<「財産管理」という代物>
「面倒くさいなぁ・・・」と思った瞬間、私は向きを変える。するとそれは去っていく。いつしか面倒と思うことはしないようになった。 ズボラになったわけではない。面倒 = やりたくない = やりたいと思う気持ちがない、ということで、私の気持ちと一致していないので選ばない、というだけのこと。 以前は全部自分でやろうとし、無理をしてでも頑張ってやってきた。面倒くさいと思うことさえ自分に許さず、自分自身にかなりのストレスを与えてしまっていた。随分長い間、このパターンをやってきたのだったが、最近は考えるより先に、この「面倒くさい」が来てしまう。 それだけ自分に正直になったということだ(笑)。 「面倒くさい」が強い味方となると、そこからハートはさらに教えてくれる。 「どちらに意識を向けるかが大事だよ。『自分の気持ちと一致していないので選ばない』にフォーカスするのではなく、『自分の気持ちと一致したことを選ぶ』に最初からフォーカスするんだよ。これも練習。日々実践しているうちに慣れてきて、自分の内側の感覚と一致した時間が徐々に増え、どんどん安定してくるよ。すると起こること、体験することにも変化が現れるよ」と。 それをやり始めると、実際面倒くさいと思うことが減ってくるので面白い。そう思う状況にならないのか?それとも、以前は面倒と思ったことを今は面倒と思わなくなったのか? 多分その両方が起こっているのだろうが、エネルギーが下がることが減ってきて、何かがきっかけで下がってもまたすぐに元に戻れる。感覚がどんどん開いてきて、面白い体験が増えるのは確かである。 そんな私に、突然面白くないものがやってきた。 「財産管理」という代物。 <面倒くさいものがやってきた?> 子供もいないし家も持っていない。ものを所有することに縁がなかった私に、この年になって回ってきた親の財産の管理。 財産と言っても、世間から見れば大した額ではないだろうが、私は自ら進んで関わろうとは思わなかった。お金のことに法律が絡んで、価値、損得、権利、規制、規則、責任など、堅苦しいものが勢揃いする。 それらを考えただけで気が重くなる。難しそうで面倒くさく、私は触れるのを避けてきたわけだが、今回父と母の入所と併せて、それがやってきた。 先日の投稿ブログで、幾つもの信じられない展開があり、父と母が有料老人ホームへ超スピード入所した話を綴った。その中で言及したが、私は介護施設について知識もなく、何もわからない状態だったにも関わらず、結果的には必要な情報がもたらされ、全部サポートされて、与えられるべきものが与えられた。 今回、財産管理についても、自分で調べたり勉強したりしなくても、ある日、そろそろタイミングかな?という気配が訪れ、それに従って行動すると情報が与えられる展開となった。 これも波のようにやってきたが、父と母の入所とは違った種類の体験をもたらした。 財産管理に対して私が感じていた重みは最初からどこかへ吹っ飛んでしまい、「こんな大事なことなのに、本当にこんなことで良いのか?」と戸惑ってしまうほどの軽さと不思議な繋がりに驚く結果となったのだ。 ケアマネージャーさんが案内人として情報の入り口で迎えてくれたので、私はその入り口をくぐったわけだが、そこに新しい人々がエキサイティングな形で登場し、宇宙の計らいのようなものを感じることとなった。 さて、何がどのようにエキサイティングなのか。 そのお話をしよう。 <このご縁、面白すぎる!> ケアマネージャーさんが、相続に精通している保険会社の人に最近たまたま会ったということで、私にその人を紹介してくれることになった。まずは話を聞いて、話の流れで必要になった場合は、司法書士などの専門家に相談すれば良いのではないか、というケアマネージャーさんのアドバイスに私は従うことにした。 その保険会社の人がどういう人か、私は全くわからない。ただわかりやすく説明してくれ、裏話なども知っている人、ということだけを聞いていた。 私の頭の中には、世慣れた、というよりも、ちょっと世間擦れした話好きな小太りの中年男性のイメージがあった。スーツ姿で年は50代くらい。私はまな板の上の鯉状態となり、きっとグイグイ押され、訳もわからないまま何かに加入させられるのかも、と思った。 ところが、私の目の前に現れたのは、ほぼ普段着姿の30代女性(以下Yさん)だった。笑顔が爽やかで、ビジネスの匂いがしない。というよりも、彼女の素人っぽすぎる雰囲気は、保険会社の営業員に対する私のイメージとかけ離れていた。 Yさんと会った瞬間にスッと引き合うものを感じただけでなく、向かい合った時にハートが開いて自分から発せられるエネルギーが広がったので、私は「おやっ?」と思った。 ケアマネージャーさんも同席してくれ、ミーティングは打ち解けた雰囲気で始まったのだが、始まるや否や、私の口から不意に出たのは夫のことだった。 「私の夫はもともと法律家なのですが、アメリカ人なので日本のことはわからなくて・・・」 「私は財産管理についてわからないので教えて欲しいです」と言えば良いのに、なんで夫のことが出て来たのだろう?と内心と思った。 すると「そうなんですか。実は私、仙台の大学で法律を勉強しました。何だかご主人と共通点がありそうに思います」とYさん。 「ええっ?仙台!?」 ここでいきなり仙台が出るとは! 「私、仙台に住んでいるんですよ。どちらの大学を卒業されたのですか?」 なんと、夫が勤めている大学だった。 「えっ、私たち、そのキャンパスの前にある宿舎に住んでいます」 「ええーっ、そうなんですか?!」とYさんは驚きながら、アハハハっと笑う。 「Yさん、ご出身は三重県のどちらですか?三重から東北の大学へ入るというのは、珍しいですね」 私はてっきり三重の人だと思っていた。 「いえ、山形です。山形から仙台まで電車通学していました」 「ええーっ、山形ですかぁ。山形のどちらですか?」 「山形市です」 「そうなんですかぁ、私は山形が大好きで、時々行くんですよ。緑町の歯医者にも通ってます」 「実家の近所です・・・」とYさんは苦笑。 「ええーっ?わあ、不思議なご縁!!」 本題へ入る前に、ケアマネージャーさんそっちのけで、二人で盛り上がってしまった。ケアマネージャーさんは、あっけに取られている様子だった。そりゃあそうだろう。 「来たぞ、来たぞぉ〜!ケアマネージャーさん、やるなあ、またまた不思議なご縁を運んできた」と私はワクワクした高揚感に満たされた。 このように、ハートは楽しんでいた。一方、マインドは、相続についての説明といえども結局は営業が目的なのだから、相手がどこでどう出てくるのか見守ろう、と慎重さを保っていた。 <こんなに軽くて良いの?> ライフプランナーという肩書きのYさんは、実際とても誠実だった。相続シミュレーションの書類を作成し、選択肢を再確認するために、後日私と姉がいる実家へ来てくれた。 「先日、夫と伊勢神宮へ行って来たんです」と言って、Yさんが手土産を差し出したので、私は驚いた。100%ビジネスなのに、個人的なお土産っぽい。 姉もYさんへのお土産を用意しており、お土産交換になってしまった。 お茶菓子に私が仙台から持ってきたずんだ餅を出すと、「ずんだ、大好きです〜」と言いながらYさんは嬉しそうに頬張った。相続というシリアスな話であるのに、姉も私と同様、当事者感が薄く、結局3人の女友達がおしゃべりするような雰囲気のまま話し合いは終わった。 こんな軽くて良いのだろうか? 良いのである。 親の預金も最後にはいくら残るかわからないし、この先夫の仕事も住む場所も、現時点ではどうなるか考えてもわからないので仕方ない。 「この家があるからホームレスにはならないでしょう、くらいのスタンスでいれば良いんじゃない?この家に焦点を合わせるのではなく、自分が何をしたいか、どのように生きたいかを優先させること」と私のハートは言う。 ハートに意識を合わせていると、心配や不安になったり、ごちゃごちゃ考えたりはしなくなる。余計なことを考えてエネルギーを浪費するということがないので、楽でいられる。 <司法書士に依頼する> 結局、Yさんが司法書士を紹介してくれ、土地・家屋の生前贈与の手続きを進めることとなった。 ここからは司法書士にバトンタッチされ、私はYさんの役割はこれで終わったと思ったが、Yさんはその後も取次ぎ役としてこまごまと世話をしてくれた。 私は司法書士は当然県内の人だと思っていたが、紹介されたのはYさんが所属する大阪地域の方だった。請求書を見ると、三重までの出張料が記載されており、これは想定外のことだった。 結構な金額なので、以前の私なら悩むところだったが、素直に自分の期待とは違っていることを伝えると、Yさんがこう言った。 「もちろん、県内の先生もご紹介できます。ただ、この大阪の先生は結構有名で、引く手あまたで全国を飛び回っていらっしゃる方です。司法書士の経験が浅く、後でトラブルになるケースも多い中、この先生ならご安心いただけるということで、自信を持ってお勧めできます」 司法書士の選択肢は私にあった。 Yさんは口がうまい営業レディーと取るのか、誠実な人だと取るのか、という解釈の選択肢も私にあった。 私は、うちのこんな小さな案件でも丁寧に扱ってくれているYさんの姿勢を素直に嬉しいと思った。 そう思った瞬間、彼女が言った。 「それと、出張は回避できます。私がオンラインでの面談をお世話しますよ」 ということで、出張費がなくなり、Yさんの余分な仕事が増えた。だが、Yさんからの手数料の請求は最初から一切ない。 面談の場所もすぐに決まった。ケアマネージャーさんは、父と母が通っているディサービスの施設長でもあり、ミーティングルームを快く提供してくれた。 ディサービスの途中で父を呼び出すだけで良く、休ませる必要がないので、双方にとって都合良かっただけでなく、私はそこで母にも会えるので有り難かった。 <素早く切り替える> 面接の前日、私は老人ホームの部屋で父に言った。 「お父さん、家のことで明日司法書士と会うからね。家のこと覚えてる?」 父の目が泳いでいた。 「家?ここが家と違うか?どこのことや?さあ、わからん」 「お父さん、自分の家を建てて、長い間そこに住んでいたんだよ」 「・・・・」父は首を傾げていた。 「俺は施設には行かない、家に残る」と常々言っていた父は、今施設を家だと思っていて、自分の家のことは記憶にない。 家に残りたいという言葉を聞いて、私は、父は最期まで家にいたいのだから、そこから引き離すことは残酷だ、という考えを持ち続けていたが、それにこだわっていたら、置いてきぼりになるところだった。 1から10までの連続するアナログから、1か0、オンかオフしかないデジタルへと変化するように、父と母の脳からは過ぎたことは次々と消去されていく。 そのため、以前がどうであれ私はそれをゼロにして、たとえ今この瞬間が10分前と真逆であったとしても、それへと素早く切り替えることを余儀なくされた。 ここ数年の間にその度合いも徐々に高まり、私がイライラせず安定した精神状態を保つためには、自分が状況や相手に対して持っていた考えを捨てて、一瞬で切り替えるのが最良だと体得した。 その切り替えの訓練のおかげなのか、私の日常にも変化が現れた。全体的に軽くなっていき、日々がより滑らかに流れていく。 切り替えに重い感情が入る隙はなく、軽いほど切り替え易くなる。そして、切り替えた瞬間に前へと押し出されるので、軽い状態を保ったまま体験の質が加速的に変化していく。 父と母は認知症という形で、私を困らせているのではなく、逆に、私が古いパターンを抜けて、次のステップへと進む助けをしてくれていると私は思う。認知症を私の味方にできる視点が、またひとつ増えた。 <意表を突く出会い> さて、司法書士との面談の日となった。 ディサービスを抜け出してきた父は穏やかな様子で、Yさんときちんと挨拶した。落ち着いて堂々としているので、状況を完全に把握しているように見えるが、実際はどうなのか疑問である。 YさんがパソコンでZoomを立ち上げ、司法書士と父と私のオンライン三者面談の準備が完了した。 この日司法書士と初めて会うわけだが、Yさんから「引く手あまたで全国を飛び回っている有名な方」だと聞いていたので、どんな偉い人かと思って私は緊張していた。 その「有名な方」は、私の頭の中でこんなイメージがあった。 完璧な身なり、肩幅が広くどっしりとしていて、髪はグレーできちんと分けている、威厳のある雰囲気、いかにも頭が切れそうな60代くらいの男性。 Yさんの「今、先生がお入りになりました」の一声で、私はそのイメージを再び頭に描いたのだが、パソコン画面に現れた司法書士に意表を突かれた。 完璧な身なり → ノーネクタイで、セミカジュアル 肩幅が広くどっしり → 小柄 髪はグレー → 黒々 威厳 → ない 頭が切れそう → そうなのだろうが、そう思わせないというか、邪魔が入る 60代 → 30代 と、私の想像とはかけ離れた方が現れたわけだが、それよりも何よりも、画面に現れた瞬間、その方はどうしてもお笑い芸人にしか見えなかった。そう、お笑い芸人。 俳優の大東俊介さんと吉村大阪府知事を足して2で割ったようなお顔で、ニコニコ微笑んでいる雰囲気は、ご本人は普通であるのに、まるでお笑い芸人なのである。 その雰囲気に大阪弁のイントネーションで説明されると、真面目なはずなのに、私はお笑いの世界へと引っ張られてしまい、どこかでオチがつくのを密かに期待してしまっているのを、ご本人は気づいているだろうか? 事務所名とロゴマークをZoom画面の背景にしてデスクに座っている司法書士が、ステージの休憩時間に控え室からインタビューする芸人に見えてしまうと、丁寧に慎重にお話しされているのに、言葉が大阪弁の音とともに、私の中で自動的に楽しく軽い感じに変換されてしまう。そうやって、軽いまま進行していくのである。 しかし、ヒヤッとする場面もあった。 父は司法書士から名前と住所、生年月日を尋ねられた時、住所のところで「住所、住所、どこやったかなあ、へへへっ」と照れ笑いをしながらキョロキョロ周りを見回した。 「あっ、まずい」と私が思った瞬間、父の口からスラスラ出てきたのは、自分の生家の住所で、得意そうにしっかりと番地まで言った。 その場の空気が一瞬凍りついた。 私は仰天し、父が自分が贈与する家の住所を言えなければ、手続きは完全にアウトになるのではないか、と焦った。 しかし、そこはプロ。司法書士は何事もなかったかのように、住所を穏やかに誘導してくれた。 それにしても、父は私を自分の妹だと思っていたり、93歳にして生家の正確な住所が出てきたりと、私は驚くことばかり。しかし、驚くたびに、父への人間としての愛おしさが増すのだから不思議である。 Zoomが終了した後に、私は思わず言った。 「司法書士さん、お笑い芸人に似ていません?」 Yさんが声高らかに笑い、途中で部屋に入ってきて進行を見守っていたケアマネージャーさんも笑いながら言った。 「そうそう、『吉本です』って言っても通用してしまいそうな感じでしたよね」 やっぱり私だけではなかった。 <さらに驚くことが!> 相続という重みを感じることなく、こんなに軽く楽しく進んでいって良いものか、と私のマインドは立ち止まるのだが、「重いものにも難しいものにもする必要は最初からない」とハートは言う。 今回の親の入所にしても財産管理にしても、私は意外な展開に驚くばかりなのだが、最後にもうひとつ驚くことがあった。 提出する登記済権利証は、父が家を建てた51年前に作成されたものであるが、テーブルの上に置かれたその権利証の表紙を見たケアマネージャーさんが、「あっ、うちのおじさん!」と叫んだ。 表紙には当時手続きをした司法書士の名前が記載されており、なんとそれがケアマネージャーさんの叔父さんだったのである。 目の前の空間が渦巻き、私は鳥肌が立った。 <そらのトンネル> ゴールデンウィーク過ぎに実家に行ったところから、まるで別次元に入ったかのように、親と家のことで思ってもみなかったことが矢継ぎ早に起こり、あれよあれよという間に、私ははるか遠い場所まで運ばれてしまった感がある。 この3ヶ月の間に起こった出来事は、どれも中身はシリアスなことなのに重みはなかった。新しい人々との出会いと不思議なご縁はエキサイティングで、私のハートは弾んでいた。 起こったことのひとつひとつは全てあらかじめ計画され、お膳立てされていたとしか言いようがない。 展開したストーリーは、ものすごいスピードで前進していったにも関わらず、最後に突然51年前へ引き戻し、ケアマネージャーさんの叔父さんの存在が登場したというオチになった。 その時、私は「目の前の空間が渦巻いた」と言ったが、それはまるでここまでの流れという時間がクルンとひっくり返り、51年前という時間と繋がって円を成したような感じだった。 司法書士との面談が終わった後、私は車を運転しながら、前方の空にある不思議な雲に気づいた。それは「実家の生前贈与という大事なことなのに頭が動かず、あんな軽い感じで署名捺印をしたが、本当にあれで良かったのだろうか?」と、ちょうど私が考えていた時だった。 青空が広がり周りに雲はなかったので、その雲は目立っていた。 ほぼ横向きの筒状の形をしている。 「そらのトンネル?」 トンネルは、大きな口を開けていた。 そのトンネルの入り口付近には、1本の糸のような水平の雲があった。 「あれはこれからトンネルに入っていくのだろうか、それともトンネルを抜け出ようとしているのだろうか?」 雲を眺めていると、1本の糸が自分を表しているように見えてきた。 「そらは次元のトンネルを見せてくれている。私は入るのか、出るのか・・・」 頭は答えを出したがって混乱していたが、ハートはクリアーだった。 それはどちらでも良かったし、重要なことではなかった。 全体から見れば、ひとつの通過点に過ぎないほんの小さなこと。 変化に終わりはなく、意識は拡大し続ける。
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