タッチドローイング体験者の声
一時間、ただ手で絵を描き続ける。ボードに絵の具を出し、ローラーで静かに慣らしていく時間は、墨をする時間と同じ静寂を感じる。薄紙を置いて、静かに内側を感じ、ただ好きなように手が動くままに描く。 両手で、指の腹を使って、爪でひっかいて、手のひらで撫ぜて、思うままに描く。 夢中で描いた。だんだん楽しくなって、ローラーで伸ばす時にテンテン叩いて遊んだりした。打ちつけられる絵の具を見ているうちに、音が聴こえてくる気がした。 オーロラが身体から出てきた。そのまま両手でうねりを描いた。 銀河が出てきた。最初は真ん中の星から両手が渦を巻いた。5本の指が自由に紙を叩いていくと、星が無限に現れ始めた。 トン、と叩くと星がでてくる。私の指から銀河がこぼれてくる。はじめての感覚だった。 それから三本の木がまぶたの向こうに見えた。木を描いた。そしたら葉っぱが出てきた。葉っぱが育った先からは花がでてきた。がさがさした太い幹の根っこを 感じていたら、土のなかからいろんな声がした。枯葉の間を這い回る虫たち。土のなかで芽を出しかけている種。その周りを掘るミミズ。微生物。まだ生きてる もの。もう腐りかけてるもの。腐りながら新しい命をはぐくんでいるもの。 そのハーモニー。交響曲が聴こえてきた。左手が歌う。右手が応える。地にもぐったり、光に飛び出たり。いのちはめぐり、まわっていた。そのすべてを、私の身体は知っていて、私の手は生み出していた。 月の道を描いた。古生代を描いた。愛を描いた。雨の音を描いた。宇宙の耳を描いた。 そして風を描いた。 私の源。オリジンに触れた。そこには無限のエネルギーがあった。そこにはすべてがあった。 今回の体験は、わたしのなかで今生まれようとしている私自身の産道になる。 そんな予感がする。 (大分県 ボディサイコセラピスト) |
タッチドローイングは、まったく新しい描き方です。版画と指先画法とが融合した不思議な 画法です。画板の上に絵の具をローラーで引き延ばし、その上に薄紙を置いて、その紙の上から指先で絵を描いてゆくのですが、紙の上から絵の具に触るタッチがなんともいえない懐かしいからだの感触を刺激してきます。
そして絵筆やら他の画材を使わずに指先や掌や爪などほんのわずかの肉体のインターフェイスを用いた描画であるため、マインドが入り込んでくる隙間がありませ ん。書き直し不能な一筆書き的要素もあって、どこか一気呵成に書き上げてゆく『書』に似ているところもあるのです。ローラーで絵の具を引き延ばしてゆく時間は、硯で墨を摺っている時間にも似ています。 (岡山県 アーティスト、セラピスト) |
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初めての体験。タッチドローイングは何となくフィンガーペインティングのようなものを想像していた が、まったく違った。自分の手指の動きが直接的にイメージを形づくってゆき<作品>が出来る、というより、手の動きと最終的な作品とのあいだに<薄い>反転像が生まれてくる、という感じ。
じっさい、使う紙はとても薄い。ボクは爪と指で何度も何度も紙の上からこすったら紙が一部破れてしまった。薄い紙がもたらす感覚はとても繊細で、しかもその結果が反転して出現する!天と地との反転ほどの驚き。この時のにじむような、剥がれるような感じは独特だ。 <ここ>での動きと作品とのあいだに、ドラムと石の響きと歌声が木霊する。からだのなかで眠っていた翼が動き出す。 参加者とのシェアリングもなかなか良かった。まだ語られない多くの物語が眠っている。洪水の、嵐の、海の、水の、巨大な森の、自分の中に蹲っていくような、痕跡だけのような、無数の物語。(福島県 元教授) |
元来、思考が優位な私は「感じる」という状態にシフトするのに時間がかかる方なのですが、順子さんがファシリテートするタッチドローイングの空間は、音・道具がありつつも、既に「無」という状態からのスタートを許されている、準備されている、という印象を受けました。それが強くありながらも、とても穏やかに与えられていることに深い安心感を覚え、最初から、限りなく無に近い状態からワークを始めることが出来ました。
本来はシャーマンドラムというものを使い、その響きによって感じるものを指や爪を使い描いていきますが、私が体験した響きは再生した自然のサウンドでした。 最初は思考がキーワードを拾い上げ、自分の中にある膨大な情報と照らし合わせるように描いていきました。直感というよりも、ストーリーを自ら構築している様に感じました。 ですが、途中からそんなのは嫌だ!と内側のどこかから強い主張があり、体の中心に音を巡らせるように受け入れていき、細胞で音の響きを感じ、みぞおちやハートから湧き上る感情を描いていきました。 すると今までの「ストーリー」とは違う「体験からのストーリー」が描かれていきました。その体験は今世ではないことが直ぐに分かりました。ですが不思議と、これは自分自身である、確かに覚えている、と確信が持てるものでした。 ここでは過去生に触れることが重要だと私は思っていません。ただ「自分自身」「自分の本質」に繋がるものが描かれた結果が、深い深い過去生の記憶だったと私は捉えました。 その「自分自身」「本質」に触れられたことによって、更に自分の中から、自分の生命力に繋がる意志のようなものが湧き上りました。 体験でしたので、短い時間ではあったのですが、その限られた時間で、私は自分自身と更に深く太く繋がる一体感・自己統合を感じたのでした。 タッチドローイングは「あなた自身の心の奥にある魂の声を聴き表現するワークショップ」と言われていますが、そうなろうとしなくても、ワークをすることで、そう在ることが出来きてしまうことを体感しました。 自分自身との深い深い対話の後は穏やかな安堵に包まれていました。確かな「自分」を感じた後は、日常生活の中に穏やかな、でも加速的な変化が訪れています。 **** この三ヶ月後に、ヒプノセラピーを体験させていただく機会があり、その後気が付いたことがあります。 タッチドローイングはボディとマインドの一致が自然と出来てしまう、ということです。 音を体で感じているうちに、心やもっと深い部分に響き、想いが湧き上がってきます。きっとその深い部分が魂というのだと腑に落ちる感覚で、それを自らの手を使って、紙の上に表現していく。それは、ボディとマインドの統合のような感覚だと思い出したのでした。 数ヵ月前にタッチドローイングを体験した時に描いた絵に、今日は色を乗せていきました。 この絵たちを描き終わった後に、ファシリテートして下さっていた順子さんが「あなたの大切な一部」(言葉が違ったかもしれませんが、私にはその様に余韻が残っています。)と言って下さったことが、とても強く印象に残っています。 その言葉を頂いていなかったら、ネガティブな記憶の象徴に感じて、怖くて捨てていたかもしれません。と言うのも、この絵は、いくつかの悲しい記憶も混じっていましたので。 ですが今日、色付けをしたくなり、色を入れてみると、ポジティブに感じられる絵になっていました。書いたときとは正反対に感じるほどでした。 「表裏一体、陰陽、闇と光」 自分がネガティブだと感じていたことは、場面を変えるとポジティブで、何かが統合された感覚を得ることが出来ました。(北海道小樽市 ヒーラー) |
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セッションの最初に引いたソウルカードで印象を尋ねられ、出てきたのは、「無理矢理空気をかき分けて前に進む、暑苦しくしんどい人生」・・・どういう言葉 にしたか忘れたが、そういう印象だった。それはまさしく、今までの自分の生き方。力づく、というか、必死、というか。漕いでも漕いでも前に進まない・・・ そんな感覚を呼び起こされるカードだった。
そしていよいよ、順子さんの叩く太鼓の音と共に、タッチドローイングのセッションが始まる。画板にインクをローラーで伸ばし、薄紙を乗せる。そして、薄紙の上に指を置く・・・。最初は試すつもりで、指の腹や爪、手のひらなど、いろいろな場所を使って、「直接手で描く感覚」を味わおうとする。 選んだインクはマゼンタ。他に紫や緑もあった。普段なら一番好きな色は紫だが・・・その時の私はマゼンタ、だった。 何枚か描いてみる。しかし、胸が詰まっているのか、頭が邪魔しているのか、「自分の中から湧いてくる」感覚になかなかなれない。なんらかの「抵抗」。チューニングの悪いラジオのような感じ。本当の声が聞きたいのに、聞き取れないもどかしさ。 しかし、何枚も描いていくうち、あるポイントでふっと、もう「割りたい」「出したい」という感覚がやってきて、球がわれて何かが飛び出す絵を描いた。 その後起こったことが面白かった。何かが降りてくるように、ふわっとエネルギーが満ちて描ける絵と、「いやいや無理だ無理なんだ」とばかり、閉じこもり無力な感覚をぼやくような絵が、交互に出てくるのだ。これはまさに今の自分の状態なんだろうな、とあとで思った。 時間いっぱいに描いた絵は二十枚以上、かなり多かったが、自分はそんなに無理をした感じはなかった。それらに一枚ずつ名前をつける。不思議なことに「○○と××」のように、二つの何かがペアになった絵がやけに多かった。 その中で、最初に何かがつながった「割りたい」という絵にフォーカスして、「動詞にするとしたらどんな言葉になる?」と聞かれた。出てきたのは、「割く」 だったので、それを動きにしてみた。 順子さんの太鼓と歌が、一連の動きの間中鳴っている。両手でハートのあたりを引っ張り、「割いた」。すると、びっくりするほどリアルに、まるでカーテンを両手で開けたときのように、ハートに風が入り、心臓が冷たく感じたのだ。 そこに、彼女の歌が流れ込んでくる。すると今度は、背中にも胸と相似形の小さな風穴があき、まさに、ハートチャクラの部分が「開いた」のを感じた。 涙は勝手に流れた。そして、私の口から歌が流れ出した。細く高い女歌で、古い記憶の中でいつも歌っていたであろう歌だ。歌う私の周囲には、ネイティブの女 性達のスピリットが集まっていましたよ、と順子さんがあとで教えてくれた。それは体感とも合致していて、私は歌う女達の一人として、ただ一心に息吹に響き を乗せていたのだ。 昔私はずっとこうしていた。とても大切なことだった。そうして歌っているときの私には、焦りも悲しみも怒りもなく、大切で楽しいそのつとめを、無心に行っているだけだったのだ。 セッションを終えてもう一度、最初に引いたカードを見たとき、暑苦しくしんどそうに思えたそのカードの人物が、水の中でさえも炎のようなエネルギーを持っ て進んでいける、力強く頼もしい人に見えるようになっていた。全くカードは変わっていない。変わったのは私の意識だけだ。 そして、セッションを終えたあと、順子さんと二人、広瀬川の河原へ行って太鼓をたたき、歌を歌った。川の神様に捧げたかった。空の高いところに鳥が飛んで いた。周りは普通に夏の夕方を楽しむ人たちの世界だ。その中で、ただ、湧いてくる歌を歌った。高く、低く、何の思惑もなく、流れ出す声と旋律を、ただ捧げ た。 起こったことはこうしたことだった。その体験を経て、今私の中でどんなプロセスが進行しているかは、今の私には見えない部分もあるが、やがて、姿を現すであろう、と確かに思う。 はっきりわかったことは、ただ、起こることを信頼して身を任せるとき、「繊細でありながら、大らかに、クリアに、リラックスする」という状態を体験できる のだ、ということだ。気づかぬうちに思考を離れ、子供の頃のように、無心にただ在る。自分と世界の間にずれがない。その、愛に満ちた世界。 私は、自分自身とつながる時間の大切さと、それを実現する「失われた記憶」を思い出したい。大切な大切な、何かを、ゆっくりと思い出していきたい。今はその道の上にいる、と思う。 ガイドしてくれた順子さんに、心から愛と感謝をこめて。(千葉県 エディター) |
__________
変化、すごいです。
驚くほど自然に変化が起こっています。
ワークショップ後、最初に対話したのが夫でした。夫とは仙台駅で待ち合わせて、車検の為に借りていた代車を彼に引き渡しました。私は、そこから徒歩で次の 予定の会場まで行くことになっていたのですが…仕事で疲れていて、代車もディーラーの閉店時間前までに戻さなければならない、そんな状況の彼が、不思議な 事に次の予定の会場まで車で送ってくれると言い出したのです。
もともと優しい人ではありますが、こんな状況下でこの展開は、今までの経験上考えられないことです。彼の申し出をありがたく受けて、大町のカフェまで短いドライブデートでした。
次の予定とは、私の師匠とのブラッシュアップの時間を持つことでした。その時に、私のハートが開いて幸せが溢れる感覚に包まれました。ママ友だけど先生で もある彼女を前にするといつも緊張してこわばってしまって、自分らしくいられない違和感をいつも感じていました。でも、夕べは不思議な事に、彼女との間に あった壁が消え去っていました。包み隠さず自分のありのままをそのまま見せられて、心地よくて至福の時間でした。
この感覚、なんなんでしょうか???愛が溢れるってこれなのかしら?
*
そして明けて11月15日。
やろうという意思がないのに、どういうわけか断捨離が進んでいます。
今朝は日の出とともに目覚め、清々しい朝日の差す洗面所で、春先から洗えずにいたダウンジャケットを手洗い。(汚れの断捨離)
衣類や雑貨をゴミ袋に5つ。(物、執着の断捨離)
*
震災前から音信不通になっていた友人二人とばったり遭遇しました。
でも、あまり驚きがなくて、平然としている私に一緒にいた娘が気味悪がる始末。
必然で起きている感覚があります。なんなんでしょう?この感覚は???
(宮城県 セラピスト)
__________
「『一切の評価をしない。いい悪い、うまい下手、そんなことは問題ではありません。今、この瞬間に内側に湧いてきている感情や感覚、それをただ自分の身体を通して、外側に放出させることが大切なのです。』 」
「評価しない」・・・この一言に惹かれて参加を決めたタッチドローイング。 初めてのことに、遠足前日の子供のようにワクワクが募り興奮していました。 プラ板の上に絵具を出し ローラで伸ばして伸ばして整えて、習字紙のような薄い紙をそっとのせ気持ちのままに指をすべらせてゆく・・・ 砂浜で描いた絵のように波にさらわれる。 消しては描き、消しては描く。
ローラで伸ばす作業が楽しくて、墨をする感覚と似ています ね。 周りに人はいるのだけど、自分だけの世界。 時折聞こえるシンキングリンや唄の心地よさに 自分が考えていた以上に指が動きました。1時間ぐらい描いていたらしいですが、あっという間でした。一連の流れとして、海、泡、命の連なり、生物が出てき ました。 この体験を通し「何もない私」ではなく、 本来の私の中には表現したいものが沢山あるということ、湧き出る感覚、知っていたものを取り戻した感じです。大きな前進ありがとう。(大分県 主婦)
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変化、すごいです。
驚くほど自然に変化が起こっています。
ワークショップ後、最初に対話したのが夫でした。夫とは仙台駅で待ち合わせて、車検の為に借りていた代車を彼に引き渡しました。私は、そこから徒歩で次の 予定の会場まで行くことになっていたのですが…仕事で疲れていて、代車もディーラーの閉店時間前までに戻さなければならない、そんな状況の彼が、不思議な 事に次の予定の会場まで車で送ってくれると言い出したのです。
もともと優しい人ではありますが、こんな状況下でこの展開は、今までの経験上考えられないことです。彼の申し出をありがたく受けて、大町のカフェまで短いドライブデートでした。
次の予定とは、私の師匠とのブラッシュアップの時間を持つことでした。その時に、私のハートが開いて幸せが溢れる感覚に包まれました。ママ友だけど先生で もある彼女を前にするといつも緊張してこわばってしまって、自分らしくいられない違和感をいつも感じていました。でも、夕べは不思議な事に、彼女との間に あった壁が消え去っていました。包み隠さず自分のありのままをそのまま見せられて、心地よくて至福の時間でした。
この感覚、なんなんでしょうか???愛が溢れるってこれなのかしら?
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そして明けて11月15日。
やろうという意思がないのに、どういうわけか断捨離が進んでいます。
今朝は日の出とともに目覚め、清々しい朝日の差す洗面所で、春先から洗えずにいたダウンジャケットを手洗い。(汚れの断捨離)
衣類や雑貨をゴミ袋に5つ。(物、執着の断捨離)
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震災前から音信不通になっていた友人二人とばったり遭遇しました。
でも、あまり驚きがなくて、平然としている私に一緒にいた娘が気味悪がる始末。
必然で起きている感覚があります。なんなんでしょう?この感覚は???
(宮城県 セラピスト)
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「『一切の評価をしない。いい悪い、うまい下手、そんなことは問題ではありません。今、この瞬間に内側に湧いてきている感情や感覚、それをただ自分の身体を通して、外側に放出させることが大切なのです。』 」
「評価しない」・・・この一言に惹かれて参加を決めたタッチドローイング。 初めてのことに、遠足前日の子供のようにワクワクが募り興奮していました。 プラ板の上に絵具を出し ローラで伸ばして伸ばして整えて、習字紙のような薄い紙をそっとのせ気持ちのままに指をすべらせてゆく・・・ 砂浜で描いた絵のように波にさらわれる。 消しては描き、消しては描く。
ローラで伸ばす作業が楽しくて、墨をする感覚と似ています ね。 周りに人はいるのだけど、自分だけの世界。 時折聞こえるシンキングリンや唄の心地よさに 自分が考えていた以上に指が動きました。1時間ぐらい描いていたらしいですが、あっという間でした。一連の流れとして、海、泡、命の連なり、生物が出てき ました。 この体験を通し「何もない私」ではなく、 本来の私の中には表現したいものが沢山あるということ、湧き出る感覚、知っていたものを取り戻した感じです。大きな前進ありがとう。(大分県 主婦)
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タッチドローイングはハートから受け取った感じを両手で絵のように描いていくもので、順子さんのドラムや遠藤さんのクリスタルボウルを聞きながら、何枚も何枚も無心に描いて行きました。私の場合、いまテーマとして再び浮かんできた母との関係や、アフロヘアで目ヂカラの強い女性、海、砂漠の城、ネイティブアメリカンの村などの風景が描いた22枚に繰り返しあらわれて興味深かったです。
ドラムの音を聞いたときには初めてにも関わらず、懐かしすぎてグッとこみ上げるものがありました。またクリスタルボウルの美しい響きは誰かの歌声のようにも聞こえて、何度もあたりを見回してしまいました。
出てきたイメージはビックリの連続だったけれど、ひとりひとりの中には本当に豊かなイマジネーションや経験、原風景や過去の記憶が混ざり合って醸成されているんだなと思いました。真っ暗になるまで遊んだころのような、とっても満たされた1日でした。
(宮城県 ライター)
ドラムの音を聞いたときには初めてにも関わらず、懐かしすぎてグッとこみ上げるものがありました。またクリスタルボウルの美しい響きは誰かの歌声のようにも聞こえて、何度もあたりを見回してしまいました。
出てきたイメージはビックリの連続だったけれど、ひとりひとりの中には本当に豊かなイマジネーションや経験、原風景や過去の記憶が混ざり合って醸成されているんだなと思いました。真っ暗になるまで遊んだころのような、とっても満たされた1日でした。
(宮城県 ライター)
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始まってみたら、それは激しいものがこみあげてきました。怒りも 悲しみも 無気力も 絶望感も祈りも、気持ち悪くなるくらいになりながら出していました。激しい眼の女も、真っ赤な真っ赤な眼のような太陽も、鋭い剣も、祈ってやまない伸ばされた手も、みんなみんなわたしかもしれません。 わたしだけど、地球で、太陽で何か紡がれてきたものみたいな。
帰りにみた夕焼けの空、 空いっぱいのタッチドローイングのようでした。 虹色に光る雲もみえました。 魂に、はるか彼方に、旅をしてきたような時間でした。 (大分県 マクロビシェフ)
__________
この場で繋がったみなさんに、描きあげた絵をシェアしながら、「あ~、私はきっと、遠い昔に約束をしてきたんだろうな~、それを見届けてくれるメンバーなんだな~っ」て、思いました。
絵は、偶然(必然^^)にもストーリーになっていて、私はタイトルに「再生」と付けました。その大まかなストーリーは、
枠の破壊。自分の声。
自分の中での和解。
(顕在意識と潜在意識が仲良くなった感じ)
おさまりを見つめるもう一人の自分。
肩甲骨から羽。
生命の木が誕生。
そして空っぽの壺?にエネルギーの循環が始まる。
どうにも表現しづらいんですが、私の体感として、手はセンサーなんだなと。心からのメッセージをダイレクトに伝えてくれる。頭でこねくりかえすのではなく、ほんと心からのメッセージ(^^) その場の安心感があってこそですが。
順子さんが最後に「これから変化や消化が始まりますから」と♪
えっ(°Д°;≡°Д°;)、描きあげて終了ではないんですねぇ。
そうそう、今日は子供の学習発表会でした。そして私の『再生』の発表会にもなりました。
成長してまいります(^^♪
焦らず、ゆっくりと。(宮城県 主婦)
__________
タッチドローイング、本当に素晴らしかったです。何気なく描いた絵に、自分自身の深いところの記憶や潜在意識が投影されているようで驚きました。そして、私がどうしてこんなにも「生と死」というテーマが気になるのかも、タッチドローイングをやってみてとても納得しました。
一枚一枚、その瞬間に感じたことを目の前の紙に表現すること。 また、紙に偶然現れた模様から、感じたインスピレーションをただそこに表現すること。そんな事を何も考えずに繰り返しているだけでしたが、後からその絵を見ていくと、断片のように描かれた絵は、それぞれが見えない糸のようなもので繋がり、関係性を持っていることにも驚きました。
ただ感じてつけた題名に、魂の旅が描かれていたこと・・。 何回も生まれて、愛して、絶望して、喜び、ゆだね、昇って、潜って、死を体験し・・・・。そこに描かれていたのはまさに魂の旅路そのものでした。
そして一番最後に描いた絵のタイトルは「力・源・見ている」でした。このタイトルから感じることは、内なる神でした。この数か月、さまざまなセッションを受け、私は神とのつながり直しをしてきたように思います。過去世で、壮絶な体験をし自ら神との縁を断ち切った記憶があります。その自ら縁をたち切った神が内側に存在していること。そしていつも私と共にあり、私の源であり、私の力となり、内側から私を見ている存在だったということを、タッチドローイングの最後の一枚が教えてくれました。
一枚の「紙」が内なる「神」と出会わせてくれた瞬間でした。タッチドローイングは自分自身との出会いへと導いてくれるような時間でした。
この20個の題名を元に、簡単な物語を書いてみようと思っています。きっと私の魂の旅が、どんなものなのか教えてくれるように感じています。 さらに、深い体験もできそうなタッチドローイング。今度は、環境エッセンスをとりいれたバージョンを体験してみたいです。(神奈川県 セラピスト、バッチフラワーエッセンス・プラクティショナー)
帰りにみた夕焼けの空、 空いっぱいのタッチドローイングのようでした。 虹色に光る雲もみえました。 魂に、はるか彼方に、旅をしてきたような時間でした。 (大分県 マクロビシェフ)
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この場で繋がったみなさんに、描きあげた絵をシェアしながら、「あ~、私はきっと、遠い昔に約束をしてきたんだろうな~、それを見届けてくれるメンバーなんだな~っ」て、思いました。
絵は、偶然(必然^^)にもストーリーになっていて、私はタイトルに「再生」と付けました。その大まかなストーリーは、
枠の破壊。自分の声。
自分の中での和解。
(顕在意識と潜在意識が仲良くなった感じ)
おさまりを見つめるもう一人の自分。
肩甲骨から羽。
生命の木が誕生。
そして空っぽの壺?にエネルギーの循環が始まる。
どうにも表現しづらいんですが、私の体感として、手はセンサーなんだなと。心からのメッセージをダイレクトに伝えてくれる。頭でこねくりかえすのではなく、ほんと心からのメッセージ(^^) その場の安心感があってこそですが。
順子さんが最後に「これから変化や消化が始まりますから」と♪
えっ(°Д°;≡°Д°;)、描きあげて終了ではないんですねぇ。
そうそう、今日は子供の学習発表会でした。そして私の『再生』の発表会にもなりました。
成長してまいります(^^♪
焦らず、ゆっくりと。(宮城県 主婦)
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タッチドローイング、本当に素晴らしかったです。何気なく描いた絵に、自分自身の深いところの記憶や潜在意識が投影されているようで驚きました。そして、私がどうしてこんなにも「生と死」というテーマが気になるのかも、タッチドローイングをやってみてとても納得しました。
一枚一枚、その瞬間に感じたことを目の前の紙に表現すること。 また、紙に偶然現れた模様から、感じたインスピレーションをただそこに表現すること。そんな事を何も考えずに繰り返しているだけでしたが、後からその絵を見ていくと、断片のように描かれた絵は、それぞれが見えない糸のようなもので繋がり、関係性を持っていることにも驚きました。
ただ感じてつけた題名に、魂の旅が描かれていたこと・・。 何回も生まれて、愛して、絶望して、喜び、ゆだね、昇って、潜って、死を体験し・・・・。そこに描かれていたのはまさに魂の旅路そのものでした。
そして一番最後に描いた絵のタイトルは「力・源・見ている」でした。このタイトルから感じることは、内なる神でした。この数か月、さまざまなセッションを受け、私は神とのつながり直しをしてきたように思います。過去世で、壮絶な体験をし自ら神との縁を断ち切った記憶があります。その自ら縁をたち切った神が内側に存在していること。そしていつも私と共にあり、私の源であり、私の力となり、内側から私を見ている存在だったということを、タッチドローイングの最後の一枚が教えてくれました。
一枚の「紙」が内なる「神」と出会わせてくれた瞬間でした。タッチドローイングは自分自身との出会いへと導いてくれるような時間でした。
この20個の題名を元に、簡単な物語を書いてみようと思っています。きっと私の魂の旅が、どんなものなのか教えてくれるように感じています。 さらに、深い体験もできそうなタッチドローイング。今度は、環境エッセンスをとりいれたバージョンを体験してみたいです。(神奈川県 セラピスト、バッチフラワーエッセンス・プラクティショナー)