた私のマインドが「えっ?」と驚いて反応しているので、マインドだけが取り残されているなと、思わず苦笑してしまった。
 
その日はたまたま、用事を兼ねて昼食を摂りに夫がいったん帰宅することになっていたのだが、セッションが終わった直後に戻ってくるなり、夫はキッチンで踊り始めた。
 
「一体何が起こっているの?」と夫に尋ねると、
「なんだかわからないけれど、気持ちが良くて楽しくなって、踊りたくなったんだ」と言った。
 
ドローイング中に感じていた軽いエネルギーが、きっと部屋中に広がっていたのだろう。それを夫本人は、全く知らないままキャッチしていたのか。
 
楽しそうに踊る夫を見ていると、私も一緒に踊りたくなり体を揺すって「なんか私たちってアホ夫婦だよね」と言うと、夫も「わっはっは」と笑い、そんな風に笑い合って二人で踊った。
 
私たちは皆、見えないエネルギーで繋がっている。どんなエネルギーに触れたいか、どんなエネルギーを放ちたいか、創造したいか?
 
久しぶりにやったタッチドローイングは新しい体験と新しい視点をもたらし、確実に変化をしている自分を見ることができた。
 
繋がりの中で進化しながら創造し続ける私たちは、肉体を持つ霊的な多次元的な存在であり、薄っぺらどころではなく、どこまでも豊かな存在であることを知ると、この先何が起ころうと大丈夫であり、自分を含め人類や世界がどんな風に変化していくのか、ワクワクするのである。
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