アメリカに住んでいた頃のこと。帰省中の実家に、上坂さんのおばさんが遊びに来ることになった。
上坂さんは私がまだ5歳くらいの頃、社宅の隣に住んでいた。社宅と言っても二世帯が隣り合わせになったいわゆるデュープレックスが一棟あるだけで、庭は大人の腰の高さから上がトタンのフェンスで仕切られていた。 私が庭で遊んでいたりすると、よく上坂さんはフェンスの下から覗き込んで「じゅんこちゃん」と声をかけて、庭で生ったグミやザクロの実やお菓子をくれたものだった。 まだ若かった母を妹のように可愛がってくれたそうで、母も慕っていた。1年ほどして私たちは引っ越し、上坂さんは近くに家を建てたが、時々遊びに行くと、当時は高級品でうちでは飲めないコカコーラを毎回出してくれたのだった。 大人になってからは会う機会がなくなり、私はアメリカへ移ったこともあり、二十数年ご無沙汰していた。 ある時、上坂さんのご主人が急死されたことを知った。それから数ヶ月経ったある日、アメリカからの帰省中に、実家に上坂さんから電話があった。娘と一緒に暮らすようになったという報告だった。 久しぶりだったので、母は上坂さんを家に招くと、上坂さんはすぐにやって来た。父が車を運転して、みんなでランチを食べに行ったのだが、80歳になった上坂さんはとても嬉しそうで、おしゃべりに花が咲いた。 その後家でお茶を飲みながら、さらにおしゃべりをし、あっという間に時間が過ぎた。夕方近くになり、母は上坂さんに夕食もうちで食べて、今夜は是非とも泊まっていってくださいと言った。 上坂さんは嬉しそうな顔をして一瞬迷った様子だったが、お勤めがあるから帰らなければならないと言って断った。朝夕、ご仏前にご飯とお茶をお供えして読経するのが日課となっているというのだ。 しかし、母も譲らなかった。そこからは、しばらく二人の押し問答が続いた。 「こんなチャンスは二度とないかもしれないから、ねえ上坂さん、泊まってってくださいよ」 「ええ、そうしたいのは山々だけど。でも、ご飯を炊いて御仏前に出さなきゃいけないし」 「そんな、1回くらい休んだっていいじゃないですか。ねっ、うちでぜひ夕飯食べてってくださいよ。お父さんがお宅まで送って行くから」 「家に帰らないと主人が寂しく思うだろうから、ダメダメ、そんなことできない〜」 と、こんな具体。これじゃあらちが明かないなあ、と私は母の隣に座ってぼんやりしていた。 すると突然、私の左前方で何かがチカっと光った。 1回だけチカっとしたのだが、とても小さく一瞬だったので、目の錯覚かと私は特に気にしなかった。 母と上坂さんは、まだ平行線を辿っていた。上坂さんはもっと居たいというのが本心のようで、何度も揺らぎそうになるのだが、決まってそれを打ち消すように断るのだった。 「いや〜、やっぱり帰ります〜」 とその時、また私の左前方で何かが光った。今度はチカチカっと2回。 ん?なんだ? どうやら錯覚ではないらしい。 虫?なんの虫? それは、私の向かい側に座っている上坂さんの胸の高さで、体から20センチほど離れたところで瞬いた。ちょうど座っている私の目線の位置でもあるから、いやでも目に入ってくる。 白っぽい銀色のような発光体で、3〜4ミリくらいの小ささなのだが、光は強かった。 私はハッとした。 思い出したのだ。 35の声を聞くと、突然様々な神秘体験が始まった。そのうちの一つは、時々青い発光体が目に付くようになったことだった。 当時様々なことが起こっていたので、友人が知り合いのチャネラーを紹介すると言ってくれた時、すぐにセッションを申し込んだ。 発光体について、チャネラーはこう言った。 「その青い光はスピリットです。ずっとあなたのそばにいて、あなたを見守ってきました。長いなが〜い間、ずうっとです。ようやくあなたは、それに気づくようになったのです。あなたに気づいてもらって、スピリットは喜んでいます。練習が必要ですが、意識をフォーカスすれば、やり取りすることもできますよ。相手が何か必死になってあなたに伝えようとするときは、チカチカっと瞬いて、あなたの注意を引こうとします」 そう、それだ!と思った。 青くはなかったが、チカチカっと瞬いているのは、私に何かを訴えかけているからなんだ。 すると、それを読み取ったかのように、またチカチカチカっと光った。今度は、光の芯の部分まで見えるほどはっきりしていた。 それは亡くなったご主人だった(と私は感じた)。ご主人が妻に伝えたくても伝わらないので、必死になってチカチカやって、私に合図を送っていたのだ(と私は解釈した)。 そう気づいた後、思うと同時に口から言葉が出ていた。 「おばさん、おじさんは仏壇の中にいるんじゃなくて、今隣にいるんですけど〜。仏前にご飯とかの心配はしないで、今日は遊んで行きなさいって言ってますよ。おばさんに今楽しんでもらうことが、おじさんにとっても嬉しいことなんですって。今を楽しんで、思いきり楽しんで!って言ってますよ〜」 上坂さんはじっと聴いていた。 突然こんなことを言うなんて失礼だし、おばさん面食らってしまうよな、と私は思ったが、意外にも、上坂さんはふっと楽になった様子で、「じゃあ、お言葉に甘えて」と言った。 あんなに拒んでいたのに、私(おじさん)の一言で、ころっと変わったのには驚いた。やっぱりおじさんの力が働いたんだ、と思った。 夕食の後、父は上坂さんを送って行った。 翌日、上坂さんからお礼の電話があり、久しく人と話すこともなかったので、もう楽しくて楽しくて、大はしゃぎしてしまったそうだ。 あの後、家に帰るなり、よろよろと自分の部屋に入るとバタンと布団に倒れて、そのまま昼近くまでぐっすり寝てしまったとのこと。いつもならあまりよく眠れず、夜中に何度も目を覚ましてしまうのに、昼まで寝続けてしまい、自分でも驚いたのだそう。 楽しくて大はしゃぎして、疲れてぐっすり眠って、翌日も気分爽快だったという上坂さん。 その後連絡は途絶えてしまい、上坂さんに会ったのはそれが最後だったが、おばさんの笑顔を見られてよかったし、うちの母も良いことをしたなあと思った。 あのチカチカっは本当におじさんだったのか? そうだと思う。 「仏壇の中にいるんじゃなくて、隣にいる」 よくそんなこと言えたなあ。自分でもプッと吹き出してしまいそうになるが、お勤めをきっちり真面目にやる毎日、その習慣の奴隷になってしまわないで、自由に楽しんで欲しいということなのだろう。 上坂さんのこのエピソードと共に、スピリットたちが私に伝えてくるメッセージがある。 ** あなたが楽しいとき、私も楽しい。 あなたが嬉しいとき、私も嬉しい。 だから、悲しんでいないで、寂しがっていないで、今を思いきり楽しんで。 生きている今を思いきり楽しんで。 常に共にあり、常に大きな愛で包まれていることを忘れないで。
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「ロイヤルミルクティーをください」
「ロイヤルミルクティーで」 「ロイヤルミルクティーお願いします」 デパ地下にある行きつけのコーヒースタンドで、豊富なコーヒーメニューを尻目に、私がオーダーするのはいつもこれ。数席あるカウンターで、紅茶を頼むのはほとんど私だけである。 「ホットティーください」 「アールグレイお願いします」 「ダージリンで」 どこのカフェに入っても、こんな具合。 私はコーヒーを飲まないのだ!というよりも、飲めないのだった。 子供の頃から胃腸が弱く、コーヒーを飲もうものなら、胃が痛くなったり、口の中に変な酸味と後味が長く残ったりして、私にとっては、コーヒー=胃が不快・不調になるから避けるべきものになった。 アメリカに移ってからは日常で緑茶を飲む機会が減り、カフェインに敏感になったこともあって、ハーブティーを飲むようになった。 たまに緑茶を飲むと、それがたった一杯であっても夜眠れなくなったので、午後からはカフェインが入ったものは一切摂らなくなった。 ただでさえ要注意のコーヒーには、カフェインレスでない限りカフェインが入っている。私の中で、飲めないコーヒーは、飲まないものから「飲んではいけないもの」となってしまった。 それでも、ごくたまに人につられて挑戦しようとしたり、仕事上自分だけ他のものをオーダーできない状況で飲むと、やっぱり後悔する結果となる。コーヒーを美味しいと言って常飲している人は、一体どんな体をしているのだろうかと不思議に思ったほどだ。 そんな私は、日本に戻ってからは、日本茶を飲む生活様式へと戻ったため、少しずつカフェインに慣れていった。とはいえ、今でも夜は濃い緑茶は控えている。 コーヒーに限っては、相変わらず縁がない日々を送っていた。 「ロイヤルミルクティーをください」 「ロイヤルミルクティーで」 「ロイヤルミルクティーお願いします」 デパ地下にある行きつけのコーヒースタンドで、豊富なコーヒーメニューを尻目に毎回ミルクティーをオーダーする私。 それが、ある日突然ひっくり返った。 1年ほど前のこと、いつものようにカウンターに座ろうとした時、突然何かが小さく弾けたような感覚があった。それは、何かに気を取られていたり考え事をしていたら気づかなかったであろうほど、ごく微細な感覚だった。 頭の中か体の中か、はたまた体の外だったか。とにかく、とても小さい何かが弾けた。 「ん?」と思って、そこに意識を集中させると、頭の中でミルクティーが端の方へ移動していき、空いた場所に「ちょっとカフェオレ頼んでみたら?」というのが入ってきた。 それは声だったのか、考えだったのかわからないが、「トライしてみたら?」という誘いのようなものだった。 直感で、「うん、これはイケるかも、飲んでみても良いかも」と思った。馬鹿の一つ覚えのようにミルクティー、ミルクティーと言うのにも少しうんざりしていたところだった。 「今日はちょっとカフェオレを飲んでみます。薄めにお願いします」 店員さんは一瞬表情が固まってから、「はい」とにこやかに微笑んだ。 まずは牛乳をたっぷり入れたカフェオレで・・・。私の中から好奇心が湧いてきていた。これはイケるかも、となぜかそう思うとワクワクさえしてきた。 店員さんが牛乳を手で泡立てて、ラテ風にして出してくれたカフェオレは、私の苦手な酸味がなく、胃に不快感を与えない。全く大丈夫だった。苦味もそれほど気にならず、滑らかな口当たりで美味しいとさえ思った。 それから、毎回私はつきものに憑かれたようにカフェオレを、カフェオレがメニューにないカフェではカフェラテを頼むようになった。あれだけ飲んだロイヤルミルクティーは、どこへやら。 それも飲む時間は、午後3時以降。カフェインが入っていても、夜の眠りには全く影響ない。毎朝マグカップ4杯分の濃いコーヒーを入れる夫でさえ、午後のコーヒーは眠れなくなるらしく、午後はカフェインレスのものしか飲まないのだが、私は4時に飲んでも5時に飲んでも平気なのである。 午後に決まってコーヒーを飲む私。一体何が起こっている? 私の内から返ってきたのは、「化学反応」という言葉だった。肉体・体内で起こっている変化に対応するため、今体が必要としている何かをコーヒーを通して摂取しているようだった。 胃が反応しなくなったり、カフェインが大丈夫になったり、それは年をとって鈍感になったということではなかった。むしろ、感覚は敏感になってきており、味覚は以前よりも高まっている。 例えば、外食して、本当に美味しいと思えるものが少なくなってきている。食材や鮮度、調理方法、調理人の心理状態などのエネルギーが反映されるので、感度が上がれば当然それを感知するようになる。 1年半ほど前に、あるビジネスホテルの朝食で何を食べても無機的にしか感じなく、これは食べ物の形をしているが食べ物ではない!と強く思ったことがあり、その自分の反応に驚いた。 それは強烈な体験だったが、コロナ期を通して私の中でさまざまな変化が起こっている。 その中で最も顕著なのが、「こだわりがなくなってきている、どっちでも良い、どうでも良い」というのであり、つまり、徐々に縛りから脱しているのである。 そのような意識の変容に伴って、体にも変化が起こるのは当然だと私は思う。 先日、友人がFacebookの投稿で「新しい世界は、当たり前の別角度から突如 拓いてゆく」と書いていた。 その通り!あの時、突然襲った何かが小さく弾けたような感覚。ほんのわずかな小さな小さな感覚。 それが180度大転換の始点だった。58歳になってそんなことが起ころうとは!!しかも30度でもなく90度でもなく、180度なのである。 何がどうなってこうなった? そう、あの弾ける感覚は、扉のようなものだった。カフェオレを試さずにそのまま紅茶を飲み続ければ、扉の向こうへは行けなかったかもしれない。 先日、街の小さなコーヒー豆専門店で、深煎りのコーヒー豆を挽いてもらった。それを楽しそうに持ち帰る自分の姿があるなんて、1年前までは想像だにしなかった。 苦手なものを克服したというよりも、ひとつ新しい楽しい世界が開けたという方がしっくりくる。そこには、以前とは違う自分という自由と喜びがあった。 私は思う。扉の数も種類も無数にあり、気づかないだけで、きっと最初から存在していたのだろう。ただ、それに出会う方法もタイミングも人それぞれで、通り抜けて出会う世界もレベルもさまざま。 遅すぎるということは決してない。ひょっとして人は死ぬ直前まで、そのような扉を何度も何度もくぐっていくのかも。 友人が言ったように、新しい世界は、当たり前の別角度から突如 拓いてゆく。 そうなると、やはり微細な感覚に耳を澄まし続けるのが良いと私は思った。 |