<「財産管理」という代物>
「面倒くさいなぁ・・・」と思った瞬間、私は向きを変える。するとそれは去っていく。いつしか面倒と思うことはしないようになった。 ズボラになったわけではない。面倒 = やりたくない = やりたいと思う気持ちがない、ということで、私の気持ちと一致していないので選ばない、というだけのこと。 以前は全部自分でやろうとし、無理をしてでも頑張ってやってきた。面倒くさいと思うことさえ自分に許さず、自分自身にかなりのストレスを与えてしまっていた。随分長い間、このパターンをやってきたのだったが、最近は考えるより先に、この「面倒くさい」が来てしまう。 それだけ自分に正直になったということだ(笑)。 「面倒くさい」が強い味方となると、そこからハートはさらに教えてくれる。 「どちらに意識を向けるかが大事だよ。『自分の気持ちと一致していないので選ばない』にフォーカスするのではなく、『自分の気持ちと一致したことを選ぶ』に最初からフォーカスするんだよ。これも練習。日々実践しているうちに慣れてきて、自分の内側の感覚と一致した時間が徐々に増え、どんどん安定してくるよ。すると起こること、体験することにも変化が現れるよ」と。 それをやり始めると、実際面倒くさいと思うことが減ってくるので面白い。そう思う状況にならないのか?それとも、以前は面倒と思ったことを今は面倒と思わなくなったのか? 多分その両方が起こっているのだろうが、エネルギーが下がることが減ってきて、何かがきっかけで下がってもまたすぐに元に戻れる。感覚がどんどん開いてきて、面白い体験が増えるのは確かである。 そんな私に、突然面白くないものがやってきた。 「財産管理」という代物。 <面倒くさいものがやってきた?> 子供もいないし家も持っていない。ものを所有することに縁がなかった私に、この年になって回ってきた親の財産の管理。 財産と言っても、世間から見れば大した額ではないだろうが、私は自ら進んで関わろうとは思わなかった。お金のことに法律が絡んで、価値、損得、権利、規制、規則、責任など、堅苦しいものが勢揃いする。 それらを考えただけで気が重くなる。難しそうで面倒くさく、私は触れるのを避けてきたわけだが、今回父と母の入所と併せて、それがやってきた。 先日の投稿ブログで、幾つもの信じられない展開があり、父と母が有料老人ホームへ超スピード入所した話を綴った。その中で言及したが、私は介護施設について知識もなく、何もわからない状態だったにも関わらず、結果的には必要な情報がもたらされ、全部サポートされて、与えられるべきものが与えられた。 今回、財産管理についても、自分で調べたり勉強したりしなくても、ある日、そろそろタイミングかな?という気配が訪れ、それに従って行動すると情報が与えられる展開となった。 これも波のようにやってきたが、父と母の入所とは違った種類の体験をもたらした。 財産管理に対して私が感じていた重みは最初からどこかへ吹っ飛んでしまい、「こんな大事なことなのに、本当にこんなことで良いのか?」と戸惑ってしまうほどの軽さと不思議な繋がりに驚く結果となったのだ。 ケアマネージャーさんが案内人として情報の入り口で迎えてくれたので、私はその入り口をくぐったわけだが、そこに新しい人々がエキサイティングな形で登場し、宇宙の計らいのようなものを感じることとなった。 さて、何がどのようにエキサイティングなのか。 そのお話をしよう。 <このご縁、面白すぎる!> ケアマネージャーさんが、相続に精通している保険会社の人に最近たまたま会ったということで、私にその人を紹介してくれることになった。まずは話を聞いて、話の流れで必要になった場合は、司法書士などの専門家に相談すれば良いのではないか、というケアマネージャーさんのアドバイスに私は従うことにした。 その保険会社の人がどういう人か、私は全くわからない。ただわかりやすく説明してくれ、裏話なども知っている人、ということだけを聞いていた。 私の頭の中には、世慣れた、というよりも、ちょっと世間擦れした話好きな小太りの中年男性のイメージがあった。スーツ姿で年は50代くらい。私はまな板の上の鯉状態となり、きっとグイグイ押され、訳もわからないまま何かに加入させられるのかも、と思った。 ところが、私の目の前に現れたのは、ほぼ普段着姿の30代女性(以下Yさん)だった。笑顔が爽やかで、ビジネスの匂いがしない。というよりも、彼女の素人っぽすぎる雰囲気は、保険会社の営業員に対する私のイメージとかけ離れていた。 Yさんと会った瞬間にスッと引き合うものを感じただけでなく、向かい合った時にハートが開いて自分から発せられるエネルギーが広がったので、私は「おやっ?」と思った。 ケアマネージャーさんも同席してくれ、ミーティングは打ち解けた雰囲気で始まったのだが、始まるや否や、私の口から不意に出たのは夫のことだった。 「私の夫はもともと法律家なのですが、アメリカ人なので日本のことはわからなくて・・・」 「私は財産管理についてわからないので教えて欲しいです」と言えば良いのに、なんで夫のことが出て来たのだろう?と内心と思った。 すると「そうなんですか。実は私、仙台の大学で法律を勉強しました。何だかご主人と共通点がありそうに思います」とYさん。 「ええっ?仙台!?」 ここでいきなり仙台が出るとは! 「私、仙台に住んでいるんですよ。どちらの大学を卒業されたのですか?」 なんと、夫が勤めている大学だった。 「えっ、私たち、そのキャンパスの前にある宿舎に住んでいます」 「ええーっ、そうなんですか?!」とYさんは驚きながら、アハハハっと笑う。 「Yさん、ご出身は三重県のどちらですか?三重から東北の大学へ入るというのは、珍しいですね」 私はてっきり三重の人だと思っていた。 「いえ、山形です。山形から仙台まで電車通学していました」 「ええーっ、山形ですかぁ。山形のどちらですか?」 「山形市です」 「そうなんですかぁ、私は山形が大好きで、時々行くんですよ。緑町の歯医者にも通ってます」 「実家の近所です・・・」とYさんは苦笑。 「ええーっ?わあ、不思議なご縁!!」 本題へ入る前に、ケアマネージャーさんそっちのけで、二人で盛り上がってしまった。ケアマネージャーさんは、あっけに取られている様子だった。そりゃあそうだろう。 「来たぞ、来たぞぉ〜!ケアマネージャーさん、やるなあ、またまた不思議なご縁を運んできた」と私はワクワクした高揚感に満たされた。 このように、ハートは楽しんでいた。一方、マインドは、相続についての説明といえども結局は営業が目的なのだから、相手がどこでどう出てくるのか見守ろう、と慎重さを保っていた。 <こんなに軽くて良いの?> ライフプランナーという肩書きのYさんは、実際とても誠実だった。相続シミュレーションの書類を作成し、選択肢を再確認するために、後日私と姉がいる実家へ来てくれた。 「先日、夫と伊勢神宮へ行って来たんです」と言って、Yさんが手土産を差し出したので、私は驚いた。100%ビジネスなのに、個人的なお土産っぽい。 姉もYさんへのお土産を用意しており、お土産交換になってしまった。 お茶菓子に私が仙台から持ってきたずんだ餅を出すと、「ずんだ、大好きです〜」と言いながらYさんは嬉しそうに頬張った。相続というシリアスな話であるのに、姉も私と同様、当事者感が薄く、結局3人の女友達がおしゃべりするような雰囲気のまま話し合いは終わった。 こんな軽くて良いのだろうか? 良いのである。 親の預金も最後にはいくら残るかわからないし、この先夫の仕事も住む場所も、現時点ではどうなるか考えてもわからないので仕方ない。 「この家があるからホームレスにはならないでしょう、くらいのスタンスでいれば良いんじゃない?この家に焦点を合わせるのではなく、自分が何をしたいか、どのように生きたいかを優先させること」と私のハートは言う。 ハートに意識を合わせていると、心配や不安になったり、ごちゃごちゃ考えたりはしなくなる。余計なことを考えてエネルギーを浪費するということがないので、楽でいられる。 <司法書士に依頼する> 結局、Yさんが司法書士を紹介してくれ、土地・家屋の生前贈与の手続きを進めることとなった。 ここからは司法書士にバトンタッチされ、私はYさんの役割はこれで終わったと思ったが、Yさんはその後も取次ぎ役としてこまごまと世話をしてくれた。 私は司法書士は当然県内の人だと思っていたが、紹介されたのはYさんが所属する大阪地域の方だった。請求書を見ると、三重までの出張料が記載されており、これは想定外のことだった。 結構な金額なので、以前の私なら悩むところだったが、素直に自分の期待とは違っていることを伝えると、Yさんがこう言った。 「もちろん、県内の先生もご紹介できます。ただ、この大阪の先生は結構有名で、引く手あまたで全国を飛び回っていらっしゃる方です。司法書士の経験が浅く、後でトラブルになるケースも多い中、この先生ならご安心いただけるということで、自信を持ってお勧めできます」 司法書士の選択肢は私にあった。 Yさんは口がうまい営業レディーと取るのか、誠実な人だと取るのか、という解釈の選択肢も私にあった。 私は、うちのこんな小さな案件でも丁寧に扱ってくれているYさんの姿勢を素直に嬉しいと思った。 そう思った瞬間、彼女が言った。 「それと、出張は回避できます。私がオンラインでの面談をお世話しますよ」 ということで、出張費がなくなり、Yさんの余分な仕事が増えた。だが、Yさんからの手数料の請求は最初から一切ない。 面談の場所もすぐに決まった。ケアマネージャーさんは、父と母が通っているディサービスの施設長でもあり、ミーティングルームを快く提供してくれた。 ディサービスの途中で父を呼び出すだけで良く、休ませる必要がないので、双方にとって都合良かっただけでなく、私はそこで母にも会えるので有り難かった。 <素早く切り替える> 面接の前日、私は老人ホームの部屋で父に言った。 「お父さん、家のことで明日司法書士と会うからね。家のこと覚えてる?」 父の目が泳いでいた。 「家?ここが家と違うか?どこのことや?さあ、わからん」 「お父さん、自分の家を建てて、長い間そこに住んでいたんだよ」 「・・・・」父は首を傾げていた。 「俺は施設には行かない、家に残る」と常々言っていた父は、今施設を家だと思っていて、自分の家のことは記憶にない。 家に残りたいという言葉を聞いて、私は、父は最期まで家にいたいのだから、そこから引き離すことは残酷だ、という考えを持ち続けていたが、それにこだわっていたら、置いてきぼりになるところだった。 1から10までの連続するアナログから、1か0、オンかオフしかないデジタルへと変化するように、父と母の脳からは過ぎたことは次々と消去されていく。 そのため、以前がどうであれ私はそれをゼロにして、たとえ今この瞬間が10分前と真逆であったとしても、それへと素早く切り替えることを余儀なくされた。 ここ数年の間にその度合いも徐々に高まり、私がイライラせず安定した精神状態を保つためには、自分が状況や相手に対して持っていた考えを捨てて、一瞬で切り替えるのが最良だと体得した。 その切り替えの訓練のおかげなのか、私の日常にも変化が現れた。全体的に軽くなっていき、日々がより滑らかに流れていく。 切り替えに重い感情が入る隙はなく、軽いほど切り替え易くなる。そして、切り替えた瞬間に前へと押し出されるので、軽い状態を保ったまま体験の質が加速的に変化していく。 父と母は認知症という形で、私を困らせているのではなく、逆に、私が古いパターンを抜けて、次のステップへと進む助けをしてくれていると私は思う。認知症を私の味方にできる視点が、またひとつ増えた。 <意表を突く出会い> さて、司法書士との面談の日となった。 ディサービスを抜け出してきた父は穏やかな様子で、Yさんときちんと挨拶した。落ち着いて堂々としているので、状況を完全に把握しているように見えるが、実際はどうなのか疑問である。 YさんがパソコンでZoomを立ち上げ、司法書士と父と私のオンライン三者面談の準備が完了した。 この日司法書士と初めて会うわけだが、Yさんから「引く手あまたで全国を飛び回っている有名な方」だと聞いていたので、どんな偉い人かと思って私は緊張していた。 その「有名な方」は、私の頭の中でこんなイメージがあった。 完璧な身なり、肩幅が広くどっしりとしていて、髪はグレーできちんと分けている、威厳のある雰囲気、いかにも頭が切れそうな60代くらいの男性。 Yさんの「今、先生がお入りになりました」の一声で、私はそのイメージを再び頭に描いたのだが、パソコン画面に現れた司法書士に意表を突かれた。 完璧な身なり → ノーネクタイで、セミカジュアル 肩幅が広くどっしり → 小柄 髪はグレー → 黒々 威厳 → ない 頭が切れそう → そうなのだろうが、そう思わせないというか、邪魔が入る 60代 → 30代 と、私の想像とはかけ離れた方が現れたわけだが、それよりも何よりも、画面に現れた瞬間、その方はどうしてもお笑い芸人にしか見えなかった。そう、お笑い芸人。 俳優の大東俊介さんと吉村大阪府知事を足して2で割ったようなお顔で、ニコニコ微笑んでいる雰囲気は、ご本人は普通であるのに、まるでお笑い芸人なのである。 その雰囲気に大阪弁のイントネーションで説明されると、真面目なはずなのに、私はお笑いの世界へと引っ張られてしまい、どこかでオチがつくのを密かに期待してしまっているのを、ご本人は気づいているだろうか? 事務所名とロゴマークをZoom画面の背景にしてデスクに座っている司法書士が、ステージの休憩時間に控え室からインタビューする芸人に見えてしまうと、丁寧に慎重にお話しされているのに、言葉が大阪弁の音とともに、私の中で自動的に楽しく軽い感じに変換されてしまう。そうやって、軽いまま進行していくのである。 しかし、ヒヤッとする場面もあった。 父は司法書士から名前と住所、生年月日を尋ねられた時、住所のところで「住所、住所、どこやったかなあ、へへへっ」と照れ笑いをしながらキョロキョロ周りを見回した。 「あっ、まずい」と私が思った瞬間、父の口からスラスラ出てきたのは、自分の生家の住所で、得意そうにしっかりと番地まで言った。 その場の空気が一瞬凍りついた。 私は仰天し、父が自分が贈与する家の住所を言えなければ、手続きは完全にアウトになるのではないか、と焦った。 しかし、そこはプロ。司法書士は何事もなかったかのように、住所を穏やかに誘導してくれた。 それにしても、父は私を自分の妹だと思っていたり、93歳にして生家の正確な住所が出てきたりと、私は驚くことばかり。しかし、驚くたびに、父への人間としての愛おしさが増すのだから不思議である。 Zoomが終了した後に、私は思わず言った。 「司法書士さん、お笑い芸人に似ていません?」 Yさんが声高らかに笑い、途中で部屋に入ってきて進行を見守っていたケアマネージャーさんも笑いながら言った。 「そうそう、『吉本です』って言っても通用してしまいそうな感じでしたよね」 やっぱり私だけではなかった。 <さらに驚くことが!> 相続という重みを感じることなく、こんなに軽く楽しく進んでいって良いものか、と私のマインドは立ち止まるのだが、「重いものにも難しいものにもする必要は最初からない」とハートは言う。 今回の親の入所にしても財産管理にしても、私は意外な展開に驚くばかりなのだが、最後にもうひとつ驚くことがあった。 提出する登記済権利証は、父が家を建てた51年前に作成されたものであるが、テーブルの上に置かれたその権利証の表紙を見たケアマネージャーさんが、「あっ、うちのおじさん!」と叫んだ。 表紙には当時手続きをした司法書士の名前が記載されており、なんとそれがケアマネージャーさんの叔父さんだったのである。 目の前の空間が渦巻き、私は鳥肌が立った。 <そらのトンネル> ゴールデンウィーク過ぎに実家に行ったところから、まるで別次元に入ったかのように、親と家のことで思ってもみなかったことが矢継ぎ早に起こり、あれよあれよという間に、私ははるか遠い場所まで運ばれてしまった感がある。 この3ヶ月の間に起こった出来事は、どれも中身はシリアスなことなのに重みはなかった。新しい人々との出会いと不思議なご縁はエキサイティングで、私のハートは弾んでいた。 起こったことのひとつひとつは全てあらかじめ計画され、お膳立てされていたとしか言いようがない。 展開したストーリーは、ものすごいスピードで前進していったにも関わらず、最後に突然51年前へ引き戻し、ケアマネージャーさんの叔父さんの存在が登場したというオチになった。 その時、私は「目の前の空間が渦巻いた」と言ったが、それはまるでここまでの流れという時間がクルンとひっくり返り、51年前という時間と繋がって円を成したような感じだった。 司法書士との面談が終わった後、私は車を運転しながら、前方の空にある不思議な雲に気づいた。それは「実家の生前贈与という大事なことなのに頭が動かず、あんな軽い感じで署名捺印をしたが、本当にあれで良かったのだろうか?」と、ちょうど私が考えていた時だった。 青空が広がり周りに雲はなかったので、その雲は目立っていた。 ほぼ横向きの筒状の形をしている。 「そらのトンネル?」 トンネルは、大きな口を開けていた。 そのトンネルの入り口付近には、1本の糸のような水平の雲があった。 「あれはこれからトンネルに入っていくのだろうか、それともトンネルを抜け出ようとしているのだろうか?」 雲を眺めていると、1本の糸が自分を表しているように見えてきた。 「そらは次元のトンネルを見せてくれている。私は入るのか、出るのか・・・」 頭は答えを出したがって混乱していたが、ハートはクリアーだった。 それはどちらでも良かったし、重要なことではなかった。 全体から見れば、ひとつの通過点に過ぎないほんの小さなこと。 変化に終わりはなく、意識は拡大し続ける。
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<予告>
長い坂を自転車で下っていく。角度は20度くらい。坂は延々と続き、スピードがどんどん加速していく。恐怖を覚えるほど凄まじい。 バランスを崩すと勢いよく飛ばされて、空中分解してしまうのがわかるため、微動だにできない。丹田に意識を落として、前方一点集中。この中心から絶対にブレることはできない。しかし、しっかりと一点に集中していると、面白いことが起きる。さまざまな感覚が開いていき、緊張の中にも奇妙な弛緩感覚が訪れるのである。 これは、数ヶ月前に見た夢だが、夢の中でこのようなリアルな感覚を体験した。 私にとって、この夢は予告であり、学習して感覚を覚えるために与えられた、と今でこそ断言できる。 数年前から様々なレベルでの内面のリセットが続き、それと並行して「同じこと、同じやり方をしていても仕方ない」という言葉がハートから強く響いていたり、大事なものを失ってゼロになって、心細いがスッキリ感があるという夢を見たりしていた。 さらに、たまたま観た動画から極め付けのような、次のメッセージが流れた。 「これから起こる変化に対して、それを受け入れるか否かの選択を一人一人が迫られているが、受け入れる選択をした場合、あらゆる面で今までとは全く違う環境・世界の展開の扉を開くことにもなる。あなたはどうするか?」 私は受け入れると即答した。 そのすぐ後から実際に展開したことは、上に挙げた要素が具現化したようなものだった。 <巨大な波> 今回の変化のフォーカスは、ズバリ「土台・構造」。それも大元のところ。 私に提示されたテーマは、親と実家であった。 やって来た波は、まるで数年分のエネルギーが、2か月という時間の中に凝縮されたかのように濃くてパワフルなものだった。私は、短期間にこれほどまでに物事は動くのかと、驚くほどの変化を体験した。 これまで数年間、私は穏やかな凪のような日々を過ごしてきたが、今思うと、この時のためにエネルギーを溜めていたのかもしれない。圧倒されそうなほど強烈であったがしっかりと踏ん張っていられたのも、その穏やかな時期に自分の軸が着実に強固なものになっていったからだろう。 起こった出来事のひとつひとつを辿っていくと、全てあらかじめ計画され、お膳立てされていたと言える。波は巨大で凄まじかったが、私はそれに呑み込まれるのではなく、大波にできたトンネル空間の中をくぐっていくサーファーのごとく、波(物事の進度)の速度と合わせて滑っていった。 <球が投げられた> さて、何が起こったのか。 今年2月に私はアメリカへ行き、帰国してから風邪に似た不可思議な症状が1ヶ月ほど続いたため、実家へ行く予定を延期せざるを得なくなった。すると、3か月半ほど会えないでいた間に、父の認知症が進んでしまった。 ゴールデンウィーク明けに訪れると、父が私を見る目つきが変わってしまっており、なんとなく様子が変だった。夜中に混乱した様子で突然私の部屋へ入ってきて、大声で私に質問し始めることもあった。その目つきも口調も、見知らぬ人に尋ねているかのようだった。 翌日も父は私のことがわからない様子で、誰なのかとしばらく考えていたようだが、ニヤッと笑って自分の妹だと言った。自分に娘がいることは覚えていなかった。さらに、幻視や幻聴も始まっていた。前回1月末に会った時は今までの父だったのに、短期間にこれほど変わるのかと私は衝撃を受けた。 在宅介護も徐々にレベルアップしていき、今年に入ってヘルパーさんがほぼ毎日入るようになったが、母の物忘れも激しくなり、できないことが増えて、父と母二人での生活はかなり限界にきていた。 私は翌日、日常での変化など報告がてらケアマネージャーさんと会ったが、これがひとつの起点となったようだ。会話の流れが、ごく自然に介護施設と財産管理のことになった。 「やっぱりきたかぁ」と私は心の中で思った。 長年実家から離れて暮らしているというのもあり、地域の介護については無知で触れることに抵抗があったため、私は踏み込むことをずっと避けてきた。財産管理にしても夫は日本のことはわからず、私が自分で調べたり勉強したりすれば良いのだが、面倒臭くてその気にはなれない。考えるだけで気が重くなり、放置してあった。 ところが最近、今まであったその抵抗がごく自然に緩み、私の内側で何かがかすかに動き始めた感覚があった。 そろそろかな? そのような微細な感覚は、具現化できる。ケアマネージャーさんから施設と財産管理の話が持ち出された時、私は内心ニンマリした。 何かことが起こったり心配事があったりした時、それをどう解決するか? 以前の私なら、そして多くの人が、どうしたら良いかと、おそらく頭で一生懸命考えるだろう。 だが、今回確実にわかったことがある。 私は何をどうするかなど、詳細はわからなくてよい。一生懸命頭で考える必要などなく、内側の感覚をしっかり掴むと、そこに意識を向けるだけで良い。内側の感覚は高次の意識でもあり、ポジティブなエネルギーに満ちている。そのポジティブな感覚を味わい、強めていくのである。 意識を向けるというのは、バッターボックスに立つようなもの。やがて球がこちらに向かってやってくる。それを待っていて、ギリギリのところまで引き寄せてタイミングよく打てば、球は高く飛んでゆく。 内側で今まであった「抵抗」という名の鍵が外れた感覚に意識を向けると、軽やかさがやってきて、ケアマネージャーさんに会って話したいと思う気持ちが自然に強まった。 私は、バッターボックスに立ったのだった。 実際、まず私がすべきことは、ケアマネージャーさんに会うということだけだった。話すことをあらかじめ頭の中で組み立てる必要はない。ただ、会ったら会話の中でシグナルが発せられるので、整えておいたアンテナでそれをきちんとキャッチすること。 ケアマネージャーさんの口から、すぐに「介護施設」、「財産管理」というキーワードが出てきた。それをキャッチすると、私は知識がないというスタンスで、この二つのキーワードを使って短い質問をするだけで良かった。私はバットを構えたのである。 「施設はどういうところがあるのでしょうか?」 「財産管理について、専門の人に依頼するのが良いでしょうか?」 すると、ケアマネージャーさんの口からこんな返事が返ってきた。 「うんうん、実はですねぇ、お二人(父と母)に合うと思う住宅型有料老人ホームがひとつあるんですよ。企業経営で抱え込みになっていて、入るとどこへも出られない所が多い中、そこは家族経営で規模が小さいので自由度が高く、家にいるように今まで通りディサービスに通えるんですよ。そこに入った人は皆さん、前より元気になっているんですよね」 「財産管理は早く動いた方が良いですよ。先日、たまたま初めて会った人がいましてね。その人は保険会社の人なんですが、相続に精通していて、わかりやすく説明してくれますよ。行政書士や司法書士にお願いするのもいいですが、いきなりよりは、まずはその人と会って話してみるのはどうでしょう?話の流れで必要ということになった場合は、その人は専門家と繋がっているので紹介してもらえますよ」 私の内側で「ピン!」と音がして、合致する感覚があった。話を聞いていると、相手の口からさらなるキーワードが次々に飛び出て、その都度「ピン」「ピン」「ピン」と音が鳴っていく。 音とともに、過去の一場面が映像として浮かび、未来の起こり得る事柄や場面へと移動する。そうやって、言葉以外の方法で完璧な情報が運ばれてきて、一点が遠く離れた他の一点へと繋がれていく。ああ、この五感を超えた感覚こそ、私が拠り所としているものだった。 ケアマネージャーさんには数年以上お世話になっており、父と母の性格や生活の実情をよく把握してもらっている。おすすめに乗らない理由がない。 球がこちらに向かってやってきた。 「おお、来た来た。この球は逃さないぞ。でも急ぐことはないな。年内くらいに動けば良いかな」と、私は思った。 ところが、ゆっくりとした球は変化球だった。カーブしたり落ちたりするタイプのものではなく、途中でとんでもない速度に変化するものだった。 <急展開> 仙台に戻った翌週、私は畑で作業をしていると、突然ケアマネージャーさんから電話がかかってきた。 父が夜中に二階の部屋で倒れ、起き上がることができずに、翌朝母が発見するまで倒れた状態だったそうだ。臀部を痛めたようで、父は階段を降りられず、二階で寝たきり状態になっているとのこと。 救急車を呼ぶほどのことではないらしく、徐々に回復するだろうが、またこのようなことが起こる可能性があり、ケアも限界に来ているので、これがホームへ入所するタイミングになるのではないか、という話だった。 「そうなんですか、父が今そんな状態なんですね」と言うと、突然ケアマネージャーさんの声色が変わった。 「実は、あのおすすめの老人ホームに問い合わせたところ、今「たまたま」2つ部屋が空いていて、入れるって言うんですよ。ただし、まずはお父さんが歩けるようになって、階段を降りられるようになってからの話ですが・・・いつ歩けるようになるかは、はっきりはわからないですよねえ」 私の胸が少しドキドキし始めた。 「そうなんですね、今空いているんですね。それは、どれくらい待ってもらえるものなのでしょうか?」 「うーん、入りたいという人がいれば埋まってしまうので、何とも言えないです。先に契約して押さえてしまうという方法もありますが」 「そうですよねえ、こちらの都合に合わせて待ってもらうなんてことは、できないですよねえ・・・わかりました、なるべく早く決めるようにします。とりあえず、まず実家に行って、父の様子を見に行きます」 私はそう言って、電話を切った。 今たまたま2部屋空いている・・・。たまたま、というのは、実はたまたまではないことを私は知っている。 ぼんやりと前方を眺め、「この状況」という空間に意識を向けた。すると、その奥の方から小さな扉が現れた。チャンスという扉・・・それがゆっくりと開いて、私をいざなっているように感じられた。 <認知症は味方> さあ、どうするか・・・。父と母の二人を一緒に入所させるタイミング・・・これは大きな決断なのである。自分のことなら自分で決めて責任を取るが、最後の段階にある親の人生を一変させるようなことを、私が親に代わって決めなければならない。そんなことは今まで一度もしたことはなく、緊張と不安が襲った。 父は家に執着があり、死ぬまで家で過ごしたいと兼ねてより言っていたが、認知症が進むにつれて、そのような執着は徐々に消えていった。母は早くから入所を希望していたが、2人で入所するのは経済的に無理だと決め込んで諦め、早く人生を終わらせたいとばかり言っていた。 母も認知症が進行しており、今では脳に残るものはほぼなく、説明を理解したとしても数分後にはゼロに戻ってしまう。何度試みても全く記憶に残らないため、話を積み上げることは不可能で、母自身も混乱して自分で判断できないことが多くなった。 1から10までの連続するアナログから、1か0、オンかオフしかないデジタルへと変化するように、過ぎたことは次々と消去され、父と母は常に「今この瞬間」にいる。 夜中に大喧嘩や騒動があったとしても、二人は翌朝には全く覚えていないことに私は驚いた。私が覚えている父と母の過去の多くが、すでに本人たちの記憶にないことに虚しさを感じたこともある。 しかし、それは私の感情であり、そこにとどまっていても仕方がない。その感情を受け止めて横に置くと、別のことが見えてくる。 実際、抜け落ちることで変化し続け、会うたびに二人は新しいバージョンの人になっている。私の父、私の母という定義を超えた存在へと変化していっているのである。 だからこそ、私は過去の父と母にこだわる理由はなく、今にフォーカスして、新しい選択をしていって良いのだと気づいた。それは、ずっと変われなかったことを変えるチャンスが与えられているということなのである。 私のハートが教えてくれるのは、「視点を変える」ということ。 認知症を敵ではなく「味方」と捉えると、視野が広がり、行動しやすくなる。過去の記憶や重い感情に引っ張られることなく新しく選択し、軽く前進できる。 さらに、それを後押ししてくれる出来事もあった。 <絶対的な愛と信頼> ある日、夢の中に父と母の魂が現れた。それは今の状態とは大違いだった。生命エネルギーで若々しく(40〜50代)肌が光り輝き、穏やかに微笑む愛に満ちた父と母だった。 二人の存在は絶対的な愛そのものであり、私たちの魂は常に絶対的な信頼の中にある。以前にも違った形でそれを見せられたことがあるため、私は知っている。それは懐かしく、三次元の世界で出会うことはないだろう心の底から安心できるエネルギー。 それこそが本当の姿。 例え父が私のことをわからなくなっても、母の頭が混濁しても、それは肉体レベルの父と母の表面的な状態に過ぎない。その部分だけを見ていると、否定的な感情に左右されがちになるが、本当の姿を知っているから、表面がどう変化しようと揺るぐことはない。 本当のことを知ることは、力を得ることである。 実家に到着すると、聞いていた通り父は二階で寝ていた。ここ10日ほどずっとほぼ寝たきりで、足腰がさらに弱くなって立つこともままならなかった。 寝込んでいる父の姿を見た時に、夢が見せてくれた魂のその絶対的な信頼のことを思い出し、私はその感覚で父に接した。 トイレに行きたいという父の両手を持って立つ介助をすると、立てなかった足に徐々に力が戻ってきて、父はゆっくり歩き始めた。寝込んでから一人で歩いてトイレに行けるようになったのは、この時からだったと後でわかった。 ちょうど姉も来ていたので、二階にお茶とお菓子を運んで、三人で父の実家や先祖の話をした。父は嬉しそうに聞いていたが、子供の頃のことを思い出したのか、私と姉を自分の妹たちだと思ったようで、こんな機会(きょうだいが揃うこと)は滅多にないことだと興奮した様子だった。 「さあ、もう寝とる場合やない。俺、下へ降りていくぞ」と言うと、父は自力でいとも簡単に階段を降りてしまった。 ケアマネージャーさんの穏やかな声で緩やかに飛んできた球が、途中でとんでもない速度に変化したと言ったが、物事が繋がりあって勢いを増し、結果的には関与した私たち全員が一体となって加速させたようなものとなった。おそらく、最初からそのように計画されていたのかもしれない。 それまでずっと動けなかったのに、父は私が会いに部屋へ入った後歩き始め、その2時間ほど後には一人で一階に降りた。父の内側で変化が起こり、意志が足を動かしたのだ。 こうして父が一階に降りたことで、物事が一気に動いた。 <不思議なご縁?> その翌日、私は姉と一緒に老人ホームを下見がてらに訪問した。施設というよりもアットホームな民宿のような落ち着ける雰囲気で、姉も私も気に入った。 施設長さんは年配の女性で、気さくで親しみやすい人だった。ニコニコしながら、「私の父もお父様と同じ名前なんですよ。しかも漢字まで同じ」と言った。 「!」 それが私の反応だったが、「!」はさらに続いた。 同席していた施設長の息子さんは、私の友人のパートナーと同姓同名だったのだ。それだけでなく、その息子さんの奥様はその友人に雰囲気がそっくりだったので、このカップル同志の繋がりはなんなのかと不思議な気持ちになった。おまけに、奥様の名前はみえさんで、友人の名前はりえさん。 これは宇宙のジョークか? それとも、「これでいいのだよ、ご縁があるのだよ」というサインなのか? みえさんと話していると、りえさんと錯覚してしまうほど雰囲気が同じで、相手も何かを感じてか、もう最初から知っているような親しみが互いの中に生まれた。 やっぱりご縁がある。 さらに、同席していたケアマネージャーさんが、決定づける言葉を発した。 「順子さんにはお知らせしていなかったのですが、実は、先日施設長さんを倉田さんのお宅へお連れして、お父さんとお母さんに会ってもらったので、もう既に全員が顔合わせをしているのですよ」 「あぁ〜」 腹にストンと落ちた。 ということで、施設長さんからの案内と説明を聞いた後、その場で仮契約になり、その9日後には父と母が入所という超スピード展開となった。 9日後の入所日は令和6年6月6日。父の部屋は6号室。 「全部6ですか!これ、なんかありますね!」契約書にサインしながら、私は思わず言った。 おまけに、その日は新月だったということを後で知った。 「新月までも来たかあ!!」 やっぱり宇宙は完璧!全ては順調に起こり、順調に進んでいるということ。 この後私は仙台に戻り、1週間後には、入所を手伝うためにまた実家へ行くことになったが、1ヶ月の間に3回往復することになる。 「なんだかすごい密だなあ〜」 <混沌の中から出ずる喜び> 父は状況を全く把握していない様子だが、母は何が何だかわからないながらも、自分たちが老人ホームへ入ることになったということだけはわかっている。入所日はいつなのかと毎日何度も聞いてくるが、教えても聞いたそばから忘れてしまうので、なすすべがない。 「それで、私たちはいつ入るの?」(20回目くらいの質問) 「・・・明日・・・」 「・・・・」 「そうだよねえ、お母さんにとってはその質問は初めての質問なのに、いきなり明日と言われたら黙ってしまうよねえ。突然すぎるよ、私もこの速さにびっくりしているんだもん」と、私は心の中で呟いた。 ケアマネージャーさんは、どんどん押してきた。 「今がタイミングです。あまり間は空けない方が良いでしょう。ディサービスの帰りにお二人を直接新しい場所へお送りします。とりあえず必要な身の回りのものだけを運んで、後からゆっくり整えていけば良いです」 施設長さんも素早く受け入れ体制を整えてくれ、私たちは急がされた。 なんでこんなに急に、と思っても仕方がない。今、これが流れなのだ。 実家のタンスをひっくり返し、持っていけるものを探す。洋服も下着も持ち物も全て古いものばかりで、買い替える必要がある。本人たちは「先が知れているのだから新しいものはいらない」と新調することを拒み続けてきたが、ツケが回ってきた。 入所までの準備は1日しかなかったが、何が必要かを素早く判断し、全てのものに名前を書かなければならない。これがかなり大変で、入所というと大抵は一人だが、うちは二人なので、作業が2倍になる。 「こういうのって、普通は何ヶ月も前にわかっていて、徐々に準備していくもんだよねえ」油性ペンで下着のタグに名前を書きながら、姉が言った。 家の中はひっくり返り、ほこりだらけ。父と母が出た家の中は、まるで夜逃げした後のよう。こんな展開になろうとは・・・。 それと並行して、財産管理についても具体的に動き出したため、目まぐるしさがさらにエスカレートし、現実が、坂を猛スピードで下っていく以前見たあの夢のようになってしまった。 あの夢の中で私は一点集中を余儀なくされたが、本当にそうだった。他ごとを考えている暇などなく、目の前に現れることだけに集中して、ひとつひとつこなしていく。 だが不思議なことに、過密スケジュールに緊張が続いて心身ともにクタクタなのだが、深奥からワクワク感が湧き上がってくる。忙しすぎるが楽しい。 「私、こういうの好きかも」 離れたところからこの一部始終を見守り、面白がっている自分がいた。 <思いがけない癒し> 面白がっているのは、私だけではなかった。 普段落ち着いている姉も、キャッキャ言いながら何かしら楽しんでいる様子。 それを見ていて思った。私はこれほどまでに、姉と協力しながら一緒に何かをやったことは、今まであっただろうか?実家・自分たちの父と母というテーマで、これほどまでに姉と話が盛り上がったことはあっただろうか? この満ち足りた感覚はなんだろう?沸々と湧き上がってくる喜びは、なんだろう? 姉は子供の頃より家族から少し距離を置いた存在であり、私は姉のことはあまりよく知らなかった。その姉が今とても近く感じられる。 家族に起こる出来事で、家族がより親密になる。突然やってきたこの変化は、強力な癒しの力を持っていた。入所という出来事は表面的なことで、それにまつわる内面の変化こそが、私たち家族それぞれが求めていることなのかもしれない。 今までずっと父と母がいた家から、突然二人がいなくなった。この家は突然変わってしまったが、その空間に強く感じられるものがあった。 それは、家族に向ける愛、家族で分かち合う愛。 父と母がもう家にいなくても、そこにあり続け、消えることはないと私は思った。ハートが膨らんで、温かいものが込み上げた。 変化があってこそ気づくことがあり、内面が成長していく。だからこの変化はギフトなのだと思うと、ハートはさらに開いてゆく。 そしてさらに、信じられない変化が起きたのだった。 <変化はより良くなるために起こる> 日頃、父は朝10時過ぎまで寝ていることが多く、朝食を摂るのは昼近くの時間になっていた。起きた後も、部屋の片隅で椅子に座って一日中ほぼ寝ていた。ディサービスは週2回昼からの半日がやっとで、通所は億劫だが、母が行きたがるので従っていた。 ケアマネージャーさんは朝9時から始まる1日のディサービスを何度も勧めたが、父も母も断り続けた。二人とも就寝は夜中近く。全てが遅い時間にずれ込んだ生活を送っていたのと、体が思うように動かないので朝手早く支度ができないし、したくないということで、二人にとって1日のディサービスは絶対不可能となっていた。 それが、老人ホームでは朝食は7時開始。ディサービスは月曜〜土曜の週6日で、9時前には施設から迎えが来る。夕飯は4時半から5時の間というスケジュールになった。 二人にとって、これはもう天地がひっくり返るような変化だ。 通所は、まるで会社に出勤するようなもの。いや、会社は通常土日は休みなので、会社の方がまだ楽だ。 人生最後の段階で、こんなハードな生活になるなんて! 姉も私も驚いた。 毎日朝7時に起きるのも無理なのに、7時に朝食なんて、果たして二人はやっていけるのだろうか?と、私はふと心配になった。 入所して3日後くらいに、私はケアマネージャーさんに連絡すると、こんな返事が返ってきた。 「お二人は、毎日きちんといらっしゃっていますよ。私も大丈夫だろうかと最初心配だったのですが、非常に良い雰囲気です。思い切って動いて大成功です」 私は仰天した。 本人たちは、あれほど無理だ無理だと言っていたのに、きちんと起きて朝食を摂り、ディサービスには一度も休むことなく行けているなんて。一体、父と母はどうなってしまったのだろう? 「そこの老人ホームに入ると、皆さん家にいた時よりも元気になるようですよ」とは、本当のことだった。生活が正され、健康的になるのだ。 先週また両親に会ったが、二人とも元気そうで、雰囲気がなんとなくスッキリしていた。 「入所して2ヶ月近くになりますが、お二人はディサービスに1日も欠かさずいらっしゃっていますよ」とケアマネージャーさん。 「お父さん、お母さん、すごいじゃない!」と私は心の中で二人を称賛した。 <喜びを創造する> たまたま見た動画で、ある女性が「これから起こる変化に対して、それを受け入れるか否かの選択を一人一人が迫られているが、受け入れる選択をした場合、あらゆる面で今までとは全く違う環境・世界の展開の扉を開くことにもなる」と言い、私はそれを受け入れると即答したが、気づくとその通りになっていた。 変化は、今までよりも良くなるために起こる。 これは本当のことである。 実際、様々なことが変わった。 父と母が新しい場所に移り、新しい生活が始まり、ケアが行き届き、今までより安心できる環境になった。何よりも、二人の状態があらゆる面で以前より良くなった。 姉と私は、親や家のことで相談し合い協力し合うようになり、関係が密になった。 実家の近所の人々が見守ってくれており、縁が薄くなっていた人々との関係が戻ってきた。懇意にしてくれているおじさんは、私が実家に行くたびに駅まで車で送迎してくれたり、庭の除草をしてくれたりする。 ケアマネージャーさんとも施設長さんとも、いつでも気軽にやりとりし、相談できる関係になり、私は介護という新しいファミリーの一員になった。 今まで重荷にしか思っていなかった実家に対する意識に変化が現れ、綺麗に整えて大切にしてあげたい、有効に利用したいという前向きな気持ちになり始めた。 気づいたら、色々なことが既にそうなっていた。私は、今までとは違う環境・世界の展開の扉をくぐったのである。 新しい人々との新しい関係。 家族や馴染みの人との新しい関係。 新しい環境。 古い実家への新しいレベルの意識。 どれも、まさかこんな展開になるとは夢にも思っていなかった。 変化はより良くなるために起こることを知っていれば、恐れることはない。 開かれていく先には常に新しい喜びが待っており、喜びに意識を合わせることで、それはさらに拡大していくことを、私のハートは私に教えてくれる。 私たちは、喜びを創造する存在なのである。 |