何が起こったのかわからないが、一瞬のうちに最高で完璧な空間へぶっ飛んだという経験はないだろうか?
何がそれを引き起こすのか? それは、発せられている波動・周波数である。 大学卒業後、就職した会社のクリスマスパーティで、バンド演奏が企画された。私はキーボードを担当し、ドラム、ギター、ベースも名乗り出る社員がいて、すぐに決まった。メンバーは、ギター以外は全員が新入社員だった。 歌うことが好きな同僚の女性が前座的に1曲歌うことになったが、メインとなるボーカルができる、またはやりたいという人は社内にはおらず、どこかから探してくる必要があった。 私は大学時代に音楽クラブに所属し、結成した女子バンドでアメリカやイギリスのポップミュージックを演奏していた。バンドのボーカルは、R&Bやソウルミュージックなどがぴったりな、かなりの声量で歌う先輩の小谷野純子さんで、仲間からは「コヤジュン」と呼ばれていた。 私は、コヤジュンさんを社外からの特別ゲストとして迎えるのはどうかと提案すると、他のメンバーは全員賛成してくれた。早速コヤジュンさんに連絡してみると、「社会人になってから歌う機会がなくなり、懐かしいので是非歌いたい」と快く引き受けてくれた。 曲を決めて各メンバーが家で練習し、最後の週末に一度だけ集まって音合わせをすることになった。 音合わせは社員メンバーで2時間ほどやってから、最後にコヤジュンさんに来てもらうというスケジュールだった。 まずは、それぞれが自分のペースで音出しを始めたが、久々ということもあるのか、初めてのメンバーだからか、皆おそるおそる音を出していて心許ない。 ギターは、たまたま私と同じ音楽クラブの先輩だったが、クラブの仲間からは「あいつは下手だ」と言われていた人だった。私には、どう下手なのかはわからなかったが。 ベースはまもなく調子を取り戻し、体全体でリズムを刻み出した。おそらく学生時代にバンドにいたのだろう。 ドラムは体格も良くて、派手にパフォーマンスをしたがっているようにも見えるが、途中で何度もリズムが大きく乱れたり、止まってしまったりする。全体を支えるドラムのテンポが乱れると、演奏には致命的な打撃になるので、大丈夫かなあと心配になってきた。 音合わせをしてみるとバラバラなままで、間違いも目立ち、ギターは途中で申し訳なさそうに肩をすぼめて後ろ向きになって弾き始め、ドラムも自分が間違うたびに悲惨な表情になっていった。 みんな内心イライラしていて、室内がどんどん険悪な雰囲気になっていくのがわかった。私も決して上手いわけではないが、こんなに合わせづらいメンバーは初めてだった。 何度か練習して、最初よりはマシになった頃、前座で歌う同僚が松任谷由実の「恋人がサンタクロース」を歌った。私は、これはカラオケみたいだなあと思ってしまった。よく歌えてはいるが、正直、どうしてもカラオケとしか感じられなかった。 私は責任を感じた。「わざわざ呼んだのに、こんなド素人の演奏ではコヤジュンさんに申しわけない。こんなのでは歌えないだろうなあ。不愉快な思いをして途中で帰ってしまうのではないだろうか・・・」 などと考えていたところへ、コヤジュンさんがドアを開けて「どうもー、はじめましてぇー」と元気よく入ってきた。 その瞬間、部屋の空気が変わった。開けた扉から、彼女の満面の笑みと元気な声とともに、陽の光が差し込んだ。 大きなステージで歌うことに慣れている彼女は、初対面の人たちでも気後れすることなく、和やかで親しみのある態度で接し、それでは練習を始めましょう、となった。 少したどたどしい感じで前奏が始まり、「コヤジュンさん大丈夫かな?入れるかな?」と思ったところで、彼女の第一声が発せられたその瞬間、 私を含めたメンバーと室内全体が一瞬ビクッとして、ギアが変わったのをはっきりと感じた。 それはバカン!と爆発したようだった。 コヤジュンさんの声量が半端ないだけでなく、素人では到底出ない響きが、それまであった室内の空気を吹き飛ばしてしまった。 そのインパクトはあまりにも強いためショックでもあり、私は鳥肌が立った。演奏が控えめで躊躇さえしていたメンバーも、私と同じように感じているのが伝わってきた。全員の血相が変わったからだった。 第一声で、全員が部屋ごとぶっ飛んだ。 ぶっ飛んで、突き抜けて、全員がプロ並みになってしまった。 おそるおそるは完全にどこかへ消えてしまい、演奏は突如気持ちよく楽しくなっただけでなく、楽器と自分がひとつになり、メンバーとひとつになり、演奏そのものになっていたからだった。 コヤジュンさんの声と私たちの演奏がひとつになると、私は肉体をそこに置いたまま、感覚全体がワーっと波立って広がっていくと同時に、完全に静止しているような異空間へと滑り込み、マインドが抜け落ちて、勝手に手だけが動いていた。 他のメンバーも、一緒にその異空間にいた。全員が一種の興奮と高揚状態にあり、演奏はイキイキとしていた。それまでの練習には一度もなかったテクニックやアドリブが、力むのではなく当然のように軽く楽しく入っていく。 全てがスムーズに流れて心地よく、質は高まり続け、演奏はクライマックス、恍惚状態へと入っていった。 それは、ドラムに最も顕著に現れた。 演奏がエンディングに向かっていく時、最後はドラムだけが派手になっていくので、私はじっと見ていたのだが、エンディングの連打、かき回し、締めは完璧だった。 手足をフルに動かしてドラムもシンバルも全部を叩きこなし、彼の顔面は紅潮していた。完全に「ゾーンの中にいた」と言えるだろう。どんどん高みへと昇っていき、プロ級というべく息を呑むようなパフォーマンスだった。 終わった瞬間、全員が放心状態でかなり長い間沈黙のままだった。 もう、それ以上のものはなかった。 完璧だった。 信じられない。これはなんだったのか? 心が震えた 驚嘆した 感動した 完璧すぎる それはなんと美しいのだろう! こんなことが起こりうるのか? 誰も何も言わなかった。言えなかった。 練習はそれで終わった。 もう、それ以上何も必要なかった。 最後に誰かが言った。 「コヤジュンさんって何者なのですか?あれは、あんなすごいのは、経験したことがなくて、もうすごいとしか言えない」 そう、すごいことが起こった。一瞬で全体が引き上がった。 コヤジュンさんが引き上げた。彼女の持つエネルギー、声の周波数で次元が一瞬で変化した。私たちは一瞬にして、一緒にその次元へとシフトした。 実は、私は昨年だったか、あるメッセージ(インスピレーション)を一定期間受け取り続け、この出来事を思い出すに至ったのだった。 それはこういうメッセージだった。 水は高い所から低い所へ流れる。エネルギーについても同じである。 他人や周囲に変化をもたらすために、外に対して意図的に何かをしなければならないということはなく、自分がどのようなエネルギーの状態か(波動が発せられているか)で、自ずと周りにも影響が及ぶ。 だからこそ、中心に留まりブレない高次の状態、つまりハートの泉から平安・喜び・感謝が溢れ出ているような状態であれば、溢れたものが流れて広がり、自ずと周りにも変化が起こる。 地球も世界も大変化の中にあり、混沌とした状態であるからこそ、それがとても重要となる。 「私一人では微力で何もできない、自分には何の力もない」と思うことはとんでもない誤解であり、一人の純粋な心から発せられるエネルギーは、とてつもない力を持っていることをほとんどの人がわかっていない。 そのことが私の心の中で何度も響いていた時に、たまたま読んでいた本(それはチャネリング本だったが)に、こんな言葉を見つけた。 「一人の高いエネルギーが1,000のネガティブなものを打ち消す」 ネガティブとは、おそれ、不安、競争、不足、欠乏、足りないという心理がベースになった構成を表しており、純粋なハートには、全てはひとつで、意識が拡大し続ける確固たるベースがあるのだ。 確かに、演奏しているみんなが楽器だけでなくその空間とひとつになり、演奏のレベルも体験の感覚自体も拡大していった。 プロにはプロのエネルギーがあり、影響力も大きいが、コヤジュンさんはプロではない。いや、何をもってプロとするかなど、本当は測れないものである。プロとか素人とか、そういう定義はどうでも良い。 コヤジュンさんが何か特別なことをしたというよりも、彼女は歌うことが好きでそれが喜びであり、そこから一心に歌うことそのものから発せられたものが、それまでそこにあったものを一瞬にして変化させ、周囲に内在していたものを最大限まで引き上げたということなのだろう。 大切なことは、それはコヤジュンさんだからできたということではなく、誰にでもできる、本来誰もが持っている能力であるということだ。 そして、コヤジュンさんの波動に触れるまでは、私だけでなく、おそらくメンバーそれぞれが、どうせ自分はこの程度だと思っていただろう。自分自身が、普段知っている自分を超えて、あんな完璧な演奏ができることに驚いただろう。 そのような偉大な能力もまた、本来誰にでも備わっているということだ。 イキイキのびのびと、喜びの中で一心に好きなことをやっている時間とそれをする人が増えれば増えるほど、本人の意識と並行して集合意識のレベルでも高いエネルギーが循環するようになる。
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< (1)のエピソードはこちら > その声は誰なのか?それは、とても短い言葉でストレートにやって来る。 その声を聞いた瞬間、私は「ええっ嘘でしょ!?」とショックを受ける。 思っていることと正反対の方向へと導く「鶴の一声」。それが、これまで私に何度か投げかけられた。 2011年3月に東日本大震災が発生し、その年、夫に日本での仕事が突如舞い込んだ。 私たちは、翌年2012年の秋にシアトルから仙台に引っ越すことになったが、そのちょうど1年前に当たる震災の年の秋には、アメリカに住みながらも、すでに大分でタッチドローイングのワークショップが始まっていた。 それは、震災の前年2010年に出会った大分の人と友達になり、タッチドローイングに興味を持った彼女が、私のためにワークショップを主催してくれたおかげである。 その後も数年間、毎年彼女が主催者となり、主催者のボディワークとのコラボで、大分ワークショップは1日のみから2日間に拡大し、多い時は年2回開催されることもあった。その後、さらにワークショップは3日間の宿泊型リトリートへと発展した。 その間、私は他にもご縁が繋がっていき、主催を快く引き受けてくれる人々の有難いサポートのおかげで、北海道、岩手、仙台、東京、愛知、岡山、広島でも1日〜2日間のワークショップとリトリートを開くことができた。 2014年には大分の湯布院で3日間のリトリートが始まり、翌年2015年はワークの開催地も最多になっていた。 中でも湯布院でのタッチドローイングは、会場・宿泊施設が貸し切りとなり、1日3食地元の新鮮食材を使った心のこもった美味しい食事と源泉掛け流しの温泉付きという、贅沢で最高の環境が提供された。 豊かな自然の中でのワークには、朝の散歩、ボディワーク、夜の談話なども組み込まれ、寝食を共にする3日間ということもあり、内容は深くて濃く、参加者にとってもファシリテータの私にとっても体験はパワフルなものとなった。 私のタッチドローイングワークの中で、大分は最も古くて開催数も最多だった。3日間の初回リトリートは成功し、2回目のリトリートも前回とは違った形のワークとなり、パワフルな体験の場となった。 この年は、仙台2ヶ所で1日のワーク、東京、愛知、北海道で2日間のワークを行っており、タッチドローイングも徐々に広がってきていると実感していた。 アメリカでは毎年5泊6日のリトリートがあるが、それくらいの日数になると、内容はより充実し、体験は人生が変わるほどのパワフルなものとなる。私は、将来それを日本で実現することを目標としていた。 大分リトリートは強い手応えがあり、ワークの場は盛り上がっていた。日数こそ短いが、環境はアメリカのものに匹敵するほど整っていた。 通常の意識を超えたレベルで展開していくワークに私も参加者も没頭し、深いシェアに感動し、シンクロに驚いた。そこには、自由な表現が許される完全な体験型であるからこそ味わえる喜びがあった。 ワークの場のエネルギーは高まり、ドローイングに没頭している参加者を眺めながら、私は大分リトリートが定着して、ここに全国から人が集まり、リトリートの日数もさらに拡大していく、と確信した。 雄大な自然、心温まる食事、ゆったりと過ごせるスペース、心地よい温泉・・・。そんな環境下で自然なかたちで開いていく心と出会い、本当の自分を思い出し、本来の力を取り戻していく。参加者と共に創造する喜びの世界が広がっていく。 ワークの場はクライマックスへと向かい、私の気持ちも高揚していった。 本当の自分の力を取り戻していく喜び、創造することの喜びの世界。 「私はそれを実現できるのだ!リトリートがさらに充実していく!」 まるでそれがもう叶ったかのように想像すると胸が熱くなり、興奮とともに一気に気分が至福の境地に達したその瞬間、 「リトリートはこれで終わり!」 と、頭の右上30センチほどのところから、一言入ってきた。それは強く、とてもはっきりとした声だった。 「ええっ!!?」 私の頭に、斧がガーンと振り下ろされた。私はその時参加者の輪の中に立っていたのだが、よろめいたほどだった。 ショックで頭の中が真っ白になり、しばらく立ち尽くしていた。 「うそー!あり得ない!!」 鶴の一声は、あまりにもショッキングだった。 「これで終わり」という言葉は、私の頭に突き刺さり、心の中で波立った。 至福の瞬間に、一気に奈落に突き落とされた。 180度、完全に逆。これ以上の真逆はあり得ない。 打ちひしがれるような衝撃。その言葉を受け入れ難かったが、無視もできなかった。なぜなら、過去の経験から、それが私をサポートするガイドの言葉だとわかっていたからだ。 「それにしても、このタイミングで来るかぁ?!」と反論したいところだったが、ガイドたちは、私に意地悪をしたのではない。 私のマインドには到底わからないことを、予告してくれていたのだ。それは私を止める忠告ではなく、私が次のステップへと準備できるように、よりスムーズに移行できるように、前もって愛あるメッセージを送ってくれたのであった。 ただ、その時は心に余裕などないので、私はそんなことは理解できなかったが。 実際、その言葉が降りてきて、すぐに全てがシャットダウンされた訳ではなかった。しかし、環境が急変した。 主催者にも会場のオーナーにも大きな転機が訪れて、主催に終止符が打たれ、会場・宿泊施設もこれまでのようには利用できなくなった。そういう意味で「これで終わり」というのは、その通りだった。 しかし、その言葉は、実はその後の展開を示唆していたと、今でこそわかる。 私は新しく塗り絵ワークを編み出したり、別の場所でリトリートを開く機会を設けることができたりして、それなりに活動を続けたが、すぐにどうしても続けられない時がやってきた。 のっぴきならない出来事が、自分にも起きたからである。 アメリカに旅行中、私は突然網膜剥離になり、しばらく日本に戻れなくなった。 その後も網膜剥離の後遺症と白内障を併発して手術することになっただけでなく、今度は、反対の目も白内障になって手術をする羽目になった。 いずれの場合も手術の空きがなく、見づらさが増す中で、半年以上辛抱強く順番を待たなければならなかった。さらに、その翌年には後発白内障になるという展開になり、結局2017年からほぼ3年間私は活動できず、多くの時間を家で費やす生活になった。 すると次にコロナが始まり、そこからさらに3年間、じっと内側へフォーカスする時間となる。 コロナによって、ほぼ全ての人の生活が一変した。だが私にとって、それはこれまでの3年間がそのままスムーズに自動更新されたようなもので、日常に大した変化は感じられず、むしろ私は、引き続きゆったりと過ごすことに満足していた。 今振り返ると、あの時受け取った「これで終わり」という言葉は、そのままマインドに暴走させずに、この6年間がやってくることへと意識を方向づけるためのものだったかもしれない。 そういえば、と思い出すことがあった。 「あなたは、この先、今まで表に出していたものを一旦全部引っ込め、大きな軌道修正に入ります。今、氷山の一角が出ている状態ですが、水面下には巨大な部分があるのです。それが次第に上がってくるでしょう」 それは、8年ほど前に受けた占星術のセッションで言われたことだった。 当時私の活動は最も盛んな頃だったため、「今まで表に出していたものを一旦全部引っ込める」と言われても、何のことかさっぱりわからなかった。ただ、「全部を引っ込める」の「全部」という言葉は強烈で、「全部?何?どういうこと?」と思ったのを記憶している。 出すことの真逆がやってくるとは、その時の自分には全く信じられないことだった。 占星術のセッションで「軌道修正」という言葉が使われたが、方向転換するには、ブレーキをかけて速度を落とす必要がある。同じ速度で走り続けたまま方向転換しようとすると、とんでもなく大きな遠心力がかかって振り飛ばされ、大怪我をする。 曲がる角度によっては一旦停止する必要もあり、角度が大きければ大きいほど転換を終えるのに時間がかかる。ガチョウの首のように湾曲した場所をイメージしてみるとわかるだろう。 私にとってこの6年間は、そのような時期にあたるのだろうと、最近になってわかるようになってきた。あの時の占星術セッションを通して、メッセージが伝えられていたのだろう。魂の青写真はこうなっているよ、大事な時期が来るよ、と。 そうでなければ、その占星術のメッセージがこんな風に今腑に落ちることはないし、起こることは何であれ(目の不調さえも)プロセスの一部であり、全て順調である、と肯定的に受け止めることはないだろう。 それまでの私の意識は外に向いており、頭の中は「何かを成し遂げなければならない」、「タッチドローイングを日本で広めなければならない」という思いが強かった。そのため、どこで誰と何をすれば良いのか?と考えることが多かった。 そうしなさいとは誰も言っていないのに、自分で勝手に設定して忙しく動き回り、疲れて、それでも結果が出ると満足し、すぐにまたハングリーになって次のチャンスを掴むべく、ハンティングを始めた。 そんな自分だったが、目の不調でストップがかかり、それからは何かをしてみようと頭が考えても、体は動かなかった。マインドは動き続けようとしたいが、1ミリでも感覚が合わないと、ハートは拒否した。 今では、ハートは魂に従うが、「足りない」がベースで忙しく動き続けたいマインドには同意しない、と断言できる。 内側へ意識をフォーカスして送る日々は、穏やかで平和である。外に目を向けず、じっとしているほど、クリアになっていった。この6年の間に、頭で考えて行動することから、ハートで感じ取って行動することへとシフトした。 特に何もしていないのに、忙しく動いていた時よりも充足感が得られるのはなぜか? それは、おそらくマインドよりもハートの方が優位になってくるからだろう。 ハートはいつも落ち着いていて余裕があり、おおらかでブレない。マインドとは視点が違い、視野が広い。自分が必要なもの、必要でないものをはっきり知っているし、こだわりや欲がない。自分が自分であることが好きで、自分の気持ちに正直であることが好きだ。 自分でいることに安心できるというのは、ハートとしっかり繋がっていない限り(そのゾーンにいないと)、とても難しい。 人生のこのタイミングで、軸を完全にマインドからハートへと方向転換することが求められていた。それは、新しい世界へとシフトする上で絶対的に必要なこと。 ハートの領域には広い世界が待っている。五感を超えた感覚が開くにつれ、新しい扉が開き、今まで見えなかった景色(理解)が目の前に広がる。その先にはさらなる新しい感覚が待っている。開いた扉の奥には次の扉があり、そうやって徐々に現実そのものが変化し拡大していく。 外の世界は大混乱し、重く古い体制が崩壊していく中で、内なる世界は平和で明るく軽く、次々に新しい視点を運んでくる。ものの見方が変われば、取り巻く世界も同時に変化するのは当然で、以前よりも広がりを持った世界が目の前に現れる。 気づけば、今までとは違った現実の中にいる。何かに一生懸命取り組んでいる訳ではないのに、いつの間にか今の状態へと変化していた、という風に。 しかし、気づこうが気づくまいが、意識は日々拡大し続けている。全ては流れの中にあり、変化し続ける。抵抗しなければしないほど、スムーズに流れる。 その流れ自体が変化のプロセスであり、私たちは生きている限り経験を続けていく。物事を通してこそできる経験によって、心は感じ、意識は変化・拡大していく。 絶妙なタイミングで鶴の一声が考えていることと正反対でやってきて、その都度仰天させられる、というのも経験。ユニークで強烈な経験なのである。 「逆・正反対」の方向は遮る力を連想させ、それに「あらがう」というイメージが付いてくるが、私の場合はそちらこそが本流であり、あらがうことなく「私の流れ」に乗ることであると、経験から知った。 私が設定した人生の青写真や私を見守る星々の運行は、その流れを構成する主要部分なのだろう。 ガチョウの首のように湾曲した部分がやって来ても、きちんとそれに沿って進めるよう「そっちじゃないぞ、こっちだぞ」と導いてくれているガチョウではなく鶴の一声。 聞こえた時はショックでも、片時も離れず私を見守っている愛の声だと知っているから、前方はいつも光に照らされており、私は我が道を歩いてゆけば良いのである。 その声は誰なのか?それは、とても短い言葉でストレートにやって来る。 その声を聞いた瞬間、私は「ええっ嘘でしょ!?」とショックを受ける。 思っていることと正反対の方向へと導く「鶴の一声」。それが、これまで私に何度か投げかけられた。 その都度私は思う。
人生の青写真というものがあり、そのコースを私は結構細かく設定してきたのだろうか? 強烈で忘れもしないそのような声を、例えばこんな場面で受け取った。 ひとつは、夫と東京で出会った時。 インターネットがなかった時代、私は夫と海外文通で出会った。 中学で私はすでに海外に興味があり、アメリカとヨーロッパに住む複数の人と文通をしていた。全く違う環境に住む人と英語でやり取りをして、知らない世界に触れることは刺激的で、私は文章を書くことも好きだったため、海外文通はとても楽しかった。 大人になってアメリカで2年ほど学生生活を送り、帰国後も英語力を保つために文通クラブに入った。 おそらく、会員は何百人もいただろう。 ある日、男性会員10人ほどのプロフィールリストが届いた。私の目的は質の高い英語に触れることだったので、私が色々教えてもらえ自分を高められる学歴の持ち主で、私が住んだことのある西海岸の居住者に的を絞った。 そうして選んだ数人の中に、今の夫がいた。 後で知ったことだが、当時夫は学生生活を終えて卒業旅行で何ヶ国かアジアを回るため、現地を案内してくれる人を必要としており、案内してもらう交換として自分が英語を教えるという目的で、クラブに入会した。 私たちは同じ時期に入会しており、夫が受け取った女性のプロフィールリストに私がいたそうだ。もしタイミングがずれていたら、どちらも相手のリストには入っていなかっただろう。 インターネットのない時代だったので、何百人もの会員がいても、個人には特定のリストしか郵送されなかったのである。 私は手紙を書いた全員から返事を受け取ったが、夫だけは違っていた。夫も、私以外の女性から数多く手紙を受け取ったそうだが、私は違っていたそうだ。 何が違うのか?というと、私の場合は、相手の機知に溢れた文章、思慮深さ、私を引き込む独特な世界、そこに滲み出る人柄のようなものだった。 当時はインターネットのない時代、郵便で手紙をやり取りするわけだが、郵送は数日〜1週間かかった。 書けば書くほどもっと書きたくなり、手が止まらない。なんといっても手紙での会話が楽しい。受け取るのを待つ間のワクワク感も、ネットで常に繋がっていないからこそ、ひとしおだった。 「書く」というのは、内面的な活動である。自分の内側を相手にさらけ出していく。 互いに自分の考えや価値観を語り合い、二人のコミュニケーションは驚くほど深まっていった。視界に入るものがないだけに、心で感じ取ることが中心となる。そのため、会って話すよりも、心の部分で引き合うものは強いのだろう。 私たちはとても気が合った。 互いに受け取るとすぐ返事をするという、かなり集中的なやり取りが8ヶ月ほど続いたある日、夫が東京の古い友人を訪ねることになり、友人宅はたまたま当時私が住んでいた場所と近かったので、私たちは実際に会うことになった。 「会ったらどんな話をするだろう?」魅力的に文章を展開させ、豊かな世界を見せてくれるその面白い人に会うことに、私はワクワクした。 待ち合わせ場所を私の職場の近くにして、一緒にランチを食べることになった。 ところが、会った瞬間に私の期待は音を立てて崩れた。 目の前に現れた人は、私が受け取っていた写真の人物とはかけ離れていただけでなく、手紙では饒舌なのに、テーブルの前に座るとむっつりと黙ったままだった。 大きな体でどっしり座ってじっとしている姿が、私の目には人ではなく岩に見えてきた。楽しい会話が弾むのを期待していただけに、岩と顔を突き合わせているその状態は、悪夢だった。 こちらが何か話しても、話は続かず、すぐ沈黙になる。相手の表情は固まったままで、重苦しい空気だけが流れていった。 私は「あの手紙はなんだったのか?これは詐欺だ」と思ったほどだった。 その後、もう一度週末に会ったが、やはり全く面白くなかった。 そんな人に興味は持てなかった。私はそっけない態度で接し、もうどうでも良くなった。 夕方、雨が降り始めた。友人宅に戻るためにタクシーを呼んだその男性と並んで、私は道路に立っていた。特に会話もなく、私は別れ際に冷たく「さよなら」とだけ言った。 タクシーに乗り込む彼の後ろ姿は、雨に濡れてしょんぼりしていた。本当に可哀想なほど、悲しげにしょんぼりと背中を丸めていて、体全体で泣いているのかと思うほどのものが伝わってきた。 それでも、私は冷たく心の中で「これが最後。もうこの人に手紙を書くことはない。完全に終わった」と自分に言い切ったその瞬間、 「わたしは このひとと けっこんする」という言葉が、頭の右上30センチほどのところから入ってきた。それは、とてもはっきりとした大きな声だった。 「ええっ!!?」 晴天の霹靂。 いや、これは雨天の霹靂だったが・・・。 外から入ってきた言葉なのに、「あなたはこの人と結婚する」ではなく「『私は』この人と結婚する」だった。 一撃を喰らったマインドは、ショック状態。 が、そのマインドをよそに、私は心の中でこう呟いていた。 「はい、わかりました。あの人と結婚します」 「!!!!」 追い討ちを受けて、マインドはさらに仰天。 右上からの声は、私のハートにスーッと直球で入り、ハートは冷静に受け取っていた。 それは思考も感情も何もなく、正しいも間違いもなく、迷いもなく、それが当然のことで、私はただそうする、というとてもクリアな感じ。 淡々としているが、それ以外はあり得ないというどっしりとした感覚でもある。 それから数週間後、アメリカから手紙が届いた。 そこにはプロポーズの言葉が書かれていた。 あの時聞いたあの声は、肉体を超えた私の魂・ハイヤーセルフの声だったのだろう。 方向を間違えると、設定した人生の軌道から完全に逸れてしまう。 「そっちじゃない、こっちだ!思い出して!!」という声だった。 なので、マインドではびっくり仰天しながらも、ハートでは「はいはい、そうですよね」ということだった。いや、「そうそう、そうだったよね」という方が正しいだろう。 結婚というのは人生で最大のイベントのひとつだが、そこで自分の考え(感情がベースとなった考え)とは真逆の方向へと直されるなんて。 人はまずは出会って外見から入り、徐々に親密になっていくことが多いが、私たちは通常の逆で、互いに心を分かち合い、心が繋がり合った後で外側へというパターンだった。 この「逆」というのに、どうも私はご縁があるようで、気づくと主流とは違う場所にいることが多い。 逆のエネルギーは、実はとても強力である。正よりも強いのではないかと思うほどの、魔法のような力がある。 もうひとつのエピソードも、そんな「逆」に仰天したお話。 <次回のエピソードはこちら> 私のお気に入りの場所の一つ、山形県東根市の関山大滝は、昨年豪雨に見舞われ、地形がすっかり変わってしまった。 秋に訪れたときにそれを目の当たりにすることになるのだが、河岸近くの岩がほぼなくなっており、川幅は以前の5分の1ほどになり、河原は石で覆い尽くされていた。 私はてっきり観光か何かのビジネスを目的に、河原をブルドーザーで平らにしてしまったのかと思い、大滝の店の人に尋ねたほどだった。 その豹変の様は凄まじく、痛々しく、荒れていて極めて居心地が悪かったので、私はすぐにその場を去った。 撮った写真を友人に見せると彼女も驚いたそうで、「(その場所は一掃されて)まるで生まれたての赤ん坊が、バブバブ言っているような感じ」と表現した。 その後、秋に2度目に訪れた時は、少し心に余裕ができていたので、そこでひと時を過ごすことにした。 河原には無数の色とりどりの石があり、私は魅了された。 石は地球のレコードキーパー。これらの石にはどんなストーリーがあるのだろう? その後、以前私が歌を捧げた小川の方も気になったので、そちらの方へ足を踏み入れた。 こちらの地形の方が変化が大きい。おそらく山の斜面を大量の土砂が流れ、木々がなぎ倒され、小川は泥や石で埋め尽くされたのだろうが、また細々とした流れが戻ってきていた。 以前、ここで木々を見上げて歌を捧げたことを思い出すと、ふと目が足元に落ちた。 「あっ!!」 目が釘付けになった。 石が私に微笑みかけている! その瞬間、石は私の心に触れた。
私はなんとも言えない温かいものに包まれ、大きな安心感と心地よさに満たされた。 それを今まで感じたこともないほど強烈に感じ、石からそのような感覚を受け取るのは初めてだったので、衝撃的だった。 森の精霊・・・私の目に石は長老のように見え、イタズラっぽく笑っているように見えた。 それにしてもなんとまあ、うまくラインが入っていること。私にはどうしても顔にしか見えない。 その目からこう伝わってきた。 「全て順調、何も問題はない」 私は、そこに全てを受け入れてあるがままに存在している森の意識を感じた。 この荒れた場所を見たら、誰だって癒しが必要と思うだろう。そんな場所で笑っている精霊に、逆に私が癒されているなんて! せせこましい思考ではなく、意識を拡大し、森と溶け合うことで理解できる領域。 精霊はさらに教えてくれる。 意識が拡がると自ずと周りと溶け合っていき、そこで得る理解がある。それは愛の種のようなものであり、その種が芽吹く場所はより広く、より調和した世界なのだと。 この心地よい世界を、私は夢の中で感じ取った。
起きていたかのようなはっきりとした意識の状態で、まるで実際に体験したかのようにリアルに・・・。 今朝方、こんな夢を見た。 どこからか歌が聴こえてくる。 そのメロディーに合わせて、自然に私も歌い出す。ハーモニーが創り出す音の中を、私は滑らかに流れていく。その滑らかさが、なんとも心地よい。 気づくと一方の音が消えており、いつの間にかバトンタッチされたかのように、私は一人で歌っていた。 私の目の前には広大な空間があった。 空、大地、どこまでも続く平原。 歌いながら私の意識は、特定の場所へと引き寄せられる。目の前に広がる空間に向かって開いたハートから、音が発せられる。音は特定のメロディーとなって、空間に溶けていく。 何の抵抗もなく、私は100%感じたままを表現していた。そこに思考は全くなく、私の存在そのものがセンサーとして感じ取ると同時に、出力をしていた。 そのなんと心地よいことか。 意識は一箇所に引き寄せられるが、そこに長くは留まらず、次へと動いていく。私は常に流れの中におり、それ自体が心地よい。 目の前に広がる空間に向かって歌っていたが、しばらくすると大地が現れた。口から出る音は、大地の波動と呼応する低い音へと変化し、その振動は大地と対話していた。私は溶けて広がっていき、大地と一体になる感覚に包まれた。 次に空が現れた。空に向かって発した音とともに、私の意識が広がっていく。それは私という存在そのものが、溶けて広がっていく感覚である。 すると、音が向けられた一点に、きらめく星々が吸い込まれるように集まってきた。 その音の中で、星々は弧を描くようにゆっくりと回転し始め、それが銀河を形作っていく。その様子を眺めながら、私は感じ取った。私が発した音が星を動かし、銀河を創り出していくことを。 音は、特定の周波数を持つ意識であった。 地上の空間が現れると、次は大地、そして次は天空という風に、目の前の風景が自然に移っていったが、それは私を超えた大いなるものが司る流れの中にあった。 私の意識は一箇所に留まることはなく、穏やかな川の上をゆっくりくだっていくように、滑らかに動いていく。 その滑らかな動きの中で変化する光景の一つ一つを、私のハートから発せられた音が包む。 継ぎ目もなく、途切れもなく、音とともに完全に滑らかに流れていく中で、終始私は心地よさを味わっていた。 どの瞬間も心地よい。それしかない。そこに思考が入る余地は全くなく、そこには感じることだけがあった。 一貫した絶対的な心地よさが占める領域。 この夢を見る前に、実は私は別の夢で不快な思いをして、その不快さが消えずにしばらく眠れなかった。しかも、不快さを感じていると怖れまで出てきて、ますます眠れなくなった。 それは私が望むことではないのを知っていたので、私は自分が望む状態を自分自身に問うてから眠りに戻った。 その眠りの中で受け取ったのが、この夢。高次の私からの贈り物だった。 私は創造者として音を発していた。音は意識であり、意識が創造の始まりであることを、音を発し、それを聴きながら、私は感じ取った。 感じることで理解できる。そのことを知った。 この感覚を、私は夢の中でしっかり掴み取ることができたか。 もちろん、私のハートは最初から知っている。 この感覚は、この地上での自分の在り方そのものへと私を導くもの。目には見えぬ大きな流れと調和しているときに得られる、絶対的な信頼と心地よさの感覚。 その感覚の中で私は喜びそのものとなり、喜びはそれを表現する。それが呼吸をすることであり、生きていることであるかのように、表現することは喜びであり、喜びは表現を欲した。 表現は体験をもたらし、そこからさらに喜びが生まれた。 あらゆるものが移りゆく。滑らかに移りゆく。そこに身を置き、心地よく喜びの中で創造すること、し続けること、その絶え間ない喜びの創造の中で生きること。それが可能であることを、夢は教えてくれていた。 そして、その世界へと私の深奥が今の私を招いていることを知っているから、私はその道を積極的に歩くために、さらに一歩踏み出す。 |