この心地よい世界を、私は夢の中で感じ取った。
起きていたかのようなはっきりとした意識の状態で、まるで実際に体験したかのようにリアルに・・・。 今朝方、こんな夢を見た。 どこからか歌が聴こえてくる。 そのメロディーに合わせて、自然に私も歌い出す。ハーモニーが創り出す音の中を、私は滑らかに流れていく。その滑らかさが、なんとも心地よい。 気づくと一方の音が消えており、いつの間にかバトンタッチされたかのように、私は一人で歌っていた。 私の目の前には広大な空間があった。 空、大地、どこまでも続く平原。 歌いながら私の意識は、特定の場所へと引き寄せられる。目の前に広がる空間に向かって開いたハートから、音が発せられる。音は特定のメロディーとなって、空間に溶けていく。 何の抵抗もなく、私は100%感じたままを表現していた。そこに思考は全くなく、私の存在そのものがセンサーとして感じ取ると同時に、出力をしていた。 そのなんと心地よいことか。 意識は一箇所に引き寄せられるが、そこに長くは留まらず、次へと動いていく。私は常に流れの中におり、それ自体が心地よい。 目の前に広がる空間に向かって歌っていたが、しばらくすると大地が現れた。口から出る音は、大地の波動と呼応する低い音へと変化し、その振動は大地と対話していた。私は溶けて広がっていき、大地と一体になる感覚に包まれた。 次に空が現れた。空に向かって発した音とともに、私の意識が広がっていく。それは私という存在そのものが、溶けて広がっていく感覚である。 すると、音が向けられた一点に、きらめく星々が吸い込まれるように集まってきた。 その音の中で、星々は弧を描くようにゆっくりと回転し始め、それが銀河を形作っていく。その様子を眺めながら、私は感じ取った。私が発した音が星を動かし、銀河を創り出していくことを。 音は、特定の周波数を持つ意識であった。 地上の空間が現れると、次は大地、そして次は天空という風に、目の前の風景が自然に移っていったが、それは私を超えた大いなるものが司る流れの中にあった。 私の意識は一箇所に留まることはなく、穏やかな川の上をゆっくりくだっていくように、滑らかに動いていく。 その滑らかな動きの中で変化する光景の一つ一つを、私のハートから発せられた音が包む。 継ぎ目もなく、途切れもなく、音とともに完全に滑らかに流れていく中で、終始私は心地よさを味わっていた。 どの瞬間も心地よい。それしかない。そこに思考が入る余地は全くなく、そこには感じることだけがあった。 一貫した絶対的な心地よさが占める領域。 この夢を見る前に、実は私は別の夢で不快な思いをして、その不快さが消えずにしばらく眠れなかった。しかも、不快さを感じていると怖れまで出てきて、ますます眠れなくなった。 それは私が望むことではないのを知っていたので、私は自分が望む状態を自分自身に問うてから眠りに戻った。 その眠りの中で受け取ったのが、この夢。高次の私からの贈り物だった。 私は創造者として音を発していた。音は意識であり、意識が創造の始まりであることを、音を発し、それを聴きながら、私は感じ取った。 感じることで理解できる。そのことを知った。 この感覚を、私は夢の中でしっかり掴み取ることができたか。 もちろん、私のハートは最初から知っている。 この感覚は、この地上での自分の在り方そのものへと私を導くもの。目には見えぬ大きな流れと調和しているときに得られる、絶対的な信頼と心地よさの感覚。 その感覚の中で私は喜びそのものとなり、喜びはそれを表現する。それが呼吸をすることであり、生きていることであるかのように、表現することは喜びであり、喜びは表現を欲した。 表現は体験をもたらし、そこからさらに喜びが生まれた。 あらゆるものが移りゆく。滑らかに移りゆく。そこに身を置き、心地よく喜びの中で創造すること、し続けること、その絶え間ない喜びの創造の中で生きること。それが可能であることを、夢は教えてくれていた。 そして、その世界へと私の深奥が今の私を招いていることを知っているから、私はその道を積極的に歩くために、さらに一歩踏み出す。
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